<女子アナの“素”っぴん/佐々木恭子アナ>「毎日辞めたかった」挫折を乗り越えられた理由、仕事と子育ての両立で得たもの【「フジテレビ×モデルプレス」女性アナウンサー連載】
2019.02.16 17:00
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「フジテレビ×モデルプレス」女性アナウンサー連載『女子アナの“素”っぴん』―――― Vol.31~32は1996年入社の佐々木恭子(ささききょうこ・46)アナウンサー。
「才色兼備」と呼ばれる彼女たちも1人の女性。テレビ画面から離れたところでは、失敗して泣いていたり、悔しくて眠れなかったり、自分の居場所に悩んでいたり…。それでも気持ちを落ち着かせて、どうしたら視聴者に楽しんでもらえるのか、不快感を与えないのか、きちんと物事を伝えられるのか、そんなことを考えながら必死に努力をしている。本連載ではテレビには映らない女性アナの“素”(=等身大の姿)を2本のインタビューで見せていく。
前編はこれまでのアナウンサー人生を振り返りながらターニングポイントに迫るもの、後編は彼女たちが大切にする「5つの法則」をメイク・ファッション・体調管理といったキーワードから問う。
――――小澤陽子アナの後を引き継ぎ、16人目に登場するのは佐々木アナ。※後編(Vol.32)は3月1日に配信予定。
佐々木アナ:2つ山がありました。1つは入社4年目の26歳で「とくダネ!」を担当した時。最初の2年間が本当に辛かったです(苦笑い)。辛くて辛くて本当に辛かった。同じ情報番組でも「めざましテレビ」では、はっきりとみんなに役割があるのですが、当時「とくダネ!」は2時間の台本の中で、私に振られた役割はCMのフリしかありませんでした。台本に自分の名前がない。私は何をして良いのか分からなくて…。殺人事件もあればドロドロした恋愛もあり、虐待、介護も、と扱うニュースが広いので、人生経験が浅い26歳の自分には何も語れることがないと思っていました。
2年間くらいは本当にCMのフリしかしていなくて「私は何をしに来ているのかな?自分である必要があるのだろうか?」と何の役にも立っていないことに対する挫折感をすごく味わいました。しかも、その悩みの根源は自分が空っぽだということです。せっかく伝えられる仕事をして伝えられる場にいるのに、伝えたいことがない。そんな壁にぶつかっていました。今、思うとそこまで深刻に思うことないのですが(笑)。
― 当時はそれが辛かったと。それはどのように打開したのですか?
佐々木アナ:少しでも得意な分野を作るしかないって思いました。「この話は佐々木が知っているに違いない」という分野を増やすしかないと思って。当時、時間はたくさんあったので、色々な試写を観に行くようにして、例えば新作の映画を紹介する時に「それ観ました」とちょっとずつ自分が話に入っていく。「あれ観たんだよね?」と振ってくれることもあるので、そういうチャンスを活かして「この子は映画をたくさん観ている子」という感じで、少しずつ語れるものを作って、得意な分野を増やすようにしました。
あと、黙っていたら人は理解してくれないから、打ち合わせで「こういう風に思います」と小さいことでも勇気を持ってアウトプットを始めました。そうすると徐々に周りのみんなと信頼関係ができていって、オンエア中に話を振られることも多くなり、自分の居場所を見つけられた気がしますね。
― そうやってご自身のポジションを確立していかれたのですね。
佐々木アナ:でも、この時期の経験を通して、ぜひモデルプレスの読者の人たちに伝えたいことは、挫折して悩んだ時には「第一声にこだわる」ということです。ある時、悩んで悩んでどうしようもなくて、もう辞めたいと思っていた時に、ある名プロデューサーが廊下で「佐々木さん、最初の『おはようございます』から自分に負けてるよ」と言ってくれたんです。その時「そうかも」と思って。
番組の役に立っていないと思うと、自信がなくなるから「おはようございます」も気弱になってしまいます。それで「最初の挨拶でまず1日で1番気持ちの良い挨拶をしなさい」と言われて、「おはようございます!」とハキハキ挨拶していたら、自分がその声を聞いて元気になったのです。背筋を伸ばして気持ちよく挨拶をすると自分の気持ちも引っ張られて上がっていく。それがかなり当時の自分を助けたような気がします。
佐々木アナ:小倉さんは今も目指している人です。小倉さんの言葉って本当に飾りがないんです。一緒にやっていた頃、小倉さんは何か事件が起きると「ああ、本当に気の毒だね」とよくおっしゃっていて。「気の毒」という言葉は、人によっては他人事のように聞こえる人もいると思いますが、小倉さんが言うと心からそう思っていると伝わります。
