<女子アナの“素”っぴん/西山喜久恵アナ>タモリの言葉が支えに 子育てとの両立・後輩育成の秘訣とは【「フジテレビ×モデルプレス」女性アナウンサー連載】
2019.04.16 17:00
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「フジテレビ×モデルプレス」女性アナウンサー連載『女子アナの“素”っぴん』―――― Vol.35~36は1992年入社の西山喜久恵(にしやまきくえ・49)アナウンサー。
「才色兼備」と呼ばれる彼女たちも1人の女性。テレビ画面から離れたところでは、失敗して泣いていたり、悔しくて眠れなかったり、自分の居場所に悩んでいたり…。それでも気持ちを落ち着かせて、どうしたら視聴者に楽しんでもらえるのか、不快感を与えないのか、きちんと物事を伝えられるのか、そんなことを考えながら必死に努力をしている。本連載ではテレビには映らない女性アナの“素”(=等身大の姿)を2本のインタビューで見せていく。
前編はこれまでのアナウンサー人生を振り返りながらターニングポイントに迫るもの、後編は彼女たちが大切にする「5つの法則」をメイク・ファッション・体調管理といったキーワードから問う。
――――堤礼実アナの後を引き継ぎ、18人目に登場するのは西山アナ。※後編(Vol.36)は5月1日に配信予定。
西山アナ:辛かったのはやはり仕事に慣れていなかった新人の頃です。行くところ行くところ全て初めての仕事でしたし、アナウンス室に帰ってきてからの仕事もすごく多かったので、心が休まる暇がありませんでしたね。
― 新人の頃はどんな番組を担当されていたんですか?
西山アナ:夕方のニュースの「スーパータイム」のお天気コーナーや、「笑っていいとも!」のテレホンアナを担当していました。ちょうどその頃に有賀さつきさんがフリーになられて、有賀さんが担当していたバラエティを同期の小島奈津子アナと引き継いだので、バラエティ番組もわりと早い段階で担当することになり、司会もやるようになりました。
― そういった辛い時期はどのように乗り越えられたんですか?
西山アナ:しばらくは辛かったですよね。いろんなことを注意されますし、「これだ!」という正解はそんなにすぐには見つからないので、10年目ぐらいまで「自分らしく、こうやっていけばいいんだ」みたいなものは見つからなかったですね。
10年目を越えたぐらいからは「どうせやるんだったら楽しもう」という気持ちになりましたし、バラエティをやっている時はやっぱり楽しい。当時は「笑っていいとも!増刊号」というものが週末に放送されていたんですが、その収録で毎週タモリさんとお会いすることができたので、あの頃にバラエティの時の間合いやアナウンサーの役割を勉強させてもらったような気がします。
― タモリさんとのお仕事の中で、印象に残っているエピソードはありますか?
西山アナ:昔、小島と西山で「ボキャブラ天国」(1992~2008)でもタモリさんとご一緒していたので、収録が終わった後によく食事に連れて行っていただいたんです。そこで、「2人は主婦に好かれるタイプだから大丈夫だぞ!」と言われて。可愛い・キレイというタイプではないけど、親しみやすさがあって皆が応援してくれるタイプだと。「だからお前たちは自信を持ってやっていけ」と言っていただいたことがすごく嬉しかったんですよ。やはりテレビは30代40代の主婦の方が主に見ているメディアなので、その言葉は今でも支えになっています。
西山アナ:3、4年目ぐらいにスポーツを担当させていただいたことは、1つのターニングポイントですね。誰かの伝聞ではなく、必ず自分の足で取材をして伝えるということは、スポーツの時に学んだ今でも私の基本になっている部分です。それからちょうど10年目で夕方のニュースを担当させていただくことになったんですが、バラエティが多かった私が報道番組を担当することになったことはかなり大きなターニングポイントでしたし、子どもができてからもまた変化がありました。
― 結婚や出産というライフスタイルの変化は、仕事を続けるか否かという選択が必要になるケースもあると思います。西山さん自身はどのように考えていましたか?
西山アナ:出産の時は正直なところ、もう辞めるんだろうなと思っていました。私はそんなに器用なタイプでもないので。「きょうのわんこ」の収録だけはギリギリまでやっていたのですが、産後1年間は武田祐子アナに任せていました。でも、1年も経たないうちに新しいお仕事の話をいただいた時、やっぱりやりたかったんですよね。もちろん子育ても大事だったのですが、多分私の場合は仕事をしながら子育てをする方がバランスが取れていたのだと思います。
― やはりお子さんが小さい頃は大変なことも多かったですか?
