AKB48“朝5時半の女”大西桃香、最後列非選抜メンバーがチーム8初の快挙を成し遂げるまで 亡き父親へ伝えたいこと<モデルプレスインタビュー後編>
2018.10.10 07:00
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3日にファースト写真集『夢の叶えかた。』を発売したAKB48チーム8奈良県代表の大西桃香(おおにし・ももか/21)のモデルプレスインタビュー後編。2014年にチームが発足され約4年、チーム8メンバーでは初となる写真集発売という快挙を成し遂げた大西だが、そのアイドル人生は決して順風満帆ではなかった。最初の頃はチーム内での少人数での選抜に入ることはおろか、立ち位置が一番端のことも多く、決して人気メンバーとは言えなかった彼女は、ライブ配信プラットフォーム「SHOWROOM」での朝5時半配信を始め、“朝5時半のアイドル”として話題を呼んだことをきっかけに、AKB48シングル選抜入り、総選挙ランクイン、そして写真集発売といくつもの夢を叶えてきた。「夢を叶えるにはいくつかの方法がある。山を登るようにいくつものルートがあるということだ。地図は売られていない。彼女は、誰に頼ることなく、自分の力で思いがけない道をよじ登って来た。この写真集は、“やり切った”大西桃香の美しい記録である」これは秋元康総合プロデューサーが今作の帯に寄せた言葉。48グループ全体では300名以上、AKB48の中でも100名以上のメンバーが在籍する群雄割拠の中から、新しい方法で道を切り拓いた彼女は、どうしてそこまで努力を続けることができたのか?そこには、家族への深い思いがあった。
大西桃香、諦めかけていたアイドルの夢
アイドルに憧れを抱いたのは中学生の頃で、『マジすか学園』のドラマを観て大島優子のファンになったのが始まり。その頃からコンサートのDVDを観るときもアイドルの視点だったといい「歌やダンスの経験が全くないのにすごくおこがましい話なんですけど(笑)、『私やったらもっとファンの人を釣れるんじゃないかな?』とか『神対応できるんじゃないかな』と思っていました」という彼女。中学生のときはオーディションのために上京することも難しく、13期生、14期生のオーディションを見送り、ほとんど夢も諦めかけていたときに舞い込んだのがチーム8のオーディション。この頃、普段は会話を交わさなかったという父親が母親経由で知らせてくれた。
「アイドルに興味があるという話は、パパに直接言ったことはなかったんですが、ママには言っていたので、ママから伝わっていたんだと思いますが、『受けてみたら?ってパパ言うてたで』と聞いてびっくりしました。元々のチーム8のメンバー条件が上京できる人だったので、そのときは高校生だったから無理だなと思っていたんです。夜の12時までの締め切りだったんですけど、11時過ぎてもまだ迷っていて応募できなくて、ギリギリにお風呂上がりのすっぴん写真をパッと撮って送りました」
その父親の一言が大西の運命を変えた。そこからオーディションを経て合格。
「第二次オーディションが、奈良であったんですけどそのときは歌もダンスもやったことがないからダメダメで、『これ落ちたな』と思ったんです。でも残り3人みたいな通知が来て、そこから数日後に合格の電話が来たので驚きました。受かるとは思っていなかったです」
大西桃香、亡くなって初めて知った父親への思い
アイドルになるきっかけを与えてくれた父親へは、特別な思いがある。お互いに性格が似ているからこそ反発しあってしまい、ほとんど会話をしなかったという父親からは、オーディションに合格したときも「お前みたいなブスが受かってええんか?奈良県代表がお前やったら嫌やわ」と言われ、「おめでとう」の一言もなかった。しかし、デビュー1年目の生誕祭直前に父親が急逝。毎日悲しみに暮れていたという母親のそばにいたいという思いから、AKB48を卒業しようとした大西に、母親から渡されたのが、父親の形見の携帯電話。そこには大西がテレビに出ている動画や、アイドル姿の画像、友達に送った「速報 我が家に芸能人誕生」というメールが。母親は「パパ、本当はすごい桃ちゃんのこと応援してたんやで」と告げたと言い、父親の思いを初めて知った大西は、「パパのためにも頑張りたい」とアイドルを続けることを決意した。
大西桃香、チーム8の中で悩んだ時期「頭の片隅に卒業もあった」
