太田光のプロフィール
太田 光(おおた ひかり)
1965年5月13日
お笑いタレント、漫才師、文筆家
田中裕二との漫才コンビ爆笑問題のボケならびにネタ作成を担当
埼玉県出身
タイタン所属
略歴
1965年5月13日、太田三郎を父として埼玉県上福岡市で誕生。2012年3月21日に亡くなった父親の三郎は建築士で、書道も嗜んでおり文学やお笑いにも興味を持っていた人である。「光」と命名したのは父三郎で、正しい「right」と明るい「light」という意味を掛けて「ライト」と名付けたかったが、漫才師のコロムビア・トップ・ライトと同じになるのでそれは避けて「光」としたといい、光り輝くように、という意味も込めたという。母親は女優志望で、俳優養成所に所属していた事があり、光は幼少時より母に連れられて舞台を観にいっていた。光に兄弟はおらず、一人っ子である。
1972年 上福岡市立第二小学校(現:ふじみ野市立上野台小学校)入学し、1975年に上福岡市立第六小学校(現:ふじみ野市立元福小学校 )へ転入、1978年3月同校卒業。同年4月上福岡市立第二中学校(現:ふじみ野市立葦原中学校)入学、1981年3月同校卒業。同年大東文化大学第一高等学校入学、1984年3月同校卒業。同年4月日本大学芸術学部入学、1985年に中退(退学届を出していないため、その後に除籍扱い)。
日本大学芸術学部演劇学科で田中裕二と知り合う。二人で1988年3月に爆笑問題を結成し現在に至る。(→爆笑問題#過去の出演番組、#出演番組)
1990年9月26日、当時同じ事務所(太田プロダクション)だった元タレントで現在のタイタン社長である太田光代(当時は松永光代)と結婚。恐妻家。妻は豪快な人物で、彼女との奇妙な結婚生活はエピソードに事欠かない。光代との間には、子供はいない。
人物
Question book-4.svg この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2012年5月)
芸風
公の場で無軌道な言動・行動・ボケ・意見をすることが多く、それが批判されることが多いにもかかわらず、あまりにもそうしたことを繰り返すため、「バカッター芸人」とも呼ばれている。自身の過激な言動・行動が原因で妻の光代から叱責されることもよくある。そのため、漫才や雑誌の連載では他人の失言を批判する発言やボケをすると、田中から「日頃から失言しているお前に言われたくない」と突っ込まれることもよくある。なお、太田はこれらの振る舞いや自分の意見を番組で述べることについて「自分は憧れているビートたけしとは別物である」といった思いの表れであることを述べている。ただし、元マネージャーが覚せい剤取締法違反容疑で逮捕されたことが報道された際には「サンジャポ」で防げなかったことへの責任を述べ、謝罪するなどすべての物事に無軌道なわけではない。
古館伊知郎は太田のボケを「あたかも意味のある興味深いトークをしているようで、どこまで意味があるの?っていう思いが募った時に、完全にその意味のあるテレビサイズのトークを無意味化する。これって気持ちいいんですよ」と評している。
共演する女性に対しては太田独自のあだ名を付けるが、「ワンちゃん」「アプリ子ちゃん」「イランちゃん」など単純なものが多い。
代表的ギャグ
ほとんどのフレーズは「ユーキャン主催の新語・流行語大賞のノミネートを狙う」としながら思いつきで乱発しているものであるが、現時点ではノミネートされたことはない。
(中指と人差し指を額につけ、相手に向けて)ピップ
2005年頃に行なったギャグ。『爆笑問題カーボーイ』でも「私もピップやってみました」というコーナーをつくって、リスナーに流行させようとした。
(親指と人差し指でメガネを作ったあと両人差し指を前に出し)プシュー!
プーライ!
その前はプレイ!というフレーズを述べていたが、のちにこれに定着した。
どゆこと!?
2010年頃に『笑っていいとも!』でタモリと行ったギャグで、2010年女子中高生ケータイ流行語大賞にもノミネートされ、若者が使用する略語の元となった。このフレーズは爆笑問題が司会を務める『世界の日本人妻は見た!』(MBS系)でも多用されている。
とても楽スミダ
2011年に行なわれていたギャグ。
こっちかんぴょう巻き、この人かっぱ巻き
2013年頃に『笑っていいとも!』でタモリと行っていたギャグ。2014年3月26日放送ではこれをベースにした漫才をタモリと行っている。
ションベンちびるかと思った~!!
