いらない物なんてひとつもなかった。それでも僕は、彼女の手紙だけを箱に入れなかった
全部返すと決めた
別れを切り出したのは、僕でした。彼女が嫌いになったわけではありません。むしろ逆で、自分のふがいなさに、これ以上彼女を付き合わせてはいけないと思ったのです。仕事も将来も見通せないまま、彼女の時間ばかりを奪っている。そんな焦りが、ずっと僕の中にありました。
向かい合ったテーブルで、僕は彼女の目を見て言いました。「これ以上一緒にいても、君を幸せにできない気がするんだ」本心でした。でも彼女には、ただの言い訳に聞こえたかもしれません。別れたあと、僕は彼女の荷物を全部返そうと決めました。中途半端に手元へ残せば、きっと未練を引きずってしまう。きれいに片づけて、お互い前へ進むためでした。
箱に入れられなかった一通
段ボール箱に、彼女の物をひとつずつ詰めていきました。忘れていった小さなヘアゴム、借りたままだった文庫本、彼女がくれたマグカップ。どれも、彼女と過ごした時間の切れ端のようでした。作業の途中で、机の引き出しから一通の手紙が出てきました。別れたあと、彼女が数日かけて書いて、僕に手渡してくれたものです。もう読まないつもりでいたのに、僕は封を開けて、もう一度だけ目を通してしまいました。そこには、感謝の言葉と、まだ残っているという気持ちが綴られていました。そして最後の一行に、こうあったのです。「あなたと過ごした時間を、私は後悔していません」。その手紙だけは、僕はどうしても箱に入れることができませんでした。
卑怯な僕
結局、手紙を引き出しに戻して、僕は箱の口を閉じ、宅配で送りました。彼女のもとには、手紙以外のすべてが届いたはずです。全部返したのに一通だけがない。それを見た彼女がどう思うかは、想像がつきました。捨てられたと誤解するかもしれない。冷たい男だと思うかもしれない。それでも僕は、本当のことを打ち明けませんでした。あの手紙を手元に残したと言うのは、まだ彼女を忘れられていないと認めるのと、同じだったからです。全部返せる几帳面な男のふりをして、たった一通だけを抱え込む。我ながら、ずいぶん卑怯なことをしたと思います。
そして...
あの手紙は、今も僕の引き出しにあります。返せなかったのではなく、返したくなかったのだと、自分でもわかっています。彼女の荷物を全部箱に詰めながら、僕が本当に手放せなかったのは、物ではなく、彼女が僕を想ってくれた気持ちそのものだったのでしょう。それだけは、どうしても誰かに送り返す気になれませんでした。いつか彼女が、新しい場所で笑っていてくれたらと思います。そのときまで、この一通は僕が預かっておきます。胸を張れる別れ方ではなかったぶん、せめてこの気持ちだけは、ちゃんと覚えていようと決めました。
(20代男性・会社員)
本記事は、ハウコレ読者への独自アンケートに寄せられた実体験をもとに制作していますが、個人が特定されないよう、一部設定を変更しています。
(ハウコレ編集部)
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