<女子アナの“素”っぴん/島田彩夏アナ>虐待死報道で見せた涙「母として平静ではいられない」新たに生まれたやりがい【「フジテレビ×モデルプレス」女性アナウンサー連載】
2019.06.16 17:00
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「フジテレビ×モデルプレス」女性アナウンサー連載『女子アナの“素”っぴん』―――― Vol.39~40は1998年入社の島田彩夏(しまだあやか・45)アナウンサー。
「才色兼備」と呼ばれる彼女たちも1人の女性。テレビ画面から離れたところでは、失敗して泣いていたり、悔しくて眠れなかったり、自分の居場所に悩んでいたり…。それでも気持ちを落ち着かせて、どうしたら視聴者に楽しんでもらえるのか、不快感を与えないのか、きちんと物事を伝えられるのか、そんなことを考えながら必死に努力をしている。本連載ではテレビには映らない女性アナの“素”(=等身大の姿)を2本のインタビューで見せていく。
前編はこれまでのアナウンサー人生を振り返りながらターニングポイントに迫るもの、後編は彼女たちが大切にする「5つの法則」をメイク・ファッション・体調管理といったキーワードから問う。
――――久慈暁子アナの後を引き継ぎ、20人目に登場するのは島田アナ。※後編(Vol.40)は7月1日に配信予定。
島田:二十数年もやっていると色々あったのですが、私は基本的にネガティブなんです(笑)。自分の中で理想のアナウンサー像がおぼろげにあって、そこに向かっていきたいのですが、それはやっぱり理想なので、全然たどり着かずいつも落ち込みます。
新人時代はやはり大変でした。ある地方ロケに行った時のことです。今考えると新人だから当然なのですが、ディレクターさんの指示の通りには上手くやれず、「そうじゃなくてさぁ」とため息をつかれてしまったことがありました。会社に戻ってきて「ありがとうございました。お疲れ様でした」と解散した直後、トイレに駆け込んで泣きました。「ありがとうございました」と言いながらもう涙目だったとは思いますが、職場で泣いてはいけないと思っていたので。泣きながら同期の子に電話をして「今どこ?」と聞いたら、その子も泣いていました。今振り返ると笑い話ですね。
― 涙することはいつ頃まで続いたんですか?
島田:しょっちゅうではないですが、今もわりと泣いています(笑)。でも今は、涙は出なくても持続性のある落ち込み方になってきました。バーッと泣いて「明日も頑張ろう!」と切り替えるのではなくて「何でできないんだろう?」ということを考えて、常に自分の中にその葛藤がある感じというか。今でも毎回本当に辞めた方がいいんじゃないかと思うんです。下手すぎて。
― 島田さんほどのキャリアをお持ちでもそんなふうに悩まれるんですね。
島田:だからこそじゃないでしょうか。新人時代のような失敗はしませんが、この年次でこれができた、この年次はこれができた、ということを積み重ねてきて、今の自分はこれをできていたいと思うことができなかったりすると、才能がないのかなと思うわけです。ただ、足を突っ込んでしまった以上やらざるを得ないし、そんな泣き言は言っていられません。反省して次に繋げたいと思っています。
― そういうつらい時はどうやって気持ちを切り替えているんですか?