2013年頃に行なっていたギャグ。事務所の後輩の日本エレキテル連合もこのギャグを使用したことがある。
はい、こちらポンポコ商事です
2015年に『爆笑問題カーボーイ』のコーナー「太田流行語大賞」をきっかけに行っていたギャグ。このギャグを流行させたいため、田中が山口もえと再婚した際にはこの結婚を「ポンポコ婚」と勝手に命名していた。同年のガジェット通信主催のネット流行語大賞2015にノミネートされていた。
映画愛好
映画鑑賞が趣味であり敬愛する映画監督にチャールズ・チャップリン、ウディ・アレン、ジョージ・ロイ・ヒル、テリー・ギリアム、黒澤明などを挙げている。
自らの指揮での映画製作を目標に挙げており、制作に向けて映画製作会社と共に内容に関して打ち合わせをしているが、「シナリオがつまらない」という理由でことごとく否決されていることを明かしている。
読書愛好、文学愛好
読書家で、年100冊を超えるペースで本を読む。敬愛する作家にヴォネガット、アーヴィング、サリンジャー、カポーティ、太宰治、宮沢賢治、向田邦子、司馬遼太郎、板倉俊之など。高校時代の愛読書は亀井勝一郎、島崎藤村。ヴォネガットファンとして有名で、事務所の名前「タイタン」や飼っていたオカメインコの名前「キルゴア」はヴォネガットの作品に由来するもの。アーヴィングとは新潮社出版『対談の七人』にて対談を行ったこともある。
村上春樹については批判的で「会話が翻訳的であり、登場人物に人間味がない」と意見を述べている。一方で村上作品については全て読んでいる。『羊をめぐる冒険』などの初期の作品については肯定している。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』以降の作品から否定的である。
『知るを楽しむ・私のこだわり人物伝』(NHK教育、2005年6月)では、向田邦子とドラマ『阿修羅のごとく』を語った「女と男の情景」と題した講義を担当し、2006年元日には村松友視とお互いの講義した人物について語る特別番組が放送された。
2009年から文藝春秋社で刊行されている『向田邦子全集〈新版〉』の月報をはじめ、向田邦子関連のコラムを多く執筆している。
『小説新潮』1997年12月号に近未来SF短編『終末のコメディ』が掲載された。また、2010年には短編集『マボロシの鳥』、2012年には短編集『文明の子』を出版している。
太田の父親・三郎が文学青年だったころ、小説持ち込みのために太宰治のもとを訪ねたことがあるといっている。
アニメ、ゲーム
本人曰く、アニメマニアで、TVアニメ『魔法少女まどか☆マギカ』の脚本家の虚淵玄を『爆笑問題の日曜サンデー』のゲストに呼んで対談もした。アニメ『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』には、切なくて立ち直れなかったと語っている。
スタジオジブリ作品に関しては、『未来少年コナン』以外の宮崎駿作品は説教臭くて嫌いで、高畑勲を好むことを公言しており、2014年には高畑の『かぐや姫の物語』の映像ソフト化に際して、スタジオジブリプロデューサーの鈴木敏夫から新しいキャッチコピーを創出する「特命コピーライター」に任命された。
ゲーム『MOTHER』の大ファンで、製作者の糸井重里の公式ウェブサイト『ほぼ日刊イトイ新聞』では対談が掲載された。『ドラゴンクエスト』もプレイしており、製作者ともゲームについて語っている。
政治・思想について
自らの番組、エッセイ等で政治的信条を語ることがある。日本国憲法第9条を含め、護憲に対して例外を除き基本的に肯定的で、安全保障・国防などの持論が批判され、「太田総理」で発表したマニフェストがことごとく否決されるゆえに思想的には左派寄りであり、現実離れした主張をしていると言われることがある。その一方で少年犯罪に対する実名報道に賛意を示す、民主党政権に対し当初こそは日本を良くすることを期待していたが、数々の醜態を目の当たりにして以降は批判的な姿勢をとるようになる、天皇陛下・皇室への尊敬の念を述べ、2013年秋に園遊会で天皇陛下に政治的内容が書かれた手紙を渡し問題となった山本太郎に違和感を示す、中国や北朝鮮に対し一定の憤りを述べる、 靖国神社への参拝やA級戦犯の合祀に理解を示す、市民団体によるデモ活動については、結果的に批判の対象を利することになるという見解を示す、仮に在日アメリカ軍が撤退された場合には日本国憲法第9条の改正に賛成することを示唆するなどの側面もみられている。なお、本人は政治的立場について右派でも左派でもない中道と述べている。こういった発言をするために、度々政界進出の噂がささやかれることもあるが、太田本人はこれを否定しており、政治家を信用していないといった発言もしている。また、自らが政治を語ることについては前述の通り「自分はビートたけしとは別物である」といった思いの表れであるとともに、そうした事をしない方がかっこいいと思っているとも発言している。