全国47都道府県代表メンバーで構成されるチーム8は、「会いに行けるアイドル」として活動してきたAKB48から「会いに行くアイドル」をコンセプトにした新チームとして誕生。メンバーは、各都道府県から1人ずつ選出された47名で、それぞれのメンバーは地域に密着した活動を行っている。当初はAKB48本体とは一線を画した活動も多かったが、昨年12月の組閣によりメンバーは全員AKB48のチームと兼任。小栗有以が次世代エースとしてAKB48のシングルセンターに選ばれたり、岡部麟がチームA新キャプテンに就任したりと、個々の活躍も目立っている。
そんななか、大西は自身の立ち位置に悩んだ時期も長かったという。
「最初の頃は皆同期で、スタートは同じだったんですけど、段々差が開いてきて、AKB48の全国握手会に呼ばれるメンバーとか、他のお仕事が沢山入るメンバーとか、活動の差が広がっていくのを感じるようになりました。レッスンとか普段の活動の中では一番頑張っていたんじゃないかなと自信を持って自分では思えるんですけど、どれだけ頑張ってもどうしても前には行けなくて、お仕事も全然なくて、『どうしたらいいんやろう?』という気持ちがずっとありました。頭の片隅に卒業もあったし、どう頑張ったらいいか分からなくて…」
“朝5時半の女”大西桃香、きっかけはノリ
いまや大西といえばSHOWROOM、というイメージも強いが、意外にも最初はそれが強みになることは考えていなかったという。「全く思ってなかったです。普段は握手会やイベントにも全然呼ばれなかったのでファンの方との交流が少なくて喋りたくて、とにかくSHOWROOMをやりたすぎて。そんなときに一昨年の10月、755でファンの方から『配信解禁になったよ』と教えられて、友達とご飯に行っていたんですけど、『ちょっとごめん』とバイバイしてすぐに帰ったんです(笑)。すぐに家に帰って始めて、朝5時から夜の12時までできると知ったのでせっかくやから5時からやろう、と始めたのがきっかけです。いつもめちゃくちゃ低血圧で全然朝型人間ではないんですけど、最初はノリで(笑)。でもさすがに早すぎてファンの方からは『やめてくれ』という声と、『やってほしい』という声があったので、間をとって5時半にしようとなったのが始まりで、ここまで続けるつもりはなかったんですけど、続いちゃいました」
それから段々とファンの間で話題を呼び、“朝5時半の女”と言われるように。「始めて2ヶ月くらいでそういう名前がついて、AKB紅白歌合戦の裏配信のメンバーにも選んでもらいました。決して朝5時半配信がすごいこととも思っていなくて普通に楽しんでやっていたので、『これをやっていただけでこんなチャンスがもらえるんだ』と驚きました。強みになる、と自覚していてやっていたことはないんですけど、『SHOWROOMといえば大西』とか『朝5時半の女』と言われるのはすごく嬉しいです」と周りから見たらストイックな努力も、彼女にとっては自然な行動だった。
大西の姿は「SHOWROOM」の代表取締役社長・前田裕二氏の目にも留まり、前田氏は「朝5時半に起きて配信をし続けるというストーリー創出・差別化の工夫と、それをやり続ける努力の勝利と言えます」と称賛。大西はそのときのことを「最初はお会いする機会もなかったので、違う場所で私のことを話していただいたり、前田さんの本で私のことを書いてくださったりしているのを聞いて、『えー!』と驚きました」と振り返った。
大西桃香がファンを惹きつける理由
それまで4年連続圏外だったAKB48選抜総選挙でも、5年目の今年、始めて結果を残した。26363票を集め38位で、チーム8メンバーでは25位の小栗に次ぐ順位という快挙を達成。ファンの熱量の高さはメンバー随一で、選挙対策委員会はファンの一部がシステムを組んで票数の計画を練るなど、一致団結して挑んだという。担当編集者によると大西は「周りを巻き込むのが本当に上手」だそうだが、そこまで大勢の大人が彼女を応援したい、と口を揃えるのはなぜだろうか?本人に直接聞いてみると、「えー(笑)」と照れ笑いを浮かべ、頭を悩ませた。
「朝5時半配信をやっていたときも、メイクなんか絶対せえへんかったし、顔も洗わんと寝起き1分後とかにやっていたし、愚痴るときはめっちゃ愚痴るし、機嫌悪いときは悪いし…私って本当にアイドルらしくないと思います。だからこんな私を好きになってくれる人って多分本当に優しい人しかいないと思うんです。ファンの方は本当に親戚とか家族みたいな感じで、アイドルとファンの関係じゃないという思いが私の中ではあって。握手会とかSNSでもそういう接し方を自分自身でしているので、ファンの方も同じように家族みたいに接してくれるのかな…?『最近ファンになったよ』って握手会に来て下さる方とか新しく配信を観に来て下さる方にも壁を作らないようにしています」