島田:切り替えは今でも得意ではなくて、一週間くらい引きずります。自分が納得するまでわりと落ち込むタイプです。そうはいっても日常が待ってるじゃないですか。独身時代はそれこそ好きなだけ落ちこめもしましたが今は家族がいるので、その都度その都度で顔がある。母だったり、妻だったり、アナウンサーだったり、普通の女性だったり…。そうやって日常を取り戻していくことで、「あんな失敗もあったけれども乗り越えていかなきゃ」という気持ちになります。
島田:読んでいる途中で泣いてしまいましたが、そんな自分にすごくびっくりしました。さきほども言ったように、仕事中にメソメソ泣くのは良くないと教わった世代ですし、放送中にあんなふうに自分を失ってしまうことはなかなかなかったので。
打ち合わせや下読み段階では大丈夫だと思っていたのですが、やっぱりいざ読み始めると、その時の情景、どういう気持ちであのような幼い女の子が書いたのかがまざまざと浮かんできてしまって、堪えきれませんでした。あの涙について色々なご意見をいただきましたが、お母さん方から「同じ思いです」と言っていただいたことはとても救われました。
― 画面を通して島田さんと思いを共有できたことで、行き場のない気持ちが救われたお母さんはたくさんいたと思います。
島田:子どもは自分1人では生きていけないんですよ。私も自分の子どもがまだほんの赤ちゃんだった頃は特に、可愛いというよりもこの子をなんとかして生かしていかなければという気持ちで必死でした。子どもにとって、虐待されても救いを求められるのは親しかいない。それなのにあんな手紙を残して亡くなってしまったことを思うと、子どもを育てている母として平静ではいられないですよね。
― あの放送の時、周りの皆さんが涙している島田さんを無理にフォローすることもなく、冷静に進行していたのもプロ意識やチームワークの高さを感じました。
島田:そうですね。解説の反町理さんも、後輩の倉田大誠アナも結構驚いたと思いますが、そのままやってくれました。“仕事冥利に尽きる”とはこのことですよね。泣いたことが良いか悪いか別として、仲間に恵まれて、それをそのまま受け入れて進めてくれたことは本当にありがたいなと思いました。
島田:色々あります。私は不器用なので、色んなところでもがいて悩むわけです。例えば入社した時、「視聴者の方に愛されるアナウンサーになりたいです」みたいなことを皆言っていたのですが、当時の部長は「仲間にしっかり可愛がられなさい」と言ったんです。「視聴者に可愛がられるためには、仲間に可愛がっていただきなさい。仲間に信頼してもらえるようになっていきなさい」と。ハッとしました。
あとは5、6年目の時に現在神奈川県知事をされている黒岩祐治さんと一緒に「報道2001」という政治・経済の討論番組を担当していたのですが、何にもできなかったんです。まだ5年目だし、難しいことを言っている方がいっぱいいるし、入り込めないんですよ。フリップを出すことさえできない。ずっとタイミングを見計らってるのに、結局出せず黒岩さんにタイミングを振ってもらったこともありました。もちろん自分の意見を言ってもいいんです。誰にも止められてないのですが、でも、言えない。フリップも出せないし、意見も言えない。そうすると「5年もやっていて何もできないんだ。私、何してるんだろう?」と思ってしまって。
でも、黒岩さんがその時に言ってくださったのは「島田は言いたいことがあるんだけれども色々くっつけてしまうんだと思う。ソリッドにいけ。削ぎ落とせ」と。それを聞いて「ああ、そうなんだ」と思いました。特に私の場合はこれまで生放送を担当することが多かったので、時間も限られている。それ以来、討論番組でもふわっと聞いているように見せつつ、「この答えが欲しい場合は、どういうふうに聞いたらいいか」というのを考えて組み立て、ソリッドに、シンプルに聞くということを試みるようになりました。それは私の報道人生の中でのターニングポイントだったと思います。
あとは安藤優子さんの「スーパーニュース」をやっていた時。私はフィールドキャスターだったのですが、たまにスタジオに入ることがあって、3年目か4年目くらいの私としてはそれは張り切るじゃないですか。でもそれが空回りしてしまって、時間通りにコメントが入らなかったんです。終わった後に安藤さんが笑いながら「島田は今自分のことをよく見せようと思ったでしょ?島田自身を意識しすぎてるからこうなってるんだよね。誰に向けてやってるの?」というようなことを言っていただいて、本当にその通りだなと。新人の頃から今の自分につなげられる言葉をいただけて、本当にありがたかったです。今でも時に思い出しては大切にしている言葉です。
― では、自分でファインプレーだなと思ったお仕事は?