残念、無念、怒り…そのどれとも違う本当に「お気の毒に…」と思っていることが伝わるには、どう言えば良いのか。今でも分からないです。でもきっと人間力だと思っています。普段から包み隠さず喋る、感情を時々は出す、といったことも視聴者の方から信頼される要因かな、とも思いますし。そういう飾らない言葉で圧倒的に何かを伝えられる人になりたいです。
― 今でも憧れがあるんですね。
佐々木アナ:はい。小倉さんが今も第一線で頑張っていらっしゃるのはすごく励みになっています。「居なくなると寂しいから、私たち含めて後輩の場がなくなるくらい、ずっと活躍し続けてほしい」と言っています(笑)。
佐々木アナ:本当に入社3年目までは毎日辞めたかったんです(笑)。「無理、あってない!無理無理!」という感じ。人と接するのが本当に苦手で(笑)。でも続けてみたら、ちょっと楽しいことが時々あって頑張ろうって気が起きる。最近だってそうです。去年の1月まで夫が約5年間単身赴任をしていました。その時も「やっぱり仕事を辞めようかな」と思ったこともありましたが、相手を理由に辞めると、未練みたいなものが残ってしまうのではないかなと思って。
だから辞める時は自分の理由で辞めたいです。もう滑舌が回らない、とかね(笑)。もちろん、考え方は人それぞれですから、人のために仕事を辞めることが幸せな人もいるかもしれないですが、私はできませんでした。やはり、今となっては、しゃべることも聞くことも、結局は…好きなのですよね。
佐々木アナ:子どもを産んだ後です。特に1人目の復帰の時がものすごい山でした。母になり自分のライフステージが変わるわけです。これまでは自分1人で何でも決めて仕事に向き合ってきたけれど、急に子どものことを考えなくてはいけなくなって、当時は挫折感を感じました。「はい。やります」と言っていたことが「1回、家族と調整させて下さい」とすぐに動けなくなってきた時に、やっていけるかな、と思ってしまって…。その頃ちょうど東日本大震災が起きたんです。
― 2011年ですね。
佐々木アナ:私は都内でロケをしていた時に地震が起きました。ロケバスの中だったので、どれだけ酷いことになっていたのかは分かりませんでした。その後のロケ先も普通に受け入れてくれたので、状況が本当に分かっていなくて。それで仕事を終え、会社に戻ろうとした時に、初めて人の流れが異常であることに気づきました。その瞬間、私は保育園に1歳の子をどうやって迎えに行こう、ということで頭がいっぱいになってしまったのです。
報道機関に勤めている人間だから、何かが起これば、仕事に対応できるかとか、今どんな状況だ、ということを必ず上司に話す必要があるのですが、その時は会社に電話することを忘れていました。とにかく子どもをどうしよう、と思って。電車も止まっているし、電話もつながらないし、とりあえず歩くしかなかったので、親切な方にヘルメットを借りて歩いて帰りました。それで無事8時頃には保育園にたどり着けて、家に戻ったら会社から「大丈夫ですか?どんな状況ですか?何か緊急の場合、対応できますか?」とメールが来ていて。そこで連絡を忘れていたことに初めて気がつき「私、変わったな」と実感しました。
これまでは地震が起きたとしたら、取材に向かうために、すぐ荷造りをするような生活をしていたのです。なので、これまでと同じ理屈、同じ時間、同じ状況では働けないんだ、と思った時に、すごく自分でも驚きました。…これが挫折っていうのかな?同僚たちが現場に行って、取材をしている姿を家で見ていると辛くて。だからと言って「行け」と言われても行けない。「挫折」と言って良いのかは分からないですが、確実に転換がありました。
― 仕事が第一優先ではなくなったんですね。
佐々木アナ:その状況でベストを尽くすしかないと思うようになりました。明日、急に魔法がかかって、色々な状況がすべて自分の思うように回り始めることはないのです。では、この中でどうやってベストを尽くそうか、と考えるようになりました。例えば東京にいても色々と不安に思っている人がいましたよね。子どもに何を食べさせて良いか分からないとか、離乳食はどうしたら良いのかな、ミルクの水はどうしたら良いのかな、とかそういう気持ちを代弁したら良いんだ、と分かったのです。そこからは「子どもがいるから〇〇ができない」ではなく「子どもがいるから何ができるか」ということをすごく考えています。
― 働き続ける上で仕事と子育て、家事の両立に悩むケースも多いと思います。佐々木さん自身が家庭と仕事を両立させるために心がけていることはありますか?
