菅田将暉主演「ミステリと言う勿れ」現代を生きる人々に刺さる“名言”5つ<振り返り>
2022.03.21 18:00
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俳優の菅田将暉が主演を務めるフジテレビ系月9「ミステリと言う勿れ」(毎週月曜よる9時~)。ここでは、これまでの放送で反響の大きかった名言を紹介する。
累計発行部数1,300万部突破の人気コミックが原作の本作は、天然パーマがトレードマークの主人公・久能整が淡々と自身の見解を述べるだけで難事件や人の心の闇を解きほぐしていく、令和版・新感覚ミステリー。菅田のほか、伊藤沙莉、尾上松也らが出演する。
取り調べが進むうちに事件の矛盾点に気づいた整。自身のえん罪を青砥の前で証明すると、青砥はかつて裁けなかった犯人を「いつか捕まえてやる」と豪語する。
そこで整が言ったセリフ。
「真実は1つなんかじゃないですよ。真実は人の数だけあるんです。人は主観でしか物を見れない。自分が正しいとしか言えない。真実とかあやふやなことに囚われているからえん罪事件が起きるんじゃないですか?」
既成概念に囚われた青砥たちは、この言葉によって新たな視点に気付いた。
<読者コメント>
「真実という言葉の意味を考えさせられました。目からウロコでした」
「他にも色んな名言があるけど、全て今まで何気なく見てきたり、聞いてたりすることが当たり前じゃないということに気付かされました。真実は人の数だけあって、事実は1つ。すごく納得する言葉でした」
「『真実は1つ』という台詞をよく聞くので『ハッ!』とさせられました」
「自分ではこれまでに考えたことがないことで、整の思考、視点が面白いと思った」
「人それぞれ見えてる世界も感じ方も違うということを改めて感じた」
犬堂邸に到着し、犯人から「これまで犯した最も重い罪」を聞かれた乗客たち。淡路一平(森永悠希)は子どもの頃にいじめっ子から指示を受けて駄菓子屋で万引きを繰り返していたところ、その店が潰れてしまったと告白した。
そして「あの頃は今みたいに『逃げていいよ』って誰も言ってくれなかった。逃げちゃダメだった。学校も休めなかった。逃げたかった。本当はずっとずっと逃げたかったのに」と吐露。さらに整は、“日本のいじめ”に対して持論を展開した。
「僕は常々思ってるんですが、どうしていじめられている方が逃げなきゃならないんでしょう。欧米の一部では、いじめている方を病んでいると判断するそうです。いじめてなきゃやってられない程、病んでいる。だから隔離して、カウンセリングを受けさせて、癒すべきだと考える。でも日本は逆です。いじめられている子に逃げ場を作ってなんとかしようとする。でも逃げると学校にも行けなくなって、損ばかりすることになる。DVもそうだけど、どうして被害者の方に逃げさせるんだろう。病んでいたり、迷惑だったり、恥ずかしくて問題があるのは加害者の方なのに」
これを聞いた淡路は、これまでに抱えていた罪悪感から開放されたようにその場に崩れ落ち、涙を流していた。
<読者コメント>
「ずっと自分自身もいじめられる側よりいじめる側の人間が異常だと同じ事を思っていた」
「被害を受けた側の生活に負担が増えるのはおかしい。被害者を変えるよりも、加害者が変わるべき。心が病んでるに違いない加害者を隔離、療養させるべき」
「同じように思うから。被害者は学校に行く権利、授業を受ける権利を阻害されているのに加害者は賠償もせず、のうのうと学校に通うなんておかしい」
「自身も小学生の頃、いじめている側の女の子を見ていて同じ様に思っていたことを思い出した」
「西洋でそういった考え方があるとは知らなくて、心を打たれた」
この行動について「あなたは人を殺したんじゃなくて、ただ片付けただけなんですよね?」と分析した整。この分析から愛珠を殺した犯人が煙草森であることを突き止めた。
衝撃の展開に唖然とする他の乗客たちを前に、整は冷静に語る。
「制服を着ている人は1人の人間として認識しづらいから、盲点になりがちなんです」
人は職業や外見、人となりなどで先入観を抱いてしまうということを登場人物を始め、視聴者にも突きつけた。
<読者コメント>
「新たな視点に気づかされた」
「見ていた私自身も登場人物たちのようにあっけに取られていたのでこのセリフが印象に残った」
「整の冷静な判断と発言に胸を突かれた」
「他の人が気づかない盲点に気づいた整が純粋にすごい」
「自分もよく周りを見て行動や判断をしていきたい」
