「押せば止まるだろ」記念日旅行の新幹線で非常停止ボタンを押した彼→ホームで私が駅員さんに告げた一言
「なんとかなるって」が口癖の彼
彼は昔から時間にゆるい人です。映画に遅れても、待ち合わせに遅れても、決まって「なんとかなるって」と笑います。そのたびに私が先に動いて、どうにか間に合わせてきました。
この日も改札前に着いたのは約束から15分遅れで、「ごめんごめん」と手を振りながら。急ごうと言う私を置いて、彼は「コーヒーだけ買ってく」と売店へ向かいます。
「本当に間に合わなくなるよ」
「なんとかなるって」
いつもの返事を聞きながら、私はチケットの画面を開いたまま、レジに並ぶ彼の背中を見ていました。
ドアが閉まったホームで
エスカレーターを駆け上がると、ちょうど発車ベルが鳴り終わるところでした。乗るはずだった車両のドアが、目の前で閉まります。新幹線はゆっくりと動き出しました。
次の列車を調べようとスマホを開きかけたとき、彼が柱のほうへ動きました。コーヒーを持っていないほうの手で、非常停止ボタンを押します。
「押せば止まるだろ」
警報音が鳴り響き、動き出していた車両が止まりました。けれどドアは閉まったまま、開くことはありません。
駆けつけた駅員さんは、線路とホームの端を順に確かめてから「ボタンを押されたのはどなたですか」と聞きます。彼はすぐに答えました。
「子どもがホームに落ちそうに見えて」
ホームを見渡しても、ベンチの前にも黄色い線の近くにも、子どもの姿はありません。彼が私の顔を見て、小さくうなずきます。合わせろ、という合図でした。
私は、駅員さんのほうへ一歩前に出ました。
私が駅員さんに告げたこと
「乗り遅れそうになって、彼が押しました。子どもはいませんでした」
彼の顔がこわばりました。「お前、何言って」と言いかけた彼に、駅員さんは「お話を伺いますので、駅員室まで来てください」と告げます。
私も名前と連絡先を伝えると、駅員さんは「お連れ様は、もう大丈夫です」と頭を下げてくれました。
「私はここで帰ります」
「は?記念日だろ」
振り返った彼に、私は首を横に振っただけでした。彼は駅員さんに連れられて、階段を下りていきます。しばらくして新幹線は、私たちを乗せないまま走り去っていきました。
そして...
改札を出て、温泉宿のキャンセルをスマホで済ませました。車内で2人で食べるつもりだった駅弁を1つだけ買って、在来線で家に帰ります。いつも私が走って埋めてきた彼の遅れを、今回は埋めなかった。それだけで、ずいぶん気持ちが軽くなりました。
階段を下りていった彼は、駅員室でもあの「子どもがホームに落ちそうに見えて」を言い続けたのでしょうか。
(20代女性・事務職)
本記事は、ハウコレ読者への独自アンケートに寄せられた実体験をもとに制作していますが、個人が特定されないよう、一部設定を変更しています。
(ハウコレ編集部)
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