佐々木アナ:これは本当にみんな、葛藤するところですよね(苦笑い)。でも、子どもを見ていて思いますが、子どもだって勉強だけしていれば良い、という人生はないですよね。同じように運動だけしていれば良い、という人生も多分なくて、勉強をしながら何かをしなくてはいけない。色々なタイヤを回しながら進んでいます。だから色々なことをその都度、どういう風に優先順位をつけて楽しめるのか、その実験をしているんだ、くらいに思っています。なので上手く行かなかったらその仮説はやめて、違う仮説で実験してみれば良いし、その都度その都度バランスを変えながらやっています。
例えば掃除がストレスであれば、掃除の何がストレスなのかな?と考える。私の場合、1番のストレスはコードの巻取りで。各部屋に行ってコードをコンセントに挿して、また巻いてしまって。これが面倒で(笑)。でも出しっぱなしにするのも嫌でしょ?(笑)それで「よし、コードレス掃除機だ」と思ったわけです。どうせなら納得行くものを買いたいですし、何でも取材だと思うので、会社にいるクリーンスタッフの人に「これの使い心地はどうですか?」「どのぐらい充電が持ちますか?」「紙パックはどのぐらいの期間で変えますか?」と聞いて買いました。それでもうノンストレス(笑)!どんなことでも漠然と「嫌だな」じゃなくて「この嫌な気持ちの根っこの部分は何が解決すれば解消されるんだろう」と小さく分解して、クリアにしていくことを考えています。
― それはお子さんが生まれてから強まった考えですか?
佐々木アナ:はい。子どもを産んで自分が1番成長したことは、先々の段取りをするようになったことだと思います。子どもを産む前はものすごく感覚的な人間で、気持ちだけで動くことが多かったです。でも、後で楽に過ごすために今やった方が良いよね、ということを前もってやるようになりました。家事もそうやって少しずつストレスを減らしています。
佐々木アナ:子どもが今9歳ですが、少しずつ私から離れていくことですね。でも、こうして育児も結構早く終わっていくんだ、と思うんです。中学生になったら親と一緒にどこかへ行くよりも、友達といたり部活の方が楽しくなったり。中学生のママたちから「もう忙しくて家には寝に帰るだけよ」「ご飯を作ることくらいしか、やることがなくなるよ」とか言われると、こんなに大変だと思うことも意外と短い期間で終わるんだ、と気づく。色々なことが何の宣告もなく終わってしまうのです。おむつもあんなに替えていたけど宣言されずに終わるし、お風呂だっていつの間にか1人で入るし…。
今まで「大好き」と言ったら「僕もママが大好き」と返ってきてコールアンドレスポンスを楽しんでいたのに、ある時「大好き、宝物」と言ったら「もう本当にそれ、やめてもらえるかな。いちいち対処が面倒だから」と言われたんです。思わず「『私のこと好き?』と聞く面倒な彼女みたいだ、私…」と思ってしまいました(笑)。でもそんなことに負けたくないから「お母さんから面倒くささを取ったら何が残ると思ってんの?一生面倒くさいよ」と言って(笑)。
― 強いですね(笑)。
佐々木アナ:「ママ髪切ったんだけど、どう?」とか「スカートとズボンどっちが似合うかな?」とか聞いて「だからそういうのが面倒だって」と返される。もうその会話も楽しんでいます(笑)。でも、そうやって子どもは離れていくんですよね。そうなってくるとこれから自分はどうしよう、と。会社員として生きてきたこれまでの時間よりも、これからの時間の方がもう短いのです。だから本当に自分は何がしたいのか、もう1回考えよう、という悩みはあります。自分はありがたいことにアナウンサーになれたけど、アナウンサーとしてこれから何をするのか、アナウンサーが終わった後には何をしていこうか、とか考えますね。
― そこの結論はまだ出ていないんですか?
佐々木アナ:究極の理想はありますが、そのために何をするかまではまだぼんやりしています。
― 究極の理想というのはどんな夢ですか?
