<倖田來未インタビュー>辞めたかった時期・転機となった結婚&出産・コロナ禍でのアリーナツアー…デビューからの20年を語る
2020.12.19 08:00
12月6日にデビュー20周年を迎えたアーティストの倖田來未(38)がモデルプレスのインタビューに応じた。今年はコロナ禍以降で、日本人初となるアリーナツアー「KODA KUMI 20th ANNIVERSARY TOUR 2020 MY NAME IS ...」を実施し、エンタメの力で日本を少しでも明るくしてきた。さらに、新型コロナウイルス感染拡大による自粛期間中には、4時間半に及ぶインスタライブや、自宅で楽しめる簡単エクササイズ動画を投稿、楽曲制作に励み、今月2日に2枚のミニアルバム「angeL [MY NAME IS...]」/「monsteR [MY NAME IS...]」をリリースするなど、倖田らしくファンとともにメモリアルイヤーを過ごしてきた。20年間第一線を常に歩き続けた今、倖田自身が感じていることとは―――?20周年アニバーサリーツアーやニューアルバムのほか、紆余曲折の20年を振り返ってもらった。期末テスト期間中にデビューした当時の思い出や、倖田來未という名が世の中に知れ渡った「real Emotion」リリース時に「辞めます」と会社に伝えていたこと、家族とのプライベートエピソードなど、貴重な話をたっぷりとお届け!
倖田來未、過去一緊張したツアーに…
― 20周年アニバーサリーライブとなるアリーナツアーはいかがですか?(取材は11月下旬、東京公演前に実施)倖田:世の中的に落ち着かない感じですよね。やっぱり数字(感染者数)が増えているので、ツアーできないのかな、大丈夫かなと思ってしまいます。本当に直前になっても、どうなるのかわからないので、正直今でもドキドキしています。
― 実際にライブをやってみた感想は?
倖田:多分、今までで1番緊張したツアーかもしれない。ファーストツアーよりも緊張しました。今まではワクワクしながら新幹線に乗っていたのですが、今回は初めてツアー初日前日、2時間くらい新幹線を遅らせてもらいました。気持ちが落ち着かないから、家から出られないって。ちゃんと気持ちをリセットして新幹線に乗りたかったんです。
― そんなに緊張していたんですね…
倖田:やっぱり(新型コロナウイルス感染拡大後)アリーナクラスのライブを誰もやっていないのに、そこに挑戦する。あと、(ツアー開催有無を検討していた時期)当時は明確なルールがなかったので、どこをどうすればいいのかなって。政府・各自治体からの発表を元にガイドラインを作成し手探りの部分もあったので、これが果たして正解なのかなという不安があって、もしかしたら1番ナーバスなライブだったと思います。それに、(ツアーを実施することで)批判されたらどうしようとか、感染者・クラスターが発生しゃったらどうしようとか、いろんなことを考えていました。
― 今まで以上に考えなくちゃいけないことがあったんですね。
倖田:そうですね。今回のライブではお客さんの声援を今までのライブの音源から声を拾って、このタイミングで声援を送ってくれるだろうなというところで流しているんです。だから、基本みんな大声は出しませんが、ほかの人の声とかを気にすることなく、伸び伸びとライブを楽しめるように工夫もしています。本当は、拍手を送ってくださっているのですが、その音源のおかげで臨場感があるし、席が広いだけで今まで通りのライブで楽しんでもらえているんじゃないのかなと思います。私自身もすごく楽しめています!a-nationで配信ライブをやらせていただきましたが、やっぱり私たちとお客さんが一つになってライブができ上がるので、私からすると配信ライブはライブって感じがしないんですよね。だから今回やってみて、生に勝てるものはないなと、“これがライブなんだ”と感じられることができて。あとは、とにかくお客さんの顔を見てやってよかったなと思いました。私のライブに来てくれた人たちは、いろんなリスクを持ちながら来てくれました。そういう想いも受け止めてやっているので、今までのライブとは全然違う。お客さんの想いと私たちの想いが一つになったらからこそ、めちゃくちゃ最高な時間を過ごせました。
― 倖田さんのその想いがファンの方に伝わっているんですね!