その夜、整が寝ようとすると隣のベッドの老人から声をかけられる。隣のベッドにいた元刑事・牛田悟郎(小日向文世)と名乗り、現役時代の話を聞くことに。牛田が「刑事としても負け、長い闘病生活の末病気にも負ける」と漏らすと、整はある疑問をぶつけた。
「どうして闘病っていうんだろう。闘うっていうから勝ち負けが付く」
さらに例として、有名人が亡くなった時に報道で「病には勝てず」「病気に負けて」「闘病の末力尽きて」という言葉が使われることについて言及。
「どうして亡くなった人をむち打つ言葉を無神経に使うんだろう。負けたから死ぬんですか?勝とうとしたら勝てたのに、努力が足りず、負けたから死ぬんですか?そんなことない。僕ならそう言われたくない。勝ち負けがあるとしたら、お医者さんとか医療ですよ。その時点の医療が負けるんです。患者本人が、あなたが負けるんじゃない。人は病に負けたから死ぬんじゃないです。僕はそう思う」
この持論に、牛田は「あんたは若くて当事者じゃないからまだわからんかな。『病と闘うぞ』と思う気持ちも大事なんだよ。その気持ちが必要な時もある」と返していた。
<読者コメント>
「整の視点の鋭さには毎回驚かされる」
「持病があり、それと向き合っている者にとって本当に響く言葉でした」
「身内が亡くなった当時を振り返るきっかけとなり、目頭が熱くなりました」
「父は手術がもう出来ない状態でどうしようもなくて、それでも『生きたい』と奇跡を信じていたがどうにもならなかった。そんな父が医療ドラマを見て、自分と同じ病気の患者に対して『(テレビの中では)手術して治ってるのに…』とふと呟いたのを思い出しました。整くんの言葉に涙が止まりませんでした」
「整が話した『闘病』という言葉の受け取り方に共感した」
梅津は、宗像の娘が一度も見舞いに来ず、遺体も遺品も引き取らなかったことに対して「そんなのひどくない?どんなに仲が悪くても最後くらい…」と感情をあらわに。そこで整は持論を展開した。
「その人の娘さんがひどいかどうかはわかりません。子どもがそういう風な態度をとる場合、大抵親の方が先にひどいことをしています。子どもがそうなるには、理由があります。家族や身内には厳しくても、他人には優しい人っていますから。そのことが、子どもを余計に追い詰める。どっちがひどいかは、僕にはわかりません」
先入観から感情を剥き出しにしていた梅津は、この言葉を聞いて納得していた。
<読者コメント>
「人は表面的な部分を見るだけでは本質を理解できないということを突きつけられた」
「人の表面的な部分ばかり見て判断していたことに気づかされた」
「外面的なところだけを見て、相手を誤解していたことが自分にもあったのではと振り返るきっかけになった」
「表面だけじゃ分からない部分を暴くけど、最後には優しく包んでくれる整さん素敵すぎる」
「見えている部分だけが正しいことではないと思った」
これに対して整は「向いてるから教師になりたいわけではないです」と返答。このやりとりを聞いていた天達は、整にこう投げかける。
「自分に苦手なものがあると認識している教師は、生徒にも苦手なものがあると理解できる。自分ができることは人もできると信じている教師は、多くを取りこぼすことになる」
この天達の言葉で、笑顔を取り戻すのであった。
<読者コメント>
「自分が病気になったことで、当事者の心情を理解できた経験があった」
「似たコンプレックスを持っていたので共感した」
「整が敬愛する心理学の先生らしい、深い洞察のある言葉だなと思った」
「日本中の教師と教師の卵達に見てほしい」
「共感しすぎて声をあげてしまった。前者でありたいと思う」
21日に放送される第11話の予告には俳優の永山瑛太演じる我路が再登場。今後も目が離せない展開となりそうだ。
(modelpress編集部)
情報:フジテレビ
「真実は1つなんかじゃないですよ。真実は人の数だけあるんです」(第1話)
第1話では整と同じ高校の出身で同じ大学に通う寒河江健(藤枝喜輝)の遺体が公園で発見される。さらに寒河江を殺害した果物ナイフが見つかり、そこから整の指紋が検出。整は大隣警察署の刑事、薮鑑造(遠藤憲一)と青砥成昭(筒井道隆)の聴取を受け、無実を訴え続けた。取り調べが進むうちに事件の矛盾点に気づいた整。自身のえん罪を青砥の前で証明すると、青砥はかつて裁けなかった犯人を「いつか捕まえてやる」と豪語する。
そこで整が言ったセリフ。
「真実は1つなんかじゃないですよ。真実は人の数だけあるんです。人は主観でしか物を見れない。自分が正しいとしか言えない。真実とかあやふやなことに囚われているからえん罪事件が起きるんじゃないですか?」