佐々木アナ:みんなに居場所があって、お互いの力を活かし合う社会になってほしい、と本当に思っています。そのために自分の一生をどう使えるのかを考えています。例えば虐待のニュースを聞くと被害者への思いだけでなく、加害者にさせてしまう社会も良くないと思う。では「加害者を生まないためにはどうしたら良いのかな?」とか、そういうことを1つ1つ思っていて…。みんな色々な力をもらって生まれてきて、そのもらった力を使い切ることが自分にとって大事なことだと思うので、何をやるか、これからどうしよう、と悩んでいます。
現在アナウンサーの仕事以外に、CSR(企業の社会的責任)の取り組みで「あなせん※」というプログラムをやっています。そこでは「伝えあうって楽しい」とか「お互いの居場所をちゃんと見つけあえるっていいね」というメッセージを持って、学校でコミュニケーションの授業をしていて、それがすごく自分にとっては大事な仕事になっています。
※フジテレビの“アナウンサー先生(あなせん)”が言葉を通したコミュニケーションの授業を行う、社会貢献活動。『子どもたちのコミュニケーションを応援する』ことを目標に「話す」「読む」「聴く」等、コミュニケーションの基礎となるスキルを伝える。
佐々木アナ:シンプルに叶うまで諦めないこと、ではないでしょうか。あとは勘違いすることも大事だと思います(笑)。例えば受験なら「自分の力がこのくらいだから、行ける学校はどこかな」と探していたら目標は叶わない。今は多分無理で、周りからありえないと言われていたとしても、目指してみたら、ものすごいキャパが広がるかもしれないじゃないですか。「今の自分で行けるところはどこだろう」と思うのは、もっと成熟してからで良いので、若い時は「この学校に行くためには、どうやったら行けるかな?なんの力が足されたら行けるだろう」と考えて、がむしゃらにやれば良いような気がします。
だけど30歳くらいになって「アーティストになりたいんだ。でも生活が…」と言うのはまた違う次元な気がしていて。「〇〇になりたい」という夢は、磁石のように強いものだから、青春時代は「〇〇になりたい」という夢に向かって、できることはすべてやるのが良いと思います。でも、色々な現実の中で夢をどう持つかというと「〇〇になりたい」よりも「〇〇でありたい」ということを考えた方が良いと思います。
アナウンサーになりたい学生さんだとしたら、まずアナウンサーの何が良いんだろうと考える。多くの人に会えるとか、人と話ができるとか、華やかな場に立つとか。きっとその要素はいっぱいあるはず。それを通して「どういう人でありたいのか」を見れば、その職業じゃなくても満たされる夢は、いっぱいあるかもしれません。「アナウンサーになって、自分と関わった人に元気を与えられるような人になりたいんです」という夢をよく聞きますが、これって他の職業でも叶うと思います。なので就きたい仕事に就けなかったからといって、そこで挫折するのではなくて、違う形でも「自分がこうありたいんだ」という理想を持っていれば、夢は叶えられると思っています。
― お話は重複してしまうかもしれませんが、アナウンサーを目指す学生にアドバイスを送るならどんなメッセージがありますか?
佐々木アナ:アナウンサーを目指すならば、言葉を磨くとか、ニュースを知るとかありますけど、まずはテレビを見る。あとは面白い人になることをした方が良いですよ。面白いというのは、珍しいバイトをするとか、何をするとか、ということじゃなくて、興味があるものを片っ端から色々やってみたら良いと思います。それがその人の中で段々熟成されて、深く語れる人になったら面白いことなので。何か特別なことじゃなくても良いから、なんでもやってみたら良いと思う。それに「アナウンサー」ということにあまり縛られない方が良いですよ。スキルは後からいくらでも磨けますから。
― 佐々木さんも面接官をされるそうですが、どんな部分を見ていますか?
佐々木アナ:人間力。漠然としてしまいますが、やっぱりその人がどういう人か、ということを知りたいです。どういうことを考える人なのか、どういうことを感じる人なのかとか。何をやってきたのかではなく、それをやって何を思ったのか。そこにその人にしか出ない味わいのようなものが出てくるはず。決して読みが上手いとか下手だとか、そういう部分だけではないです。それで言うと、私の完成度なんてひどかったでしょうから(笑)。
― ありがとうございました。
(modelpress編集部)
この日は、午前中デスク業務(アナウンス室員の勤務調整)や午後イチから研修業務のあと、都内別の場所で16時から特番ナレーション。
終了後、帰宅。このあと、夕飯からの…子どもたちとの宿題タイムで、もうひと仕事、いやもうふた仕事あって1日が終了。