倖田:福岡公演のとき、観客が大阪と比べると少なかったのですが、ファンの方が満員に見えるようにしてくれていて、すごく感動しました。
― 満員に見えるようにとは?
倖田:空席に2本も3本もペンライト買って置いてくれたり、過去のペンライトを持ってきて並べてくれたりしてて、それを見たとき、お客さんの人数は少なかったけど、めちゃくちゃ嬉しくて、泣けてきました。
― ファンの温かさを感じますね!
倖田:お客さんがたくさん入ればいいわけじゃないんだって思うこともできました。最初はチケット売れてないんだ~って思ってしまって、福岡にまで友達が観に来てくれたりしたんです。みんなめちゃくちゃ楽しかったって言ってくれて、私もめっちゃ楽しかったなと。だから、お客さんの数がどうとかじゃなくて、観てくれる人の想いがあれば、温かいライブになるんだと思うことができました。
― たくさんの方の協力があったからこそ、ライブができていることがわかりました。
倖田:スタッフさんも人が多いところに行かないようにしてくれたり、いろんなことを我慢してくれたりして、ちょっと申し訳ないなと思うこともあったのですが、このツアーに参加したいと思ってくれたスタッフさんばかりだったので、結束力がすごくありました。みんなそんなの当たり前でしょという感じでやってくれたので、すごく心強かったですね。
― やはりリハーサルも今までとは違ったのでしょうか?
倖田:今までまる一ヶ月かけてやっていたことを、今回はたったの11日間で、フリを覚えて、立ち位置を覚えて、歌の練習をしました。ダンサーさんも復活してくれたメンバーもいたので、みんな家で自主練したり、Zoomで合わせてくれたり。今回の新曲の振り付けは基本Zoomでやってもらって、11日間で30曲近くを叩き込みました。あとは1日2公演やるので、体力の心配もありました。普段ピラティスやストレッチしかやらない私が、2時間のフルマラソンを2公演できるのかなと。東京公演は2日間のほかに前日にゲネプロをやるので、3日間で5公演やるようなもので、体力面で心配しています(笑)
― 昨年開催していた「re(LIVE)」でも1日2公演をやっていましたよね?
倖田:やっていましたが、1公演目と2公演目の内容が違うので、リセットできたんですよね。ほぼ1公演みたいな感覚でした。今回は同じ内容を2回やるので、1公演目が終わったときの脱力感がすごくて、試合が終わったボクサーのようなやり切った感じがするんです(笑)。今までは公演終了後に楽屋に来てくださった関係者の方との挨拶があるのですが、今回はそれができないので、終わった瞬間に糸がブツっと切れてしまうような感覚で、2公演目の切り替えが大変です。アンコールもないし、ステージ上で着替えたりするので、裏にいる時間がほとんどないので、2時間のフルマラソンやっている感じなんです。
― 演出面は今までと変わらず?
倖田:本当はやりたいことがたくさんあったのですが、できたのは3つぐらい。感染予防対策の一環でスタッフさんの人数も最小にしていたので…。アリーナが5年ぶりだったので、やりたいことがいっぱい溜まっていたのですが、今できることをめいっぱいやらせてもらっています。コロナ禍でできる100%のことはできていると思います。
― やりたい演出も諦めなくちゃいけないという、悔しい思いもされたんですね。
倖田:20周年の集大成でやりたかったことがたくさんありましたね。でも、今は2時間しかライブができません。2時間で20年間分のセットリストを考えるのは厳しかったし、入り切りませんでした。20年目はこんなんじゃなかったって、正直悔しさはあります。でも、仕方がないことでもあるので、今できることを最大限にやって、来てくれたお客さんに、生配信を見て下さっている方にも楽しんでもらえているんじゃないのかなと思います。
― SNSにはたくさんのファンの方からのコメントが届いていると思いますが、実際にそれらを読んでみてどうでしたか?
倖田:私だけじゃなくて、みんなも緊張して初日を迎えていたんだなと思って。それでも、みんな楽しんで満足してくれているのかなと思いました。あとは、まずはライブを開催してくれること自体が嬉しかったって言ってくれる方が多いのと、ほかのアーティストのファンの方たちが希望を与えてくれたって言ってくれて。私がライブを開催することによって、自分の好きなアーティストもやってくれるかもしれないという希望になったと。だから、たくさんの方からありがとうという言葉をいただいて、すごく嬉しかったです!