既成概念に囚われた青砥たちは、この言葉によって新たな視点に気付いた。
<読者コメント>
「真実という言葉の意味を考えさせられました。目からウロコでした」
「他にも色んな名言があるけど、全て今まで何気なく見てきたり、聞いてたりすることが当たり前じゃないということに気付かされました。真実は人の数だけあって、事実は1つ。すごく納得する言葉でした」
「『真実は1つ』という台詞をよく聞くので『ハッ!』とさせられました」
「自分ではこれまでに考えたことがないことで、整の思考、視点が面白いと思った」
「人それぞれ見えてる世界も感じ方も違うということを改めて感じた」
「いじめられている子に逃げ場を作ってなんとかしようとする」(第2話)
整がバスジャックに巻き込まれた第2話。兄弟のふりをしてジャックした犯人は、妹・犬堂愛珠(白石麻衣)を殺した人物を捜索していた。愛珠は最後にバスに乗っていたことから、その路線バスを日頃から使っている乗客に絞ってバスジャックを実行した。犬堂邸に到着し、犯人から「これまで犯した最も重い罪」を聞かれた乗客たち。淡路一平(森永悠希)は子どもの頃にいじめっ子から指示を受けて駄菓子屋で万引きを繰り返していたところ、その店が潰れてしまったと告白した。
そして「あの頃は今みたいに『逃げていいよ』って誰も言ってくれなかった。逃げちゃダメだった。学校も休めなかった。逃げたかった。本当はずっとずっと逃げたかったのに」と吐露。さらに整は、“日本のいじめ”に対して持論を展開した。
「僕は常々思ってるんですが、どうしていじめられている方が逃げなきゃならないんでしょう。欧米の一部では、いじめている方を病んでいると判断するそうです。いじめてなきゃやってられない程、病んでいる。だから隔離して、カウンセリングを受けさせて、癒すべきだと考える。でも日本は逆です。いじめられている子に逃げ場を作ってなんとかしようとする。でも逃げると学校にも行けなくなって、損ばかりすることになる。DVもそうだけど、どうして被害者の方に逃げさせるんだろう。病んでいたり、迷惑だったり、恥ずかしくて問題があるのは加害者の方なのに」
これを聞いた淡路は、これまでに抱えていた罪悪感から開放されたようにその場に崩れ落ち、涙を流していた。
<読者コメント>
「ずっと自分自身もいじめられる側よりいじめる側の人間が異常だと同じ事を思っていた」
「被害を受けた側の生活に負担が増えるのはおかしい。被害者を変えるよりも、加害者が変わるべき。心が病んでるに違いない加害者を隔離、療養させるべき」
「同じように思うから。被害者は学校に行く権利、授業を受ける権利を阻害されているのに加害者は賠償もせず、のうのうと学校に通うなんておかしい」
「自身も小学生の頃、いじめている側の女の子を見ていて同じ様に思っていたことを思い出した」
「西洋でそういった考え方があるとは知らなくて、心を打たれた」
「制服を着ている人は1人の人間として認識しづらいから、盲点になりがちなんです」(第3話)
第3話は、第2話から続くバスジャック編。整は、バスの運転手・煙草森(森下能幸)が犬堂邸で落ちた食べ物をゴミ箱に捨てずにカーペットの下に押し込んだり、食べ終わった骨付き肉の骨を皿の下に入れたりしていた行動に着目した。この行動について「あなたは人を殺したんじゃなくて、ただ片付けただけなんですよね?」と分析した整。この分析から愛珠を殺した犯人が煙草森であることを突き止めた。
衝撃の展開に唖然とする他の乗客たちを前に、整は冷静に語る。
「制服を着ている人は1人の人間として認識しづらいから、盲点になりがちなんです」
人は職業や外見、人となりなどで先入観を抱いてしまうということを登場人物を始め、視聴者にも突きつけた。
<読者コメント>
「新たな視点に気づかされた」
「見ていた私自身も登場人物たちのようにあっけに取られていたのでこのセリフが印象に残った」
「整の冷静な判断と発言に胸を突かれた」
「他の人が気づかない盲点に気づいた整が純粋にすごい」
「自分もよく周りを見て行動や判断をしていきたい」
「どうして亡くなった人にむち打つ言葉を無神経に使うんだろう」(第5話より)
爆弾魔事件で頭を打った整。外傷などはなかったものの念のため大隣総合病院で検査入院をすることになってしまった。その夜、整が寝ようとすると隣のベッドの老人から声をかけられる。隣のベッドにいた元刑事・牛田悟郎(小日向文世)と名乗り、現役時代の話を聞くことに。牛田が「刑事としても負け、長い闘病生活の末病気にも負ける」と漏らすと、整はある疑問をぶつけた。