<担当番組>
報道プライムサンデー
FNNプライムニュース イブニング(土)ナレーション
ワイドナショー(日)
入社8年目の竹内友佳と三田友梨佳アナウンサーを筆頭に、後輩アナウンサー全員が参加し、総勢17人が登場。フジテレビアナウンサーをより身近に感じられる内容になった。
仕様:A3変型判(縦425mm×横300mm)/縦型・壁掛けタイプ/オールカラー13ページ
販売場所:全国書店、「フジテレビショップ」ほかで2018年10月1日より販売中。
前編はこれまでのアナウンサー人生を振り返りながらターニングポイントに迫るもの、後編は彼女たちが大切にする「5つの法則」をメイク・ファッション・体調管理といったキーワードから問う。
――――小澤陽子アナの後を引き継ぎ、16人目に登場するのは佐々木アナ。※後編(Vol.32)は3月1日に配信予定。
佐々木恭子アナ「とくダネ!」での挫折…それを乗り越えた理由は
― これまでアナウンサー生活、23年。色々なことがあったと思いますが、中でも1番辛かった時期や出来事を教えて下さい。佐々木アナ:2つ山がありました。1つは入社4年目の26歳で「とくダネ!」を担当した時。最初の2年間が本当に辛かったです(苦笑い)。辛くて辛くて本当に辛かった。同じ情報番組でも「めざましテレビ」では、はっきりとみんなに役割があるのですが、当時「とくダネ!」は2時間の台本の中で、私に振られた役割はCMのフリしかありませんでした。台本に自分の名前がない。私は何をして良いのか分からなくて…。殺人事件もあればドロドロした恋愛もあり、虐待、介護も、と扱うニュースが広いので、人生経験が浅い26歳の自分には何も語れることがないと思っていました。
2年間くらいは本当にCMのフリしかしていなくて「私は何をしに来ているのかな?自分である必要があるのだろうか?」と何の役にも立っていないことに対する挫折感をすごく味わいました。しかも、その悩みの根源は自分が空っぽだということです。せっかく伝えられる仕事をして伝えられる場にいるのに、伝えたいことがない。そんな壁にぶつかっていました。今、思うとそこまで深刻に思うことないのですが(笑)。
― 当時はそれが辛かったと。それはどのように打開したのですか?
佐々木アナ:少しでも得意な分野を作るしかないって思いました。「この話は佐々木が知っているに違いない」という分野を増やすしかないと思って。当時、時間はたくさんあったので、色々な試写を観に行くようにして、例えば新作の映画を紹介する時に「それ観ました」とちょっとずつ自分が話に入っていく。「あれ観たんだよね?」と振ってくれることもあるので、そういうチャンスを活かして「この子は映画をたくさん観ている子」という感じで、少しずつ語れるものを作って、得意な分野を増やすようにしました。
あと、黙っていたら人は理解してくれないから、打ち合わせで「こういう風に思います」と小さいことでも勇気を持ってアウトプットを始めました。そうすると徐々に周りのみんなと信頼関係ができていって、オンエア中に話を振られることも多くなり、自分の居場所を見つけられた気がしますね。
― そうやってご自身のポジションを確立していかれたのですね。
佐々木アナ:でも、この時期の経験を通して、ぜひモデルプレスの読者の人たちに伝えたいことは、挫折して悩んだ時には「第一声にこだわる」ということです。ある時、悩んで悩んでどうしようもなくて、もう辞めたいと思っていた時に、ある名プロデューサーが廊下で「佐々木さん、最初の『おはようございます』から自分に負けてるよ」と言ってくれたんです。その時「そうかも」と思って。
番組の役に立っていないと思うと、自信がなくなるから「おはようございます」も気弱になってしまいます。それで「最初の挨拶でまず1日で1番気持ちの良い挨拶をしなさい」と言われて、「おはようございます!」とハキハキ挨拶していたら、自分がその声を聞いて元気になったのです。背筋を伸ばして気持ちよく挨拶をすると自分の気持ちも引っ張られて上がっていく。それがかなり当時の自分を助けたような気がします。
佐々木恭子アナが小倉智昭から学んだこと
― 「とくダネ!」時代で、小倉(智昭)さんから学んだことや、印象に残っているエピソードはありますか?佐々木アナ:小倉さんは今も目指している人です。小倉さんの言葉って本当に飾りがないんです。一緒にやっていた頃、小倉さんは何か事件が起きると「ああ、本当に気の毒だね」とよくおっしゃっていて。「気の毒」という言葉は、人によっては他人事のように聞こえる人もいると思いますが、小倉さんが言うと心からそう思っていると伝わります。