島田:ないです…。常に反省ですから。
― ネガティブが出ていますね(笑)。ファインプレーとまでいかなくとも、ちょっと良かったなということは?
島田:それはあるかもしれません。ぎゅうぎゅう詰めのインタビュー時間の中で、聞こうと思っていたことが聞けたとか。そういうちょっとした日常で重ねていく成功は嬉しいですね。
島田:子供が今3才と4才の年子なのですが、前までは何に対してもそんなに疑問を持たない彼らだったんですけど、最近色々頭が回転するようになってきて「じゃあね」と言うと怒り始めるんですよね。働くお母さんが直面する「行かないで、仕事しないで、ここにいて!」問題です。私は毎朝6時台に家を出るんですけれども、出勤中に夫からテレビ電話が来て子どもが「どこ行ったー!?」という感じで泣きわめいて鼻血まで出していたり。それはそれで幸せなことなんですけれども、どうしたらいいものか。仕事は仕事だと割り切ればいいのですが、割り切れないところがありますね。
― ご結婚されてお子さんが生まれて、その時に仕事を辞めるという選択肢はなかったですか?
島田:辞めるという選択肢はなかったです。ありがたいことに育休中に「お前いつ戻ってくるんだ」と言っていただいたりもして、もしかしたら働く場所があるかもしれないと思ったし、働かないとは思わなかったですね。
― それはなぜですか?
島田:子育てに専念するのは自分には向いていないと思ったんです。仕事をして帰ってきた時に子どもがいる幸せを感じる。そのバランスが私には合っていると思います。子どもたちもだいぶ話が分かるようになってきたので、「あなたたちが飲んでるその牛乳、これも働いて稼いだお金で買うんですよ」と伝えています。あんまり理解してないですけど(笑)。また、自分の母も夫の母も自分の仕事を持っていましたので、子供がいても働くということがごく自然な環境でした。
― 今、島田さんにとって仕事のやりがいはどんなところにありますか?
島田:そうですね。先ほどお話した児童虐待問題も、これまでもずっとあったことだけれども目を覆ってきたというか見てみないふりをしてきた問題じゃないかと思うんですよね。それはもちろん私もそうです。でもあんな幼い子供の辛い状況を目の当たりにした今、報道機関に勤める者として放っておけないと思っています。最近も裁判の傍聴に行ったり、自分で何か発信できることはないか考えています。そしてあれ以降、報道局の中で社員も社員じゃない人も、お母さんもお母さんじゃない人も「手伝いたい」と手を挙げてくれている有志も多くいます。ですから番組が変わっても、例えばアナウンサーを辞めても何かしらの活動しようと話しています。それが今やりがいの1つではありますね。
島田:後輩がたくさん入ってきて追いかけられる中で、自分が弾かれたりしたらそれは自分の実力不足なのか、あるいはタイミングなのか。私達の世界ではそれはしょうがないことだと思っています。だから、自分のできることをする。これは後輩にも言っていますが、若い時はのびのびやればいい。そんなに大人ぶらなくていいし、知ったかぶりもしなくていいんです。その年次年次で良さがあるから。ただ、遊んでるだけじゃなく努力している人は必ずいる。自分の時間を使って、いかに自分に蓄積できるか。何年か経ったら必ず差がつくよとは伝えています。
― 難しいですよね。努力の結果がすぐに結びつくとも限らないですし。
島田:そうなんですよね。今やったからってすぐ仕事に繋がるかどうかは私も約束できないですから。自分はどういうところで戦えるのかを考えて、自分の強みを作っていくというのは難しいことですが、やっていくしかない。すごく苦しい作業ですが、私も七転八倒しながら今も日々を過ごしています(笑)。
― 島田さんは自分の強みをいつ見つけられたんですか?