倖田來未「walk」に続く曲「RUN」誕生
― 今回「angeL」と「monsteR」をリリースしましたが、どのようなアルバムなのか改めて教えてください。倖田:ほぼ全曲自宅でレコーディングした曲です。今年2月にロスに行って、楽曲制作しようと思った瞬間にウイルスの感染が広まり始めて帰国しなければならなくなり、急遽帰って来きたんです。そしたら日本でも新型コロナウイルスによる自粛生活が始まってしまって…。そのとき、曲を作りたい、歌を歌いたい衝動がすごくて、旦那さんにお願いして、一緒に考えてもらいました。1~2曲作ったとき、音質的に家でも全然大丈夫ということがわかって、自宅でレコーディングをしました。そしたら、初めて理想の声をバチッと出すことができたんです。だからゲン担ぎではないんですけど、この曲も家でレコーディングしたいと思うようになって、どんどんレコーディングしていったら、普段の倖田來未なら発掘できなかった声が、いろんな楽曲で出ていると思います。なので、今回のアルバムはまず声を聴いてもらいたいなと思っています。
そうやって作っていくうちに、「W FACE」のように“inside”と“outside”にわかれて、今まではinsideは歌謡曲がベースにあって、いい意味で昔なじみのバラードを入れていたんですけど、今回はそれを入れずに、ファンの子が喜んでくれそうなポップソング系も入れたりしました。
― 今回も“相対する”がテーマでもあるようですが…
倖田:家でレコーディングしていたら自然とわかれたんですよね。だからやっぱり倖田來未は両方好きなんですよ。陰と陽が。こういう曲ばっかり作っていると、次はこっちをやりたくなって…だから面白いことに自然とわかれてくるんですよね。
― 家でレコーディングしたということは、旦那さんも協力してくれたんですか?
倖田:2曲くらいレコーディングに立ち会ってくれました。緊急事態宣言解除後は、スタッフの方も家に来られるようになったので、エンジニアさんと一緒にやっていました。
― 旦那さんと一緒に作ったという温かみも曲に表れているんですかね?
倖田:表れているかな(笑)。それこそ「for…」は4時間半のインスタライブをやっていたときに生まれた楽曲で、旦那さんが一緒に作ってくれたんですよ。あーでもない、こーでもないって言いながら(笑)。そのインスタライブをやっていたときに、ファンの方がたくさんのコメントをくれて、その中から言葉を繋ぎ合わせてサビを作ったので、ファンの方の温かみも入っていると思います。だから、今回はいろんな意味で詰まっているアルバムになりました。
― 「angeL」に収録されている「RUN」は、名曲「walk」に続く楽曲だそうですが…
― 2年間も温めていたんですか!?
倖田:ずーっとストックのプレイリストに入ってて、20周年で絶対に歌おうと決めていたんです。それで、満を持して作詞をはじめて、レコーディングしました。今までは地に足をつけて歩いてきた私が、もう道はわかったから、これからは走っていくから後ろを付いて来てって、そういう想いが伝えられたらいいなと。「walk」から「WALK OF MY LIFE」になって、そして今回「RUN」が生まれて、今まで歩いていたのが走り出すというストーリーになっています。珍しいことに、今までは最後に希望を見せる歌詞が多かったのですが、「RUN」はこれからも辛い日々が続くと思うけど、自分を信じてやれば20年目が来るんだよと。自分を信じてこれからも荒波に向かって走っていくぞという願いを込めて書いた曲になっています。すごくシンプルな歌詞だと思います。
ミュージックビデオでも表現しているんですけど、ライブをやったり、こうやって取材してもらったり、歌番組に出演したりして、たくさんの照明を浴びて家に帰ってきてふと我に返ったとき、孤独を感じる瞬間があるんです。倖田來未とプライベートの自分をうまく整合できていない日がたまにあって。私基本的にスイッチできるタイプなんですけど、たまにできなくて、涙が出てくるときがあって、息苦しくなります。でもその息苦しさは整理しないと解決できない。たぶん世の中のみなさんもそうだと思うので、この曲を聴いてガス抜きのようにしてもらえたらいいなという想いもあって、ミュージックビデオでは仕事から帰って来たというシチュエーションにしました。
― 「Killer monsteR」も注目の曲だと思いますが、こちらはどのような楽曲なのでしょうか?