残念、無念、怒り…そのどれとも違う本当に「お気の毒に…」と思っていることが伝わるには、どう言えば良いのか。今でも分からないです。でもきっと人間力だと思っています。普段から包み隠さず喋る、感情を時々は出す、といったことも視聴者の方から信頼される要因かな、とも思いますし。そういう飾らない言葉で圧倒的に何かを伝えられる人になりたいです。
― 今でも憧れがあるんですね。
佐々木アナ:はい。小倉さんが今も第一線で頑張っていらっしゃるのはすごく励みになっています。「居なくなると寂しいから、私たち含めて後輩の場がなくなるくらい、ずっと活躍し続けてほしい」と言っています(笑)。
佐々木恭子アナ「毎日辞めたかった」仕事を辞めなかった理由
― 仕事を辞めたい時があっても、実際に辞めなかったのはなぜですか?佐々木アナ:本当に入社3年目までは毎日辞めたかったんです(笑)。「無理、あってない!無理無理!」という感じ。人と接するのが本当に苦手で(笑)。でも続けてみたら、ちょっと楽しいことが時々あって頑張ろうって気が起きる。最近だってそうです。去年の1月まで夫が約5年間単身赴任をしていました。その時も「やっぱり仕事を辞めようかな」と思ったこともありましたが、相手を理由に辞めると、未練みたいなものが残ってしまうのではないかなと思って。
だから辞める時は自分の理由で辞めたいです。もう滑舌が回らない、とかね(笑)。もちろん、考え方は人それぞれですから、人のために仕事を辞めることが幸せな人もいるかもしれないですが、私はできませんでした。やはり、今となっては、しゃべることも聞くことも、結局は…好きなのですよね。
佐々木恭子アナ、母になり変わった仕事への向き合い方
― 先程2回辛い時期があったと伺いしましたが、2度目はいつ頃ですか?佐々木アナ:子どもを産んだ後です。特に1人目の復帰の時がものすごい山でした。母になり自分のライフステージが変わるわけです。これまでは自分1人で何でも決めて仕事に向き合ってきたけれど、急に子どものことを考えなくてはいけなくなって、当時は挫折感を感じました。「はい。やります」と言っていたことが「1回、家族と調整させて下さい」とすぐに動けなくなってきた時に、やっていけるかな、と思ってしまって…。その頃ちょうど東日本大震災が起きたんです。
― 2011年ですね。
佐々木アナ:私は都内でロケをしていた時に地震が起きました。ロケバスの中だったので、どれだけ酷いことになっていたのかは分かりませんでした。その後のロケ先も普通に受け入れてくれたので、状況が本当に分かっていなくて。それで仕事を終え、会社に戻ろうとした時に、初めて人の流れが異常であることに気づきました。その瞬間、私は保育園に1歳の子をどうやって迎えに行こう、ということで頭がいっぱいになってしまったのです。
報道機関に勤めている人間だから、何かが起これば、仕事に対応できるかとか、今どんな状況だ、ということを必ず上司に話す必要があるのですが、その時は会社に電話することを忘れていました。とにかく子どもをどうしよう、と思って。電車も止まっているし、電話もつながらないし、とりあえず歩くしかなかったので、親切な方にヘルメットを借りて歩いて帰りました。それで無事8時頃には保育園にたどり着けて、家に戻ったら会社から「大丈夫ですか?どんな状況ですか?何か緊急の場合、対応できますか?」とメールが来ていて。そこで連絡を忘れていたことに初めて気がつき「私、変わったな」と実感しました。
これまでは地震が起きたとしたら、取材に向かうために、すぐ荷造りをするような生活をしていたのです。なので、これまでと同じ理屈、同じ時間、同じ状況では働けないんだ、と思った時に、すごく自分でも驚きました。…これが挫折っていうのかな?同僚たちが現場に行って、取材をしている姿を家で見ていると辛くて。だからと言って「行け」と言われても行けない。「挫折」と言って良いのかは分からないですが、確実に転換がありました。
― 仕事が第一優先ではなくなったんですね。
佐々木アナ:その状況でベストを尽くすしかないと思うようになりました。明日、急に魔法がかかって、色々な状況がすべて自分の思うように回り始めることはないのです。では、この中でどうやってベストを尽くそうか、と考えるようになりました。例えば東京にいても色々と不安に思っている人がいましたよね。子どもに何を食べさせて良いか分からないとか、離乳食はどうしたら良いのかな、ミルクの水はどうしたら良いのかな、とかそういう気持ちを代弁したら良いんだ、と分かったのです。そこからは「子どもがいるから〇〇ができない」ではなく「子どもがいるから何ができるか」ということをすごく考えています。
― 働き続ける上で仕事と子育て、家事の両立に悩むケースも多いと思います。佐々木さん自身が家庭と仕事を両立させるために心がけていることはありますか?