西山アナ:そうですね。忘れもしない1歳の誕生日。子どもを入院させてしまったんです。だから1歳のお誕生日の写真が1枚もないんです。今はかなり大きくなりましたけど、「ごめんね。ママが仕事に復帰しちゃったから、あなたを風邪引かせちゃったのかな」と今でも思いますよね。自分が選んだ道ですが、「そこまでして働かなくてもよかったんじゃない?」ともう1人の自分が言っていました。
― そんなことがあったんですね。家事や育児と仕事を両立するために心がけていることはありますか?
西山アナ:それは最近すごくわかっていて、「どっちも頑張らない」ということです。仕事も子育ても中途半端でいいんです。多分どっちも完璧にやっていたら、破綻します(笑)。
― お子さんも仕事を頑張る西山さんを応援してくれているんですか?
西山アナ:はい。寂しそうな時もありますけど、応援してくれています。年に2回、出雲駅伝と富士山女子駅伝を担当しているんですが、それに携わっている時はおそらくママがすごく準備をしているというのを彼女も薄々気づいてるんですよね。ある日、「ママ、駅伝の仕事頑張ってね。見てるよ」と書かれたメモをもらったんです。ほかの番組の時、そんなのもらったことないんですよ(笑)。彼女の中で私が日頃すごく頑張ってるという認識はないのかもしれないですけど、駅伝の時はわかったんでしょうね。駅伝の仕事は3日ぐらい家を空けなければならないので、彼女にはかなり負担がかかっているんですけど、全くもって何も言わない。今でもそのメモをお守りのように持っています。
西山アナ:これは最近、佐々木恭子アナとも言っているんですが、改めてアナウンサーというのは音声表現の仕事、声を使う仕事だと思っているので、もっともっといい声になりたい、もっともっといいナレーションができるようになりたいですね。多分、今までの中で一番、ここ最近モチベーションが上がっています。もっと上手になりたい、もっといい声になりたいとすごく思っています。
― その向上心はどこから来ているんですか?
西山アナ:後輩の指導のために、いろんな先生を呼んで講習会をする企画を佐々木アナと担当しているんですが、すごい方がゲストでお見えになるので、「うわーかっこいい!何だその声は!」「これが本物だ!」と思う機会がすごくあるんです。やっぱり教えるためには自分もそうなっていないといけないので、もっと磨かないとだめだと思いますね。
― キャリアアップの中で、後輩の育成に悩む方も多いと思います。西山さん自身、指導する上で気をつけていることはありますか?
西山アナ:最初の頃は、もうとにかく一生懸命教えなきゃと思っていたんですけど、まずはその後輩の悩みを聞いてあげるということですね。その子が何を迷っているか、何に困っているか。それを聞いてあげないことには先に進めないぞ、ということがわかってきました。
― まずは密にコミュニケーションを取ることが大事だと。
西山アナ:そうですね。もちろんいっぱい直したいところはあるんですけど、まずはその子がどうしてできないのかという部分を「どうしてできないの?」ではなくて、「こういう感じになっているよね。今どういう状態?」と、素直に言えるように持っていくようにしています。
― ちなみに、西山さんご自身の今の悩みはなんですか?
西山アナ:今の悩み、なんだろうな?たとえば「きょうのわんこ」を家で聞いている方が、もっともっとスッと耳に入ってくるような声になりたいんですけど、じゃあ果たしてそれがどういう声かな、というのはまだ全然わかっていなくて…。日々模索中です。
― 4月からは担当されている「めざましどようび」から宮澤智アナが卒業され、久慈暁子アナが加入しました。久慈アナにアドバイスを送るなら、どんなメッセージがありますか?