島田:私は元々旅番組のレポーターをやりたかったんです。でも、旅番組がどんどんなくなってしまって。なぜか情報や報道番組に使っていただくことが多く、“人から話を聞き出す”という奥が深すぎて答えもないことがすぐ好きになりました。原稿を読むのも好きです。時間内にきっちり言うというのが、最初は吐くほど嫌だったのですが(笑)、今は時間内に収められると達成感に溢れた気持ちになりますね。報道でやっていこうと思ったのは、30歳前後ぐらいでしょうか。
― 今、アナウンサーになりたい学生が多くいます。島田さんはどんな人と一緒に働きたいですか?
島田:自分に刺激をくれる人。その人がその人を楽しんでいる人がいいなと思います。
― アナウンサーを目指す学生に向けて、アドバイス送るとしたらどんなメッセージがありますか?
島田:楽しいことをいっぱいしたらいいと思います。時事問題はアメリカの大統領の名前くらいは知っておいた方がいいかなと思いますけど(笑)。そういう知識はもちろん好きで知っているならいいんですけど、そんなに詰め込まなくていい。いろんなことを経験したりとか、極めるまでいかなくても、自分はこれが好きなんだと思えるものをしっかりやっていくことが大事。面接でも「どこどこのキャプテンでまとめてました」というようなアピールをする学生がいっぱいいます。それもいいのですが、そこで自分がどう思ったのか、どんな面白いことがあったのか、どう自分が変わったのかとか、内面の具体的なことを語れるくらい楽しい思い出をいっぱい作ってほしいです。
島田:重複しますが、好きなことをしっかりやって自分の中に詰めていくこと。広く浅くというよりは、自分の好きなことがあるならそれにしっかり向かっていく。例えば読書でもどんなことでもいいんですが、適当にやらない。突き詰めるまでいかなくても、きちんと把握しながらやっていくといいと思います。
夢って難しいですよね。その夢は将来実現しそうな夢なのか、それとも実現は難しい本当の夢なのか。本当の夢はずっと持っていていいと思いますが、例えば目標のことを夢と言っているのであれば、目標に向かう手段が必ずあるはずだからそれを見失わない方がいい。漠然としていたら夢は掴めないですから、自分には何ができるかを考えた方がいいと思います。
― 島田さんの今の夢はなんですか?
島田:平和に暮らすことです。1人だった時はめちゃくちゃな生活してたんですけれど、今は家族の健康が心配だし、自分が大きな病気になったら大変なことになってしまう。家族がいて、自分がいて、帰る場所がある。例えば仕事で落ち込むことがあっても、帰ってきてそういう日常があるって幸せなことだと思うんですよね。日常に自分が巻き込まれていく感じ。それを継続していけたらいいなと思います。
― ありがとうございました。
(modelpress編集部)
8時半頃 報道センター内で会議など。
10時~11時 報道局のデスクにて新聞を読み、ニュースの整理。OA前にナレーション録音をすることも。
11時~ 原稿読み
11時25分~ メイクさんの直し
11時半~ 本番
12時 本番終了 スタッフミーティング
12時半~14時 報道局にてお弁当を食べながらニュースチェック、資料整理、情報入手
14時 BSニュース(2分枠)担当
<担当番組>
Live News Days(月~金)
入社8年目の竹内友佳と三田友梨佳アナウンサーを筆頭に、後輩アナウンサー全員が参加し、総勢17人が登場。フジテレビアナウンサーをより身近に感じられる内容になった。
仕様:A3変型判(縦425mm×横300mm)/縦型・壁掛けタイプ/オールカラー13ページ
販売場所:全国書店、「フジテレビショップ」ほかで2018年10月1日より販売中。
前編はこれまでのアナウンサー人生を振り返りながらターニングポイントに迫るもの、後編は彼女たちが大切にする「5つの法則」をメイク・ファッション・体調管理といったキーワードから問う。