佐々木アナ:これは本当にみんな、葛藤するところですよね(苦笑い)。でも、子どもを見ていて思いますが、子どもだって勉強だけしていれば良い、という人生はないですよね。同じように運動だけしていれば良い、という人生も多分なくて、勉強をしながら何かをしなくてはいけない。色々なタイヤを回しながら進んでいます。だから色々なことをその都度、どういう風に優先順位をつけて楽しめるのか、その実験をしているんだ、くらいに思っています。なので上手く行かなかったらその仮説はやめて、違う仮説で実験してみれば良いし、その都度その都度バランスを変えながらやっています。
例えば掃除がストレスであれば、掃除の何がストレスなのかな?と考える。私の場合、1番のストレスはコードの巻取りで。各部屋に行ってコードをコンセントに挿して、また巻いてしまって。これが面倒で(笑)。でも出しっぱなしにするのも嫌でしょ?(笑)それで「よし、コードレス掃除機だ」と思ったわけです。どうせなら納得行くものを買いたいですし、何でも取材だと思うので、会社にいるクリーンスタッフの人に「これの使い心地はどうですか?」「どのぐらい充電が持ちますか?」「紙パックはどのぐらいの期間で変えますか?」と聞いて買いました。それでもうノンストレス(笑)!どんなことでも漠然と「嫌だな」じゃなくて「この嫌な気持ちの根っこの部分は何が解決すれば解消されるんだろう」と小さく分解して、クリアにしていくことを考えています。
― それはお子さんが生まれてから強まった考えですか?
佐々木アナ:はい。子どもを産んで自分が1番成長したことは、先々の段取りをするようになったことだと思います。子どもを産む前はものすごく感覚的な人間で、気持ちだけで動くことが多かったです。でも、後で楽に過ごすために今やった方が良いよね、ということを前もってやるようになりました。家事もそうやって少しずつストレスを減らしています。
佐々木恭子アナ、今の悩みは?
― では今、抱える1番の悩みは何ですか?佐々木アナ:子どもが今9歳ですが、少しずつ私から離れていくことですね。でも、こうして育児も結構早く終わっていくんだ、と思うんです。中学生になったら親と一緒にどこかへ行くよりも、友達といたり部活の方が楽しくなったり。中学生のママたちから「もう忙しくて家には寝に帰るだけよ」「ご飯を作ることくらいしか、やることがなくなるよ」とか言われると、こんなに大変だと思うことも意外と短い期間で終わるんだ、と気づく。色々なことが何の宣告もなく終わってしまうのです。おむつもあんなに替えていたけど宣言されずに終わるし、お風呂だっていつの間にか1人で入るし…。
今まで「大好き」と言ったら「僕もママが大好き」と返ってきてコールアンドレスポンスを楽しんでいたのに、ある時「大好き、宝物」と言ったら「もう本当にそれ、やめてもらえるかな。いちいち対処が面倒だから」と言われたんです。思わず「『私のこと好き?』と聞く面倒な彼女みたいだ、私…」と思ってしまいました(笑)。でもそんなことに負けたくないから「お母さんから面倒くささを取ったら何が残ると思ってんの?一生面倒くさいよ」と言って(笑)。
― 強いですね(笑)。
佐々木アナ:「ママ髪切ったんだけど、どう?」とか「スカートとズボンどっちが似合うかな?」とか聞いて「だからそういうのが面倒だって」と返される。もうその会話も楽しんでいます(笑)。でも、そうやって子どもは離れていくんですよね。そうなってくるとこれから自分はどうしよう、と。会社員として生きてきたこれまでの時間よりも、これからの時間の方がもう短いのです。だから本当に自分は何がしたいのか、もう1回考えよう、という悩みはあります。自分はありがたいことにアナウンサーになれたけど、アナウンサーとしてこれから何をするのか、アナウンサーが終わった後には何をしていこうか、とか考えますね。
― そこの結論はまだ出ていないんですか?
佐々木アナ:究極の理想はありますが、そのために何をするかまではまだぼんやりしています。
― 究極の理想というのはどんな夢ですか?