西山アナ:実は「めざましどようび」というのは、宮澤アナがやっていたポジションがしっかりしていないとだめなんです。宮澤アナがしっかり回してくれているからこそ、佐野瑞樹アナと私が自由にできる。久慈アナが担当することになり、久慈アナにも「実はあなたがしっかりしてくれないと困るの」ということを伝えたんですが、「えぇ~!」とすごく困っていましたね。別に脅すつもりはなかったですが(笑)。でも、しっかりとやってくれると思いますし、彼女の月曜から金曜のデイリーにはない部分が絶対出てくると思います。視聴者の皆さんにもぜひ普段とは違う久慈アナを期待してほしいなと思います。
西山アナ:私が入社した頃は“アナウンサー、30歳になったらもういらない説”みたいなところがあって、「私って10年もこの会社で働けないんだ」と思っていたんです。入社した22歳の頃からそういう仕事なんだと思っていたんですが、「あれ?30歳になっても仕事ができたな」と。その後、子どもを産んで復帰したのが39歳。40歳になったらそんなに仕事はないんだろうなと思っていたら、意外といろいろありまして。それこそ陸上の取材やまた新しいチャレンジもさせていただいて、気がついたら今年の誕生日で50歳なんですよ。「あれ?私、まだ仕事してる」という(笑)。
何が言いたいかというと、多分時代が変わってきているということです。自分の人生経験をアナウンサーの仕事にいろいろ活かしてもらえる時代になってきたと思います。だからこそ、目指してくださっている方には「あなたが人生経験した分を必ず還元できる仕事ですよ」と言いたいですね。私自身、今も全然仕事に飽きてないですし、日々こういうこともやりたい、ああいうこともやりたいとすごく思っています。
― 西山さんは面接官をされる時、どんなところを見ていますか?
西山アナ:どの仕事も一緒だと思いますが、「この子と一緒に働きたい」というところが決め手ですかね。性格採用というか「いい子なんだろうな」「あ、この子はしっかりしてそう」とか、人柄を見ています。技術はあとからで全然いいんです。榎並(大二郎)アナを筆頭に「この子、なんかいい子だな」というのを大事にしています。榎並アナの名前出しちゃいました、すみません(笑)。
― では最後に、これまで様々な経験をされた西山さんが考える夢を叶える秘訣を教えて下さい。
西山アナ:以前、女子サッカーの取材をさせていただいたご縁で、澤穂希さんと仲良くさせていただいているのですが、彼女の「夢は見るものじゃない、叶えるものだ」という言葉は有名ですよね。彼女は「夢がある時点で素晴らしい」と言ってくれるんですよ。そのために、どんなに遠くても、1個1個レンガを積むように登っていけば必ず到達できる。その1個1個のレンガを地道に積んでいけるかどうかだと。
じゃあ毎日澤さんが何をしていたのか聞いてみたら「ボールを止めて蹴る。その練習から始めた」と言っていて、「私も一緒だ」と。声を出して、発声練習をして、滑舌の練習をして…。そうやって積み重ねていけば、もしかしたらもっといい声になるかもしれない。ゴールが少し見えたかもしれないと思いました。レンガを1個1個積むことが明確に自分の夢に近づいているんだという気持ちがあれば、全然苦にはなりません。続けていくことこそ、意味があると思います。
― ありがとうございました。
(modelpress編集部)
今日から久慈アナも加わりこの3人でメインのMCを務めます。
久慈アナは、やはり緊張気味です。久慈アナの緊張を和らげるため、みんなで9時のポーズ。
放送終了後、キャスター全員で広報用の撮影。
スタジオに遊びに来てくれた子熊と一緒に大騒ぎ。
OA後、ほっとする瞬間。
<担当番組>
めざましどようび
めざましテレビ「きょうのわんこ」(月~金)ナレーション
入社8年目の竹内友佳と三田友梨佳アナウンサーを筆頭に、後輩アナウンサー全員が参加し、総勢17人が登場。フジテレビアナウンサーをより身近に感じられる内容になった。
仕様:A3変型判(縦425mm×横300mm)/縦型・壁掛けタイプ/オールカラー13ページ
販売場所:全国書店、「フジテレビショップ」ほかで2018年10月1日より販売中。
前編はこれまでのアナウンサー人生を振り返りながらターニングポイントに迫るもの、後編は彼女たちが大切にする「5つの法則」をメイク・ファッション・体調管理といったキーワードから問う。
――――堤礼実アナの後を引き継ぎ、18人目に登場するのは西山アナ。※後編(Vol.36)は5月1日に配信予定。
西山喜久恵アナ、『めざましテレビ』人気コーナーを担当
西山アナは1992年にフジテレビに入社。現在は『めざましテレビ』の人気コーナー「きょうのわんこ」(月~金)のナレーション、『めざましどようび』などを担当している。西山喜久恵アナ、支えになっているタモリの言葉
― 27年のアナウンサー人生を振り返って、一番辛かった出来事から教えて下さい。西山アナ:辛かったのはやはり仕事に慣れていなかった新人の頃です。行くところ行くところ全て初めての仕事でしたし、アナウンス室に帰ってきてからの仕事もすごく多かったので、心が休まる暇がありませんでしたね。
― 新人の頃はどんな番組を担当されていたんですか?