― 今までは対面で一緒に作業をしていたのが、今回はリモートで作ったんですね。
倖田:今までと変わりましたね。私って曲は作れないので、作曲とかトラックを作る旦那さんの姿を見て、最近いろんな声を出すようになったんです。今までは、クレイジーな声とかができなかったのですが、旦那さんはそういう声を平気で出して音を録ったりしています。旦那さんのそういう姿を見て、私たちボーカリストって声が武器だなと思って、倖田來未という声を通して歌にしているんだから、恥ずかしがっていたらダメだなと思うようになりました。だから今は恥ずかしさとか捨てて、自分の声を楽器のように扱えるようになってきました。昔は楽器は誰かがやってくれるとか、どっかで音拾ってくればいいやと思っていたんですけど、自分の声を楽器としてやりたいなと思うようになってからは、どんどんトライするようになりました。
― いい意味で旦那さんの影響を受けているんですね!
倖田:そうですね!作家の想いみたいなものを聞く機会が増えて、倖田來未に歌ってもらいたいから作ったという話とかを聞くと、すごく倖田來未っぽく聞こえてきて。私は作家の名前を見ると、えこひいきしちゃうので、作家の名前を見ないで曲を選ぶようにしているのですが、デモテープを聴いていると、曲がフレーズとしてバーって降りてくることがあるんです。それが旦那さんが作ってくれた「No One」なんです。私は歌詞が降りてくる派なので、曲を聴いて、この曲はこのテーマで書きたいなって、曲を聴いてインスパイアされる曲しか基本的に歌詞は書かないようにしています。書けないと思ったけどこの曲が好きってときは、書いてもらうことが多いんです。
倖田來未、デビュー後の20年を振り返る
― 改めてになりますが、デビュー20周年おめでとうございます!倖田:ありがとうございます!20歳になりました!プライベートの自分よりも上回ってしまい、倖田來未という人生の方が長いから不思議な感覚です。デビューして4~5年目は本当にペーペーで(笑)倖田來未というほどの人生ではなかったかもしれませんが、今までは倖田來未がいろいろ経験してきてきて、プライベートでの自分がいてという感じだったんですけど、今は逆に私も倖田來未に支えられているというか、勇気をもらったりしているんですよ(笑)。いくつになってもチャレンジしたり、挑んだりしていく姿を見て、プライベートの自分も頑張ろうって思うようになってきたんです。
― アーティスト倖田來未とプライベートの自分のスイッチがあるんですか?
倖田:倖田來未のときのほうが客観的にものを見て、物作りしているような気がします。私自身はロックとかが好きで偏っていることが多いのですが、倖田來未が歌っているサウンドってヒップホップだったり、R&Bだったり、ダンスミュージックだったりします。もちろんそういう楽曲も好きなんですけど、自分自身が好きなことと、倖田來未がすべきことは別だと思っているので、倖田來未の場合は俯瞰で見ているんだと思います。
― せっかく周年のインタビューなので、過去を振り返っていただきたいのですが…今回のアルバムにちなみこの20年間を振り返って、“光”と“闇”だった時期はありますか?
倖田:なんだろう…私は結婚が1番の転機だと思っているんですよね。結婚と出産が1番の転機で、自分自身を肯定できるようになったんです。倖田來未でいいじゃんって。結婚することでファンが離れてしまうのではないのか、出産することでツアーができなくなってしまってファンの方を残念な思いにさせてしまうのではないか、動員数が減ってしまうのではないかと思ったこともあったのですが、私は子どもを見て初めて愛おしいという意味がわかった気がしたんです。そういうものの見方がすごく変わったり、母親目線になれるようになりました。それに旦那さんが聴いている音楽を聴くことによって、聴く音楽の幅が倍になりました。旦那さんは常にビルボードのラジオとかを聴いているので、常に新しい音楽が入ってくるんです。そういうのが1人のときはなかったので、環境がガラリと変わって、いろんな音楽を知るようになりました。
― 自分自身を変えることができたんですね!
