橋本梨菜 グラビアDVDを「キモー!」 拒絶した18歳が“なにわのブラックダイヤモンド”になるまで
大阪・枚方市の市民ミュージカルや近鉄バファローズのCMをきっかけに芸能界入りした橋本梨菜。18歳のときに初めて見たグラビアDVDには「キモー!」「マジで無理」と拒絶感を抱いたが、コンテストへの出場を機にグラビアの世界へ。やがて「なにわのブラックダイヤモンド」の愛称で人気を集める一方、コロナ禍にはアイデンティティーの揺らぎも経験した。グラビアを「一番好き」と語る現在までの歩みと、33歳を迎えた今の思いを聞いた。(前後編の前編)
――まず、芸能活動のスタートからお聞きします。最初はどのようなお仕事から始まったのでしょうか?
橋本 最初は7歳のときに、枚方市の子どもたちだけで作るミュージカルに出演したんです。そこでステージに立って歌ったり踊ったりすることが、どういうことなのかを初めて知りました。仕事として最初にやったのは、オーディションを受けて出演した近鉄バファローズのCMですね。CMに出演すると近鉄バファローズの年間観戦シートがもらえる一般向けの企画だったんですが、父がものすごく近鉄バファローズのファンで、「出てみなよ」と勧められたんです。それで受けたら出演することになって。そのCMがきっかけで、大阪の事務所から「所属しませんか?」と声をかけていただきました。
――お父さんの勧めがきっかけだったと。ご自身に「芸能界でやっていく」という気持ちはなかったんですか?
橋本 全然なかったですね。芸能活動は本当に流されるように始めて、気づいたらここまで来ているんですよ(笑)。グラビアだって、自分から「やりたい」と思ったわけではなくて、コンテストで賞を獲っちゃったから「じゃあ、やるか」みたいな感じで始まりましたから。
――流されるように芸能界へ入り、大阪の事務所でアイドルグループ「SKETCH(スケッチ)」として活動されます。そのアイドル活動の最中、18歳のときにグラビアDVDのお話をいただいたそうですが、一度断っているんですよね。
橋本 はい。たまに東京にライブをしに来ていたんですが、そのときに、竹書房さんから「DVDを出しませんか?」と声をかけていただいたんです。でも、そもそも「グラビアアイドル」という職業があること自体を知らなくて。水着姿の女性が表紙になっている雑誌を見るたびに、「水着のアイドルがいるんだ」と思っていたくらいでした。
AKB48さんが『ポニーテールとシュシュ』のMVで水着になっているのも、「夏だから」「海辺で踊るから」という感覚で見ていて。それがセクシーなものだったり、男性が「いいな」と思って見るものだったりするというイメージは、全くなかったんです。
――当時の橋本さんにとって、グラビアはかなり衝撃的な世界だった。
橋本 衝撃でしたね。どういうものなのか全然わからなかったので、事務所の方から参考用にDVDを3本くらい渡されたんです。「親御さんと一緒に見て、いいなと思ったらぜひ」と言っていただいたので、家に帰って両親と一緒に見ました。そしたら、制服を着た女の子が、ちょっとずつスカートをまくり上げていくシーンがあって……。それを見た瞬間に「キモー!」って(笑)。「マジで無理。何これ!?」って思いました。お母さんも「こんなんやめとき!」って感じでしたね。
――転機となったのは「汐留グラビア甲子園」だと思います。なぜ、出場することになったのでしょうか?
橋本 大学に行ったものの、特にやりたいことがなくて……。でも、海外がすごく好きだったので、休学して留学しようと思っていたんです。ちょうどそのタイミングで、事務所から声をかけてもらいました。正直、このコンテストで受賞できたら芸能活動を続ける。でも、ダメだったら一般人に戻って留学しようって決めていたんです。だから、私にとっては最後の賭けでした。
――まさかそんな気持ちで臨まれていたとは思いませんでした。コンテストはいかがでしたか?
