杖の女性が目の前に立っても優先席で目を開けなかった俺→「説明する義務はない」と思った理由
靴紐をほどいて座った優先席
右の足首はその場で腫れ始め、駅に着く頃には靴の紐を結んでいられなくなりました。紐をほどき、足を引きずって乗り込んだ車両で、空いていたのは扉の脇の優先席だけでした。
座って、鞄を膝に乗せ、右足を前に投げ出して、目を閉じました。立っている人と目が合えば、譲る譲らないの話になる。それを考えるのが嫌で、先に目を閉じたのです。
なぜ俺が説明する側なんだ
2駅目で、杖が床を打つ音が聞こえてきました。音は通路を進み、俺の目の前で止まりました。膝に力を入れかけて、やめました。片足で立てば、腫れた足首を見せて、事情を口にすることになる。「足をひねりました」と言えば済むことは分かっていました。
それでも、座っている理由を知らない人に説明しないといけないのか、と思いました。俺は立てない。だから座っている。優先席は、杖の人だけの席ではないはずだ。それで十分だろう、と。鞄の持ち手を握ったまま、目を開けませんでした。
「お休みみたいですから、こちらは無理ですね」
女性の声でした。俺に聞こえるように言ったのが分かりました。腹が立ちました。勝手に決めつけて、勝手に嫌味を言う。だったらなおさら説明したくないと思いました。ここで目を開けて事情を言えば、その人の言うとおりにしたことになる。そう思って、まぶたに力を入れました。
杖の音は3駅ぶん俺の前で鳴り続けて、そのまま扉のほうへ遠ざかっていきました。仕方ない、と思いました。後悔したかと聞かれれば、していません。ただ、そのあと終点まで、目を開けられませんでした。
それは、そうです
終点で、車内に残ったのは俺1人でした。ホームの駅員に片手を上げ、肩を借りて降りました。
「足をひねっただけなので、タクシー乗り場までで大丈夫です」
そう言ったところで、扉の脇に立っていた女性と目が合いました。あの声の人だと、すぐに分かりました。女性は鞄の持ち手を握り直して、俺たちのほうへ歩いてきました。
「さっき、聞こえるように言いました。すみませんでした」
「聞こえてました」
頭を下げられても、嫌味を言われたことへの腹立たしさは残っていました。
「でも、別に説明する義務はないと思ってたので」
「そうですか」
女性はそれだけ返して、俺の右足を見ました。分かってて目を閉じてたんですよね、とは言われませんでした。言われなくても、それは、そうです。杖の音が止まったあの数秒が、そのまま戻ってきました。
そして...
駅員と女性で、俺をタクシー乗り場まで送ってくれました。鞄は女性が持ってくれました。礼を言えば、全部認めたことになる気がしていました。乗り込む前、俺は少し黙ってから言いました。
「あの人には、言えばよかったです」
女性は「そうですね」とだけ返しました。説明する義務があると思ったわけではありません。ただ、あの人が目の前で困っていたことまで、仕方ないで済ませるのは違ったと思いました。
数日後、通勤に戻ってからも足をかばって座っていました。杖をついた人などが前に立ったときは、「足を痛めています」と伝えるようになりました。
(40代男性・営業職)
本記事は、読者アンケートに寄せられた実体験をもとにした本人視点の記事を参考に、相手側の心情を想定して制作しています。実際の相手本人への取材ではなく、編集部による解釈を含みます。
(ハウコレ編集部)
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