自らと考えが一部異なる雑誌『WiLL』→『Hanada』で「爆笑問題の日本原論」を連載していたり、 小泉純一郎・安倍晋三政権時の桜を見る会に出席し、特に安倍政権の際には安倍本人とも会話を交わし自身の番組への出演を依頼し、安倍本人も「呼んでください」といった返事をする、橋下徹とメールで親交を持つ、立川談志や三島由紀夫を評価し尊敬していたように保守的姿勢の者に対しても議論さえしなければ許容している。これについては、「政策が違うから会わないと言うのは幼稚」「平和のため、命を守るため、ただそれの道筋が、考え方が違うだけ」といった持論が語られている。
なお、「日本原論」については「あくまで漫才のネタを載せているだけで政治主張をしているわけではない」「連載自体が転々としているのでどの雑誌でもいい」としており、町山智浩から「場違いという意識はあるか」と聞かれたが、それについても「ない」と答えており、「もともと自分の文章も読み返したくない」とも述べている。
「日曜サンデー」でたびたび共演した大橋巨泉は時折太田の方法論を疑問視する発言をし、太田と論争になることも多かった。ただし、両者とも戦争に反対する姿勢は信頼し尊敬しあっていた。
2006年に「太田が靖国神社の取り壊しを求める発言をした」と2ちゃんねるでデマを流され、真に受けた右翼の若島和美らに事務所へ押しかけられた事がある。こうした事があるため、ネット掲示板で太田の発言と書かれているもので具体的な証拠の無いものはネットユーザーによる創作の可能性があるので注意が必要である。
交友関係など
サザンオールスターズの大ファンで、2008年のラジオ共演をきっかけに桑田佳祐とメールでの親交もあり、2013年のサザンの活動再開を事前に桑田から知らされていたり、2016年のタイタン創立20周年記念ライブに桑田を招待したほどである。サザンのファンになる前はアリスの楽曲を好んで聴いていた。他に好きな歌手はジャニス・ジョプリン、スティーヴィー・ワンダー、エルヴィス・コステロ、石野真子、さだまさし、佐野元春、Mr.Children、SMAP、GLIM SPANKY、藤岡みなみ&ザ・モローンズ、ASKAなど。
SMAPの大ファンであることを公言しており、メンバーの仲の良さなどをラジオやテレビで熱く語ることが多かった。それが縁で「We are SMAP!」の作詞も担当したほどであり、それゆえに同グループが解散することが発表された際にはショックを受けたことと、内情について「本人たちにしかわからない事」と前置きをし、メンバー全員を心配する発言をしている。また、ジャニーズ事務所の対応に対して苦言を呈している。
木村拓哉とメールで親交を持っている。
その他
ヘビースモーカーでタバコを多い時には1日に40本を吸うことがある。しかし、2008年の人間ドックでの肺検査(呼吸機能・胸部CT・喀痰細胞診)では異常が見られなかった。
携帯電話を所有していない。また、自らの発言がネット上で話題となることについては「気にならない」と述べている。
インターネットに対しては「ネットは罪だよね。ネットはホントになくしたほうがいいと思う」といった批判的な発言を頻繁にしている。ただし、その一方で太田本人も原稿の執筆や、調べ物・買い物などでパソコンは利用しており、「逆に言うといまネットがなくなったら俺は生きていけない」「そこがジレンマだよね。こんな便利なものはないと思うけど、こんな面倒くさいものもないっていうのはある」といった発言もしている。
身長は170cm。
尊敬する落語家・立川談志から「(相方の)田中だけは切るなよ」「別れなさんな(コンビを解消するな)」と忠告された。
田中編と太田編で特集された『情熱大陸』(MBSテレビ・TBS系、2010年5月16日・5月23日)では田中編の方が視聴率が高く、「ショック隠しきれないですから」と発言した(田中編は5月16日に、太田編は5月23日にそれぞれ放送された)。
現在の出演番組
さんまのお笑い向上委員会(2015年4月18日 - 5月2日、5月30日 - 6月20日、フジテレビ)
連続トークショー 太田上田(中京テレビ、2015年8月31日 - )毎週月曜日 - 金曜日深夜
過去の出演番組
バラエティ
笑っていいとも!(2000年4月 - 2014年3月、フジテレビ) - 水曜レギュラー
侃侃諤諤(2013年10月 - 2014年3月、テレビ朝日)
太田と上田 能天気な人生論(2014年5月20日 - 2015年1月10日、BeeTV)
ゲスト出演
王様のブランチ(2010年10月30日、TBS)
しゃべくり007(2011年1月24日、日本テレビ)
あさイチ(2012年2月3日、NHK総合)
S☆1(2012年11月17日・18日、TBS) - 田中が緊急入院(田中裕二 (お笑い芸人)#来歴を参照)した際の代理キャスター