倖田:そうなんです!ちっちゃなことでも怒ってしまう私が、許すことを覚えたというか。子どもがこぼしてもしょうがない、こうやったらこぼしてしまうということが子どもにとっては勉強なので。結婚前はスタッフさんにも怒鳴っていた時期があったのですが(笑)、今は逆に丸くなりすぎて大丈夫?って心配されるんですよ(笑)。だから、人生がすごく楽しくなりました!
― そうなんですね!逆に“闇”だなと感じた時期はありますか?
倖田:それで言うと、デビュー前とか、デビュー当時の話になるのですが、デビューしたとき校則が厳しい高校に通っていたので、「夢を追うくらいなら学校辞めろ」って言われたことです。「辞めて東京に行く」って言ったら、会社の方に「いや高校は京都で過ごしてください」って言われて。こんな学校で過ごすの嫌だなと思いつつも、高校3年生の期末テスト期間中にデビューして(笑)。誰もCDを買ってくれない、誰もデビューおめでとうと言ってくれない、それに歌詞も書かなくちゃいけなくて…。当時のディレクターさんに「お前の歌詞はストーカーみたい」って言われたこともあって。それだけじゃなくて、本当に歌手になることが夢だったけど、CD売れないし、ヒットしないし、「もうどうしらいいの?」という状態でしたね。
― 倖田さんの下積み時代と言われているより、もっと前の話ですね。
倖田:そうなんですよ。デビューして歌手になることが夢だったけど、なってみたらとんでもない世界でした(笑)。でも、それは当たり前で、結果を出している人たちに追いつくためには、どうしたらいいのって毎日のように考えていました。答えを探していたけど、答えなんてなくて、ヒット曲を作らなくちゃって。歌が上手くなくてもヒット曲って誕生してしまうので、どうすればいいんだろうって。今もわからないからこそ、ヒット曲を作ろうと常に頑張っています。
でも私は恵まれていたんですよ。いいスタッフさんに囲まれていました。売れなくてもいいからヒット曲を作りなさいって、いつかこの曲が愛される日が来るからって言われたことをすごく覚えてて、それで誕生したのが「walk」です。すごく愛されている曲になったなと思っているので、「walk」を超える曲を作らなきゃと思って「WALK OF MY LIFE」ができて、今回は「RUN」ができて。「RUN」もこれから育てていきたいと思っています。
― 本当にいろんなことがあった20年だと思いますが、倖田來未を辞めたいと思った時期はありますか?
倖田:辞めたいと思ったことは何回もあります。ゲームソフト「ファイナルファンタジーX-2」のテーマ曲「real Emotion」をリリースするとき、「これは絶対売れる」って言われて。でも私からしたら、“大型新人”って言われてデビューしているのに、全然売れなかった経験があるから、今回大手企業と組んで売れなかったら「辞めます」「私は求められてないと思います」と言いました。そしたら売れたので辞めなくてすんだんですけど(笑)。だけど、また売れなくて、そしたら今度は「キューティーハニー」とタイアップしてヒットして。その頃は、どうしたら売れるんだろうって本当に考えて、悩んでいました。
― いろいろとあったんですね。
倖田:本当に山あり谷ありの人生だったなと思います!まだ終わっていませんが…
― それでも20年間続けられるのはすごいことだと思います。
倖田:会社には本当に感謝しています。「(シングル)3枚目まで出して売れなかったらクビ」って言われていたんです。3枚出しても売れなくて、「私は頑張って作ってますけど、どうやったら結果が出るんですか?」って聞いたりしました。クビと言われていたのに、引き止めてくれる人がいて、それでその後出した「real Emotion」でやっと結果を残せたんです。
― 20年間続けられた理由は、ご自身ではどのように考えていますか?
倖田:やっぱり歌が好きだったからだと思います。今回の自粛生活中も、「家でゲームできる!」「家の時間が増える!」って子どもと喜んでいたのですが、気がついたら曲を作っていたり、気がついたらインスタライブをやっていたり、気がついたらYouTubeの撮影をしたりと大忙しでした。結局、音楽が好き、仕事が好きなんだなって思いました。
倖田來未の今後は?