「どうして闘病っていうんだろう。闘うっていうから勝ち負けが付く」
さらに例として、有名人が亡くなった時に報道で「病には勝てず」「病気に負けて」「闘病の末力尽きて」という言葉が使われることについて言及。
「どうして亡くなった人をむち打つ言葉を無神経に使うんだろう。負けたから死ぬんですか?勝とうとしたら勝てたのに、努力が足りず、負けたから死ぬんですか?そんなことない。僕ならそう言われたくない。勝ち負けがあるとしたら、お医者さんとか医療ですよ。その時点の医療が負けるんです。患者本人が、あなたが負けるんじゃない。人は病に負けたから死ぬんじゃないです。僕はそう思う」
この持論に、牛田は「あんたは若くて当事者じゃないからまだわからんかな。『病と闘うぞ』と思う気持ちも大事なんだよ。その気持ちが必要な時もある」と返していた。
<読者コメント>
「整の視点の鋭さには毎回驚かされる」
「持病があり、それと向き合っている者にとって本当に響く言葉でした」
「身内が亡くなった当時を振り返るきっかけとなり、目頭が熱くなりました」
「父は手術がもう出来ない状態でどうしようもなくて、それでも『生きたい』と奇跡を信じていたがどうにもならなかった。そんな父が医療ドラマを見て、自分と同じ病気の患者に対して『(テレビの中では)手術して治ってるのに…』とふと呟いたのを思い出しました。整くんの言葉に涙が止まりませんでした」
「整が話した『闘病』という言葉の受け取り方に共感した」
「家族や身内には厳しくても、他人には優しい人っていますから」(第6話)
第6話では、大隣総合病院の敷地内にある温室でライカ(門脇麦)と、その温室を管理している梅津真波(阿南敦子)と出会った整。温室には、ビニール袋に入ったバッグが埋められており、梅津と親交の深かった宗像という老人の女性が娘に贈るために用意していたものだった。梅津は、宗像の娘が一度も見舞いに来ず、遺体も遺品も引き取らなかったことに対して「そんなのひどくない?どんなに仲が悪くても最後くらい…」と感情をあらわに。そこで整は持論を展開した。
「その人の娘さんがひどいかどうかはわかりません。子どもがそういう風な態度をとる場合、大抵親の方が先にひどいことをしています。子どもがそうなるには、理由があります。家族や身内には厳しくても、他人には優しい人っていますから。そのことが、子どもを余計に追い詰める。どっちがひどいかは、僕にはわかりません」
先入観から感情を剥き出しにしていた梅津は、この言葉を聞いて納得していた。
<読者コメント>
「人は表面的な部分を見るだけでは本質を理解できないということを突きつけられた」
「人の表面的な部分ばかり見て判断していたことに気づかされた」
「外面的なところだけを見て、相手を誤解していたことが自分にもあったのではと振り返るきっかけになった」
「表面だけじゃ分からない部分を暴くけど、最後には優しく包んでくれる整さん素敵すぎる」
「見えている部分だけが正しいことではないと思った」
「自分に苦手なものがあると認識している人は、生徒にも苦手なものがあると理解できる」(第8話)
第8話で整は、教授の天達春生(鈴木浩介)から誘われたミステリー会に風呂光と参加。会が開かれた別荘の主人で天達の高校の同級生の蔦薫平(池内万作)は、整が教師を目指していることを知り「大丈夫か~?なんかあんまり向いていないような気がするけど」と皮肉めいた発言をした。これに対して整は「向いてるから教師になりたいわけではないです」と返答。このやりとりを聞いていた天達は、整にこう投げかける。
「自分に苦手なものがあると認識している教師は、生徒にも苦手なものがあると理解できる。自分ができることは人もできると信じている教師は、多くを取りこぼすことになる」
この天達の言葉で、笑顔を取り戻すのであった。
<読者コメント>
「自分が病気になったことで、当事者の心情を理解できた経験があった」
「似たコンプレックスを持っていたので共感した」
「整が敬愛する心理学の先生らしい、深い洞察のある言葉だなと思った」
「日本中の教師と教師の卵達に見てほしい」
「共感しすぎて声をあげてしまった。前者でありたいと思う」
21日に放送される第11話の予告には俳優の永山瑛太演じる我路が再登場。今後も目が離せない展開となりそうだ。
(modelpress編集部)
情報:フジテレビ
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