櫻井有吉アブナイ夜会(2014年4月17日、TBS)
ドキュメンタリー
知るを楽しむ・私のこだわり人物伝「向田邦子・女と男の情景」(2005年6月、NHK教育)
ラストデイズ「忌野清志郎×太田光」(2014年5月2日、NHK総合)
テレビドラマ
世にも奇妙な物語「不幸の伝説」(1992年、フジテレビ)
悪いこと「確率」(1992年、フジテレビ) - 脚本兼任
映画
バカヤロー!2 幸せになりたい。第2話「こわいお客様がイヤだ」(1989年)
おいしい結婚(1991年) - マネー・トランジットセブンの店員A 役
マコトノハナシ第4話・第5話(1992年)
草の上の仕事(1993年)後藤直樹との共主演
たどんとちくわ(1998年) - タクシーの乗客 役
模倣犯(2002年) - 太田光 役
ゲーム
TIZ -Tokyo Insect Zoo-(1996年) - ザッカ 役
海外アニメ
アイス・エイジシリーズ - シド 役
アイス・エイジ(2002年)
アイス・エイジ2(2006年)
アイス・エイジ3/ティラノのおとしもの(2009年)
アイス・エイジ/クリスマス(2011年)
アイス・エイジ4/パイレーツ大冒険(2012年)
アイス・エイジ5/止めろ!惑星大衝突(2017年)
人形劇
連続人形活劇 新・三銃士(2010年、NHK教育) - ルミエール 役
ラジオ
立川談志・太田光 今夜はふたりで(2007年10月6日 - 2008年3月29日、TBSラジオ)
今晩は 吉永小百合です(2010年8月8日・8月15日、TBSラジオ)
桑田佳祐のやさしい夜遊び(2010年10月30日、JFN系)
よんぱち 48hours ~WEEKEND MEISTER~(2012年2月3日 - 、TOKYO FM)
ラジオワールド - 爆笑問題・太田光が訊く 瀬戸内寂聴の戦後70年(2015年7月19日、TBSラジオ)
ゆく小木、くる小木、ぼく矢作(2015年12月31日、TBSラジオ)番組後半に乱入。
木曜JUNKおぎやはぎのメガネびいき(2016年1月1日、TBSラジオ)「ゆく小木、くる小木、ぼく矢作」の後半から跨いでOPに出演。
DVD
笑う超人 立川談志×太田光(2007年)※企画・演出・出演
CM
アサヒビール「スーパーモルト」
明治製菓「MINTZ」
監督
バカヤロー!4 YOU! お前のことだよ 第1話「泊ったら最後」(1991年)
著書
爆笑問題名義の著書は爆笑問題#出版を参照のこと。なお、爆笑問題名義でも多くは太田1人で執筆している(原稿料・印税は田中にも配分されている)。
カラス(34歳までの人生をインタビュー形式で振り返る虚実入り乱れた自伝、1999年、小学館)
爆笑問題 太田光自伝 (『カラス』を改題・文庫化、2001年、小学館文庫)
ザ・ロングインタビュー(4) 人は、なぜ笑うのか?(BSフジの番組『ザ・ロングインタビュー』を再構成、2001年、扶桑社)
パラレルな世紀への跳躍(2003年、ダイヤモンド社、ISBN 978-4478942048 / 集英社文庫版:2007年)
天下御免の向こう見ず(爆笑問題名義の単行本から太田のエッセイのみを選り抜き文庫化、2004年、幻冬舎文庫)
ヒレハレ草(同上、2004年、幻冬舎文庫)
三三七拍子(同上、2004年10月、幻冬舎文庫)
NHK知るを楽しむ(火) 私のこだわり人物伝 (「向田邦子 女と男の情景」、2005年、日本放送出版協会)
トリックスターから、空へ(2006年、ダイヤモンド社 / 新潮文庫版:2009年)
マボロシの鳥(2010年、新潮社)
絵本マボロシの鳥(影絵・藤城清治、2011年、講談社)
向田邦子の陽射し(2011年、文藝春秋)
しごとのはなし(2011年、ぴあ)
文明の子(2012年、ダイヤモンド社)
共著
憲法九条を世界遺産に(中沢新一との共著、2006年、集英社新書)
禁煙バトルロワイヤル(奥仲哲弥との共著、2008年、集英社新書)
爆笑問題と考える いじめという怪物(NHK「探検バクモン」取材班との共著、2013年、集英社新書)
編集
チビカミ(小沢友紀子著、『爆笑問題のススメ』の企画により発行、2004年、フィールドワイ)
音楽
アラレ!パラレ!(作詞を担当、フジテレビ系テレビアニメ『ドクタースランプ』オープニングテーマ、作曲・編曲:太田美知彦)
飲茶楼で、めちゃうまかろう(作詞を担当、白部真一との共作、作曲:山野直子・内山肇、編曲:會田茂一、JT・清涼飲料水CM曲)
We are SMAP!(作詞を担当、歌:SMAP、作曲・編曲:久石譲)
ヒマワリ(作詞を担当、歌: 田原俊彦、作曲: 宮地大輔・大野裕一、編曲:大野裕一)
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