――――久慈暁子アナの後を引き継ぎ、20人目に登場するのは島田アナ。※後編(Vol.40)は7月1日に配信予定。
入社当初から報道番組を担当
1998年にフジテレビに入社した島田アナは、「報道2001」をはじめ入社当初から報道番組を数多く担当。現在は「Live News Days」を担当している。島田彩夏アナ、一番つらかったエピソード「基本的にネガティブ」
― まずはこれまでのアナウンサー人生を振り返って、一番つらかったエピソードを教えてください。島田:二十数年もやっていると色々あったのですが、私は基本的にネガティブなんです(笑)。自分の中で理想のアナウンサー像がおぼろげにあって、そこに向かっていきたいのですが、それはやっぱり理想なので、全然たどり着かずいつも落ち込みます。
新人時代はやはり大変でした。ある地方ロケに行った時のことです。今考えると新人だから当然なのですが、ディレクターさんの指示の通りには上手くやれず、「そうじゃなくてさぁ」とため息をつかれてしまったことがありました。会社に戻ってきて「ありがとうございました。お疲れ様でした」と解散した直後、トイレに駆け込んで泣きました。「ありがとうございました」と言いながらもう涙目だったとは思いますが、職場で泣いてはいけないと思っていたので。泣きながら同期の子に電話をして「今どこ?」と聞いたら、その子も泣いていました。今振り返ると笑い話ですね。
― 涙することはいつ頃まで続いたんですか?
島田:しょっちゅうではないですが、今もわりと泣いています(笑)。でも今は、涙は出なくても持続性のある落ち込み方になってきました。バーッと泣いて「明日も頑張ろう!」と切り替えるのではなくて「何でできないんだろう?」ということを考えて、常に自分の中にその葛藤がある感じというか。今でも毎回本当に辞めた方がいいんじゃないかと思うんです。下手すぎて。
― 島田さんほどのキャリアをお持ちでもそんなふうに悩まれるんですね。
島田:だからこそじゃないでしょうか。新人時代のような失敗はしませんが、この年次でこれができた、この年次はこれができた、ということを積み重ねてきて、今の自分はこれをできていたいと思うことができなかったりすると、才能がないのかなと思うわけです。ただ、足を突っ込んでしまった以上やらざるを得ないし、そんな泣き言は言っていられません。反省して次に繋げたいと思っています。
― そういうつらい時はどうやって気持ちを切り替えているんですか?
島田:切り替えは今でも得意ではなくて、一週間くらい引きずります。自分が納得するまでわりと落ち込むタイプです。そうはいっても日常が待ってるじゃないですか。独身時代はそれこそ好きなだけ落ちこめもしましたが今は家族がいるので、その都度その都度で顔がある。母だったり、妻だったり、アナウンサーだったり、普通の女性だったり…。そうやって日常を取り戻していくことで、「あんな失敗もあったけれども乗り越えていかなきゃ」という気持ちになります。
島田彩夏アナ、目黒女児虐待事件で流した涙に反響
― 昨年の6月に目黒で発生した5歳女児虐待事件の報道で、亡くなった船戸結愛ちゃんが両親に宛てた手紙の全文を涙をこらえて読み上げる島田さんの姿がとても印象的でした。あの時はどんなお気持ちでしたか?島田:読んでいる途中で泣いてしまいましたが、そんな自分にすごくびっくりしました。さきほども言ったように、仕事中にメソメソ泣くのは良くないと教わった世代ですし、放送中にあんなふうに自分を失ってしまうことはなかなかなかったので。
打ち合わせや下読み段階では大丈夫だと思っていたのですが、やっぱりいざ読み始めると、その時の情景、どういう気持ちであのような幼い女の子が書いたのかがまざまざと浮かんできてしまって、堪えきれませんでした。あの涙について色々なご意見をいただきましたが、お母さん方から「同じ思いです」と言っていただいたことはとても救われました。