― 今年20周年を迎えられたということで、今後の野望も教えてください。倖田:もうすでにお話していることなんですけど、「過去にはない未来へ」という言葉が1番残ってて。やっぱり今までのやり方では音楽業界も厳しくなってきています。CDを買ってくれないと制作費がない、そこにコロナの影響もあって、作品を作ることが本当に大変な時代になっているんです。でも音楽を絶やしたくないという想いがあって、未来はどうなっていくのか全くわからないので、そこに対応できるアーティストじゃないと残っていけない。本物じゃないと残れない時代が来ると思うんです。
だから私はスキルアップとして、ボディメイクだったり、ボイトレだったりをして、内面含めて自分自身を美しくいられるように自分磨きをしていきたいなと思っているし、みなさんも好きなアーティストとか、好きな友達とか、好きな人とかがいるじゃないですか。その人がなんで好きなのかって考えたとき、たぶんその人の思想が好きなんですよ。その人の考えが好きだから、その人と仕事がしたいと思うし、憧れたりするんだと思うんです。だから私もそうやって好きって思ってもらえるようにしなくちゃと思います。
自分の考えを腐らせてしまうと人はついてこないし、人を動かすこともできないって思うので、私は倖田來未という人として、素敵な人でいようと。そうすれば、おのずと歌詞の内容も伝わると思うから。そうやってアップデートしていかないといけないと思います。それに、最近キレイになったって言われるんです!
― いつまでも変わらず美しいです!
倖田:ありがとうございます(笑)。でも本当に最近キレイになって言われるんですけど、特別なことはなにもしていないなって、だけど考え方が変わったからかなと思いました。そうすれば、人にも優しくなれるし、信用できるようになるから仕事を任せられる。自分がリーダーみたいな風には思っていませんが、そこに自分の経験値を活かして、意見を言うようにしています。
― 考え方が変わったんですね。でも本当にこの1年で人生ガラッと変わった人も多いと思います。
倖田:そうだと思います。よく旦那さんに言われるのですが、「來未ちゃんのファンって、來未ちゃんの思想、考え方を尊敬してくれているんだから、そうことはちゃんと言った方がいんじゃない?」って。「來未ちゃんもそうでしょ?その人の生き方とか考え方が好きだから、アーティストを好きになる。來未ちゃんの歌詞のメッセージ性とか、ライブのMCとか、飾らないところに惹かれているんだから」。だから、この前も文章を考えていたら、もっと來未ちゃんらしくていいんじゃないって、そうやって背中を押してくれる人なんです。旦那さんは自分を見返す時間をくれるんです。
倖田來未、夢を叶える秘訣を語る「夢を叶えるためには夢を見る」
― では最後に毎回同じ質問をしていますが、夢を追いかけているモデルプレス読者に向けて、夢を叶える秘訣を教えてください。倖田:言葉悪いのですが、“バカになること”が大事だなと思います。私はピーターパンだと思ってて、昔からエンターテイメントを作る人は子ども心を忘れてはいけないって、いつも言っているんです。やっぱり夢の世界というか、夢を具現化することが私たちがやっているエンターテイメントという仕事なんだと思います。だから、こうなるかもしれないからやめた方がいいとか、デメリットとか、マイナスなことばかり考えちゃうと前に進めません。私はやりたいことは後先考えずにやってきたから今があると思います。だから、夢を叶えるためには夢を見る。現実的なことばかり考えていたら夢は叶わないと思うので、言霊を信じて行動に移してみてください。
― 今回もたくさんのお話ありがとうございました!
(modelpress編集部)
倖田來未(こうだくみ)プロフィール
京都府出身。2000年「TAKE BACK」にてデビュー。以後数々のヒット曲を生み、ベストアルバムのダブルミリオンセールス、2度の東京ドーム公演、海外公演も開催するなど数多くの実績を残す。特にライブでの圧倒的な歌唱力、ダンスパフォーマンスは国内外から「Queen of live」と高い評価を得ている。自身の活動だけではなく国内外のアーティストとコラボレーションを積極的に行う中、写真集やフォトエッセイ等、アーティスト活動のみならずファッションアイコンとしても幅広い活動を行っている。
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