佐々木アナ:みんなに居場所があって、お互いの力を活かし合う社会になってほしい、と本当に思っています。そのために自分の一生をどう使えるのかを考えています。例えば虐待のニュースを聞くと被害者への思いだけでなく、加害者にさせてしまう社会も良くないと思う。では「加害者を生まないためにはどうしたら良いのかな?」とか、そういうことを1つ1つ思っていて…。みんな色々な力をもらって生まれてきて、そのもらった力を使い切ることが自分にとって大事なことだと思うので、何をやるか、これからどうしよう、と悩んでいます。
現在アナウンサーの仕事以外に、CSR(企業の社会的責任)の取り組みで「あなせん※」というプログラムをやっています。そこでは「伝えあうって楽しい」とか「お互いの居場所をちゃんと見つけあえるっていいね」というメッセージを持って、学校でコミュニケーションの授業をしていて、それがすごく自分にとっては大事な仕事になっています。
※フジテレビの“アナウンサー先生(あなせん)”が言葉を通したコミュニケーションの授業を行う、社会貢献活動。『子どもたちのコミュニケーションを応援する』ことを目標に「話す」「読む」「聴く」等、コミュニケーションの基礎となるスキルを伝える。
佐々木恭子アナの夢を叶える秘訣
― では最後に、これまで多くの経験をされた佐々木さんが考える、夢を叶える秘訣を教えて下さい。佐々木アナ:シンプルに叶うまで諦めないこと、ではないでしょうか。あとは勘違いすることも大事だと思います(笑)。例えば受験なら「自分の力がこのくらいだから、行ける学校はどこかな」と探していたら目標は叶わない。今は多分無理で、周りからありえないと言われていたとしても、目指してみたら、ものすごいキャパが広がるかもしれないじゃないですか。「今の自分で行けるところはどこだろう」と思うのは、もっと成熟してからで良いので、若い時は「この学校に行くためには、どうやったら行けるかな?なんの力が足されたら行けるだろう」と考えて、がむしゃらにやれば良いような気がします。
だけど30歳くらいになって「アーティストになりたいんだ。でも生活が…」と言うのはまた違う次元な気がしていて。「〇〇になりたい」という夢は、磁石のように強いものだから、青春時代は「〇〇になりたい」という夢に向かって、できることはすべてやるのが良いと思います。でも、色々な現実の中で夢をどう持つかというと「〇〇になりたい」よりも「〇〇でありたい」ということを考えた方が良いと思います。
アナウンサーになりたい学生さんだとしたら、まずアナウンサーの何が良いんだろうと考える。多くの人に会えるとか、人と話ができるとか、華やかな場に立つとか。きっとその要素はいっぱいあるはず。それを通して「どういう人でありたいのか」を見れば、その職業じゃなくても満たされる夢は、いっぱいあるかもしれません。「アナウンサーになって、自分と関わった人に元気を与えられるような人になりたいんです」という夢をよく聞きますが、これって他の職業でも叶うと思います。なので就きたい仕事に就けなかったからといって、そこで挫折するのではなくて、違う形でも「自分がこうありたいんだ」という理想を持っていれば、夢は叶えられると思っています。
― お話は重複してしまうかもしれませんが、アナウンサーを目指す学生にアドバイスを送るならどんなメッセージがありますか?
佐々木アナ:アナウンサーを目指すならば、言葉を磨くとか、ニュースを知るとかありますけど、まずはテレビを見る。あとは面白い人になることをした方が良いですよ。面白いというのは、珍しいバイトをするとか、何をするとか、ということじゃなくて、興味があるものを片っ端から色々やってみたら良いと思います。それがその人の中で段々熟成されて、深く語れる人になったら面白いことなので。何か特別なことじゃなくても良いから、なんでもやってみたら良いと思う。それに「アナウンサー」ということにあまり縛られない方が良いですよ。スキルは後からいくらでも磨けますから。
― 佐々木さんも面接官をされるそうですが、どんな部分を見ていますか?
佐々木アナ:人間力。漠然としてしまいますが、やっぱりその人がどういう人か、ということを知りたいです。どういうことを考える人なのか、どういうことを感じる人なのかとか。何をやってきたのかではなく、それをやって何を思ったのか。そこにその人にしか出ない味わいのようなものが出てくるはず。決して読みが上手いとか下手だとか、そういう部分だけではないです。それで言うと、私の完成度なんてひどかったでしょうから(笑)。
― ありがとうございました。
(modelpress編集部)
佐々木恭子アナのとある一日
朝6時前から、お弁当作りや家事、軽くランニングなどをして出社。この日は、午前中デスク業務(アナウンス室員の勤務調整)や午後イチから研修業務のあと、都内別の場所で16時から特番ナレーション。
終了後、帰宅。このあと、夕飯からの…子どもたちとの宿題タイムで、もうひと仕事、いやもうふた仕事あって1日が終了。
佐々木恭子(ささき・きょうこ)プロフィール
生年月日:1972年12月17日/出身地:兵庫県/出身大学:東京大学/血液型:O型/入社年:1996年<担当番組>
報道プライムサンデー
FNNプライムニュース イブニング(土)ナレーション
ワイドナショー(日)
「フジテレビ女性アナウンサーカレンダー2019-OUR SEASONS-」
昨年に続き、新美有加アナを中心としたフジテレビアナウンサー室が完全プロデュースし、各月の季節感を色濃く反映しながら日常生活の一場面を切り取った写真は、普段テレビには映らないアナウンサーの素顔が盛りだくさん。入社8年目の竹内友佳と三田友梨佳アナウンサーを筆頭に、後輩アナウンサー全員が参加し、総勢17人が登場。フジテレビアナウンサーをより身近に感じられる内容になった。
仕様:A3変型判(縦425mm×横300mm)/縦型・壁掛けタイプ/オールカラー13ページ
販売場所:全国書店、「フジテレビショップ」ほかで2018年10月1日より販売中。
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