― 画面を通して島田さんと思いを共有できたことで、行き場のない気持ちが救われたお母さんはたくさんいたと思います。
島田:子どもは自分1人では生きていけないんですよ。私も自分の子どもがまだほんの赤ちゃんだった頃は特に、可愛いというよりもこの子をなんとかして生かしていかなければという気持ちで必死でした。子どもにとって、虐待されても救いを求められるのは親しかいない。それなのにあんな手紙を残して亡くなってしまったことを思うと、子どもを育てている母として平静ではいられないですよね。
― あの放送の時、周りの皆さんが涙している島田さんを無理にフォローすることもなく、冷静に進行していたのもプロ意識やチームワークの高さを感じました。
島田:そうですね。解説の反町理さんも、後輩の倉田大誠アナも結構驚いたと思いますが、そのままやってくれました。“仕事冥利に尽きる”とはこのことですよね。泣いたことが良いか悪いか別として、仲間に恵まれて、それをそのまま受け入れて進めてくれたことは本当にありがたいなと思いました。
島田彩夏アナ、ターニングポイントになった言葉
― これまでのアナウンサー人生において、ターニングポイントになった言葉やアドバイスはありますか?島田:色々あります。私は不器用なので、色んなところでもがいて悩むわけです。例えば入社した時、「視聴者の方に愛されるアナウンサーになりたいです」みたいなことを皆言っていたのですが、当時の部長は「仲間にしっかり可愛がられなさい」と言ったんです。「視聴者に可愛がられるためには、仲間に可愛がっていただきなさい。仲間に信頼してもらえるようになっていきなさい」と。ハッとしました。
あとは5、6年目の時に現在神奈川県知事をされている黒岩祐治さんと一緒に「報道2001」という政治・経済の討論番組を担当していたのですが、何にもできなかったんです。まだ5年目だし、難しいことを言っている方がいっぱいいるし、入り込めないんですよ。フリップを出すことさえできない。ずっとタイミングを見計らってるのに、結局出せず黒岩さんにタイミングを振ってもらったこともありました。もちろん自分の意見を言ってもいいんです。誰にも止められてないのですが、でも、言えない。フリップも出せないし、意見も言えない。そうすると「5年もやっていて何もできないんだ。私、何してるんだろう?」と思ってしまって。
でも、黒岩さんがその時に言ってくださったのは「島田は言いたいことがあるんだけれども色々くっつけてしまうんだと思う。ソリッドにいけ。削ぎ落とせ」と。それを聞いて「ああ、そうなんだ」と思いました。特に私の場合はこれまで生放送を担当することが多かったので、時間も限られている。それ以来、討論番組でもふわっと聞いているように見せつつ、「この答えが欲しい場合は、どういうふうに聞いたらいいか」というのを考えて組み立て、ソリッドに、シンプルに聞くということを試みるようになりました。それは私の報道人生の中でのターニングポイントだったと思います。
あとは安藤優子さんの「スーパーニュース」をやっていた時。私はフィールドキャスターだったのですが、たまにスタジオに入ることがあって、3年目か4年目くらいの私としてはそれは張り切るじゃないですか。でもそれが空回りしてしまって、時間通りにコメントが入らなかったんです。終わった後に安藤さんが笑いながら「島田は今自分のことをよく見せようと思ったでしょ?島田自身を意識しすぎてるからこうなってるんだよね。誰に向けてやってるの?」というようなことを言っていただいて、本当にその通りだなと。新人の頃から今の自分につなげられる言葉をいただけて、本当にありがたかったです。今でも時に思い出しては大切にしている言葉です。
― では、自分でファインプレーだなと思ったお仕事は?
島田:ないです…。常に反省ですから。
― ネガティブが出ていますね(笑)。ファインプレーとまでいかなくとも、ちょっと良かったなということは?