橋本 水着の女の子が何百人もいる状況がすごく嫌で、めっちゃ落ちたいと思っていました(笑)。しかも、そのコンテストは毎週東京に通わなきゃいけなかったんですけど、次の週に地元の友だちみんなで琵琶湖にバーベキューをしに行く約束をしていたんですよ。だから「バーベキュー行きたいし、絶対に落ちよう!」って(笑)。もちろん、水着の女の子たちと戦えるとも思っていなかったんですけど、まさかの残っちゃって……。
――大阪から通うのも大変だったのでは?
橋本 夜行バスで通っていたんですけど、本当にストレスでした。でも、3週間くらい通ったあたりから、負けず嫌いな性格が出てきちゃって。「ここまで残ったんだったら、何か持って帰らないと!」っていう気持ちになっていきました。
――そして、準グランプリとリップ賞(審査員特別賞)を受賞されました。リップ賞は、現在の所属事務所であるR・I・PからDVDを出せるという賞だったんですね。
橋本 そうなんです。そこから私のグラビア人生が始まっちゃいました。もう「やっちゃった」みたいな(笑)。賞を獲ったからにはDVDを出さなきゃいけないので。
――「やっちゃった」という気持ちから、どのようにグラビアと向き合うようになったのでしょうか?
橋本 賞を獲ったあと、もう一度グラビアのDVDや写真集を見直したんです。映像にはやっぱり苦手意識があったんですけど、写真集やスチール写真を見ていたら、「あ、こんなにもきれいで美しいものなんだな」って、イメージが変わっていきました。グループ活動だと、あくまでグループとして動くじゃないですか。でも、グラビアは自分が主役になれる。それっていいな、やってみたいなって思ったんです。
――そこから初のDVD撮影に臨みますが、最初はかなり怖かったそうですね。
橋本 人生で初めてのグラビアの仕事が、いきなりDVDだったので、めちゃくちゃ怖かったです。最初のショットが、窓辺に三角座りをするポーズだったんですけど、「足を上げたら何をされるかわからない」と思っちゃって、足が上がらなくて(笑)。周りのスタッフさん全員が敵に見えていました。メイクさんも優しくしてくれたんですけど、その優しささえも「私を脱がそうとしてる!」って感じてしまって。怖くて震えちゃいました。
――その状況から、どのように撮影を進めたのでしょうか?
橋本 まず映像じゃなくて、スチール写真から撮ってもらいました。すごくきれいに撮ってもらえたので、「いいな」と思えたことを覚えています。それまでは、自分の胸やくびれを客観的に見ることがなかったんですけど、写真になったらすごくきれいに見えたんです。そこから、「こうやったらもっと胸が大きく見えるのかな」「こうしたら体がきれいに見えるのかな」って、少しずつ学んでいきました。3日間の沖縄ロケだったんですけど、帰りの飛行機の中で、マネージャーさんから「次のDVD、別のメーカーで決まりそうなんだけど、どうする?」って聞かれて、「やります」って答えました。
――一度は強い抵抗感を抱いたグラビアですが、現在はどのように感じていますか?
橋本 グラビアの仕事は、ずっと大好きです。もう、一番好き。撮影も好きだし、南国に行くのも、できあがった作品を見るのも好き。そのためにボディメイクをしたり、衣装やロケーションを考えたり、みんなで一緒に作品を作っていくプロセスがすごく好きなんです。できあがったときの達成感や感動を味わえるのも、グラビアのいいところだと思っています。
▼橋本梨菜(はしもと・りな)1993年9月13日生まれ、大阪府出身。T158、B88・W58・H85。R・I・P所属。2014年に「汐留グラビア甲子園」で準グランプリと審査員特別賞を受賞し、本格的にグラビア活動を開始。「なにわのブラックダイヤモンド」の愛称で注目を集めた。パフォーマンスユニット・sherbetのメンバーとしても活動し、グラビアのほか、バラエティーやドラマ、映画、YouTubeなど幅広く活動している。
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