ここまで、結果を出していると、当然自信を持ってもいいはずだが、彼女はひたすらに謙虚だ。「総選挙が終わってからも3ヶ月くらいは自分に自信が持てなくて、最近になってちょっと実感が湧いてきて、自信が持てるようにちょっとずつなってきているんです。今も劇場公演の立ち位置とか決して上ではないので、もっと前に行きたいという気持ちはあるけど、どうしたらいいんやろう、と常に葛藤はあります」
大西桃香、亡き父親に今伝えたいこと
夢を叶えた今、亡き父親に伝えたいことを聞いてみると、「『見返したい』じゃないけど『私が奈良県代表で良かったやんけ。今でも生きていたら活躍見られたのにな~、残念やな~?』ということかな。お互い皮肉っぽい関係性だったので『やったよ!』とかじゃなくて『ふっ!』(ドヤ顔)という感じなんです」といたずらっぽく笑った。現在は母親と兄と3人で暮らしながら、東京と奈良を行き来する生活。
「ママは、朝から夜遅くまでずっと働きながら家の家事をしているので、やっぱり大変だなと思うし、なるべく色々手伝いたいなと。ママが職場の人たちに私の話をしているときとか、すごく嬉しそうに話しているので、それでちょっとでも私の存在が生きがいになってくれているなら、と思います。今はおじいちゃんもおばあちゃんも入院しているんですけど、この間久しぶりにお見舞いに行ったら泣いて喜んでくれて、普段はおばあちゃん病気で全然喋らないし笑わないらしいんですけど私が行ったときはすごく笑って喋ってくれたので、2人の生きがいにもなれてんねや、と思ったら、もっと頑張ろうと思いました」
これまでの苦労や、家族への思いが彼女を、アイドルとしてたくましく成長させた。
大西桃香の“夢を叶える秘訣”
現在は、665日間継続した朝5時半配信を終え、夜に配信を継続。アイドルとして今後どんな未来を見据えているのだろうか。「正直今目標が見つかっていなくて、自分の中では目標を見つけることが目標。朝5時半配信は本当にがむしゃらにやって来て、今まではファンの方が私を引っ張ってくれたけど、私がもっと魅力的な人になってファンの方が付いていきたいと思えるような女性になりたいです。あとは、総選挙38位に引っ張っていってくれたので、その恩返しをちょっとずつ皆さんにしていけたらいいな」多くのアイドルがスポットライトを浴びている陰で、希望を持ってきてアイドルになっても、結果を残せずにこの世界から去っていく人も数多存在しているのが現実。“夢へのルート”を自ら見つけてきた彼女が考える“夢を叶える秘訣”とは。
「私の中では夢って1人では叶えられないものなので、だからまず周りの方を大事にして、色々教えてもらって人から学ぶこと。でも頑張るだけじゃしんどいと思うから、楽しんでやってみて、自分が楽しんでいたらいつの間にか沢山の人が自分の夢に向かって協力してくれると思います。あとは、私も一番後ろにいたメンバーの1人だったし、何を頑張っても上に行けない時期もあると思うんですけど、皆と同じことをするんじゃなくて、自分だけちょっと違うことをしてみたら、そこからちょっと思いかけない道に行くこともあるんじゃないかな。例えばAKB48だったら団体で行動することが多いけど、そこでどうやって個性を見つけるかがすごく大事だと思います」と語るメッセージには強い説得力があった。(modelpress編集部)
大西桃香ファースト写真集「夢の叶えかた。」
フィリピン・セブ島で撮影を敢行し、水着やランジェリーカットといった大胆な露出にも初挑戦。53cmの“神くびれ”を惜しげもなく披露した。また、ロケ中には現地の美容室で髪の毛を20センチ以上カット。その後、何度かヘアメイクによるカットもあり、最終的には30センチ以上カットし、ショートカットに。写真集は時系列順に掲載されているため、髪型の変化もリアルに感じられる内容となっている。写真集のタイトルもSHOWROOMの配信でファンの意見を募り、決定した。大西桃香(おおにし・ももか)プロフィール
1997年9月20日生まれ。AKB48の全国47都道府県代表メンバーで構成されるチーム8奈良県代表と、チーム4を兼任。2016年10月17日からライブ配信プラットフォーム「SHOWROOM」にて朝5時半配信を開始。どんな環境においても配信し、665日間継続。「朝5時半の女」という異名を持ち、広く支持を得る。
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