島田:それはあるかもしれません。ぎゅうぎゅう詰めのインタビュー時間の中で、聞こうと思っていたことが聞けたとか。そういうちょっとした日常で重ねていく成功は嬉しいですね。
島田彩夏アナが考える仕事と家庭のバランス
― では、今の悩みはなんでしょうか?お仕事でも、プライベートでも。島田:子供が今3才と4才の年子なのですが、前までは何に対してもそんなに疑問を持たない彼らだったんですけど、最近色々頭が回転するようになってきて「じゃあね」と言うと怒り始めるんですよね。働くお母さんが直面する「行かないで、仕事しないで、ここにいて!」問題です。私は毎朝6時台に家を出るんですけれども、出勤中に夫からテレビ電話が来て子どもが「どこ行ったー!?」という感じで泣きわめいて鼻血まで出していたり。それはそれで幸せなことなんですけれども、どうしたらいいものか。仕事は仕事だと割り切ればいいのですが、割り切れないところがありますね。
― ご結婚されてお子さんが生まれて、その時に仕事を辞めるという選択肢はなかったですか?
島田:辞めるという選択肢はなかったです。ありがたいことに育休中に「お前いつ戻ってくるんだ」と言っていただいたりもして、もしかしたら働く場所があるかもしれないと思ったし、働かないとは思わなかったですね。
― それはなぜですか?
島田:子育てに専念するのは自分には向いていないと思ったんです。仕事をして帰ってきた時に子どもがいる幸せを感じる。そのバランスが私には合っていると思います。子どもたちもだいぶ話が分かるようになってきたので、「あなたたちが飲んでるその牛乳、これも働いて稼いだお金で買うんですよ」と伝えています。あんまり理解してないですけど(笑)。また、自分の母も夫の母も自分の仕事を持っていましたので、子供がいても働くということがごく自然な環境でした。
― 今、島田さんにとって仕事のやりがいはどんなところにありますか?
島田:そうですね。先ほどお話した児童虐待問題も、これまでもずっとあったことだけれども目を覆ってきたというか見てみないふりをしてきた問題じゃないかと思うんですよね。それはもちろん私もそうです。でもあんな幼い子供の辛い状況を目の当たりにした今、報道機関に勤める者として放っておけないと思っています。最近も裁判の傍聴に行ったり、自分で何か発信できることはないか考えています。そしてあれ以降、報道局の中で社員も社員じゃない人も、お母さんもお母さんじゃない人も「手伝いたい」と手を挙げてくれている有志も多くいます。ですから番組が変わっても、例えばアナウンサーを辞めても何かしらの活動しようと話しています。それが今やりがいの1つではありますね。
島田彩夏アナ、アナウンサーを目指す学生にアドバイス
― 次々と後輩が入ってくる中で、焦ったりすることはなかったですか?島田:後輩がたくさん入ってきて追いかけられる中で、自分が弾かれたりしたらそれは自分の実力不足なのか、あるいはタイミングなのか。私達の世界ではそれはしょうがないことだと思っています。だから、自分のできることをする。これは後輩にも言っていますが、若い時はのびのびやればいい。そんなに大人ぶらなくていいし、知ったかぶりもしなくていいんです。その年次年次で良さがあるから。ただ、遊んでるだけじゃなく努力している人は必ずいる。自分の時間を使って、いかに自分に蓄積できるか。何年か経ったら必ず差がつくよとは伝えています。
― 難しいですよね。努力の結果がすぐに結びつくとも限らないですし。
島田:そうなんですよね。今やったからってすぐ仕事に繋がるかどうかは私も約束できないですから。自分はどういうところで戦えるのかを考えて、自分の強みを作っていくというのは難しいことですが、やっていくしかない。すごく苦しい作業ですが、私も七転八倒しながら今も日々を過ごしています(笑)。
― 島田さんは自分の強みをいつ見つけられたんですか?
島田:私は元々旅番組のレポーターをやりたかったんです。でも、旅番組がどんどんなくなってしまって。なぜか情報や報道番組に使っていただくことが多く、“人から話を聞き出す”という奥が深すぎて答えもないことがすぐ好きになりました。原稿を読むのも好きです。時間内にきっちり言うというのが、最初は吐くほど嫌だったのですが(笑)、今は時間内に収められると達成感に溢れた気持ちになりますね。報道でやっていこうと思ったのは、30歳前後ぐらいでしょうか。
― 今、アナウンサーになりたい学生が多くいます。島田さんはどんな人と一緒に働きたいですか?
島田:自分に刺激をくれる人。その人がその人を楽しんでいる人がいいなと思います。
― アナウンサーを目指す学生に向けて、アドバイス送るとしたらどんなメッセージがありますか?
島田:楽しいことをいっぱいしたらいいと思います。時事問題はアメリカの大統領の名前くらいは知っておいた方がいいかなと思いますけど(笑)。そういう知識はもちろん好きで知っているならいいんですけど、そんなに詰め込まなくていい。いろんなことを経験したりとか、極めるまでいかなくても、自分はこれが好きなんだと思えるものをしっかりやっていくことが大事。面接でも「どこどこのキャプテンでまとめてました」というようなアピールをする学生がいっぱいいます。それもいいのですが、そこで自分がどう思ったのか、どんな面白いことがあったのか、どう自分が変わったのかとか、内面の具体的なことを語れるくらい楽しい思い出をいっぱい作ってほしいです。
島田彩夏アナの「夢を叶える秘訣」
― 最後に、島田さんが考える「夢を叶える秘訣」を教えて下さい。島田:重複しますが、好きなことをしっかりやって自分の中に詰めていくこと。広く浅くというよりは、自分の好きなことがあるならそれにしっかり向かっていく。例えば読書でもどんなことでもいいんですが、適当にやらない。突き詰めるまでいかなくても、きちんと把握しながらやっていくといいと思います。
夢って難しいですよね。その夢は将来実現しそうな夢なのか、それとも実現は難しい本当の夢なのか。本当の夢はずっと持っていていいと思いますが、例えば目標のことを夢と言っているのであれば、目標に向かう手段が必ずあるはずだからそれを見失わない方がいい。漠然としていたら夢は掴めないですから、自分には何ができるかを考えた方がいいと思います。
― 島田さんの今の夢はなんですか?
島田:平和に暮らすことです。1人だった時はめちゃくちゃな生活してたんですけれど、今は家族の健康が心配だし、自分が大きな病気になったら大変なことになってしまう。家族がいて、自分がいて、帰る場所がある。例えば仕事で落ち込むことがあっても、帰ってきてそういう日常があるって幸せなことだと思うんですよね。日常に自分が巻き込まれていく感じ。それを継続していけたらいいなと思います。
― ありがとうございました。
(modelpress編集部)
島田彩夏アナのとある一日
いつもすっぴんで出社し、会社でメイク。8時半頃 報道センター内で会議など。
10時~11時 報道局のデスクにて新聞を読み、ニュースの整理。OA前にナレーション録音をすることも。
11時~ 原稿読み
11時25分~ メイクさんの直し
11時半~ 本番
12時 本番終了 スタッフミーティング
12時半~14時 報道局にてお弁当を食べながらニュースチェック、資料整理、情報入手
14時 BSニュース(2分枠)担当
島田彩夏(しまだ・あやか)プロフィール
生年月日:1974年5月12日/出身地:愛知県/出身大学:上智大学/血液型:AB型/入社年:1998年<担当番組>
Live News Days(月~金)
「フジテレビ女性アナウンサーカレンダー2019-OUR SEASONS-」
昨年に続き、新美有加アナを中心としたフジテレビアナウンサー室が完全プロデュースし、各月の季節感を色濃く反映しながら日常生活の一場面を切り取った写真は、普段テレビには映らないアナウンサーの素顔が盛りだくさん。入社8年目の竹内友佳と三田友梨佳アナウンサーを筆頭に、後輩アナウンサー全員が参加し、総勢17人が登場。フジテレビアナウンサーをより身近に感じられる内容になった。
仕様:A3変型判(縦425mm×横300mm)/縦型・壁掛けタイプ/オールカラー13ページ
販売場所:全国書店、「フジテレビショップ」ほかで2018年10月1日より販売中。
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