西山アナ:夕方のニュースの「スーパータイム」のお天気コーナーや、「笑っていいとも!」のテレホンアナを担当していました。ちょうどその頃に有賀さつきさんがフリーになられて、有賀さんが担当していたバラエティを同期の小島奈津子アナと引き継いだので、バラエティ番組もわりと早い段階で担当することになり、司会もやるようになりました。
― そういった辛い時期はどのように乗り越えられたんですか?
西山アナ:しばらくは辛かったですよね。いろんなことを注意されますし、「これだ!」という正解はそんなにすぐには見つからないので、10年目ぐらいまで「自分らしく、こうやっていけばいいんだ」みたいなものは見つからなかったですね。
10年目を越えたぐらいからは「どうせやるんだったら楽しもう」という気持ちになりましたし、バラエティをやっている時はやっぱり楽しい。当時は「笑っていいとも!増刊号」というものが週末に放送されていたんですが、その収録で毎週タモリさんとお会いすることができたので、あの頃にバラエティの時の間合いやアナウンサーの役割を勉強させてもらったような気がします。
― タモリさんとのお仕事の中で、印象に残っているエピソードはありますか?
西山アナ:昔、小島と西山で「ボキャブラ天国」(1992~2008)でもタモリさんとご一緒していたので、収録が終わった後によく食事に連れて行っていただいたんです。そこで、「2人は主婦に好かれるタイプだから大丈夫だぞ!」と言われて。可愛い・キレイというタイプではないけど、親しみやすさがあって皆が応援してくれるタイプだと。「だからお前たちは自信を持ってやっていけ」と言っていただいたことがすごく嬉しかったんですよ。やはりテレビは30代40代の主婦の方が主に見ているメディアなので、その言葉は今でも支えになっています。
西山喜久恵アナのターニングポイントは?出産後も仕事を続けた理由
― では、アナウンサー人生のターニングポイントを挙げるならいつ頃ですか?西山アナ:3、4年目ぐらいにスポーツを担当させていただいたことは、1つのターニングポイントですね。誰かの伝聞ではなく、必ず自分の足で取材をして伝えるということは、スポーツの時に学んだ今でも私の基本になっている部分です。それからちょうど10年目で夕方のニュースを担当させていただくことになったんですが、バラエティが多かった私が報道番組を担当することになったことはかなり大きなターニングポイントでしたし、子どもができてからもまた変化がありました。
― 結婚や出産というライフスタイルの変化は、仕事を続けるか否かという選択が必要になるケースもあると思います。西山さん自身はどのように考えていましたか?
西山アナ:出産の時は正直なところ、もう辞めるんだろうなと思っていました。私はそんなに器用なタイプでもないので。「きょうのわんこ」の収録だけはギリギリまでやっていたのですが、産後1年間は武田祐子アナに任せていました。でも、1年も経たないうちに新しいお仕事の話をいただいた時、やっぱりやりたかったんですよね。もちろん子育ても大事だったのですが、多分私の場合は仕事をしながら子育てをする方がバランスが取れていたのだと思います。
― やはりお子さんが小さい頃は大変なことも多かったですか?
西山アナ:そうですね。忘れもしない1歳の誕生日。子どもを入院させてしまったんです。だから1歳のお誕生日の写真が1枚もないんです。今はかなり大きくなりましたけど、「ごめんね。ママが仕事に復帰しちゃったから、あなたを風邪引かせちゃったのかな」と今でも思いますよね。自分が選んだ道ですが、「そこまでして働かなくてもよかったんじゃない?」ともう1人の自分が言っていました。
― そんなことがあったんですね。家事や育児と仕事を両立するために心がけていることはありますか?
西山アナ:それは最近すごくわかっていて、「どっちも頑張らない」ということです。仕事も子育ても中途半端でいいんです。多分どっちも完璧にやっていたら、破綻します(笑)。
― お子さんも仕事を頑張る西山さんを応援してくれているんですか?
西山アナ:はい。寂しそうな時もありますけど、応援してくれています。年に2回、出雲駅伝と富士山女子駅伝を担当しているんですが、それに携わっている時はおそらくママがすごく準備をしているというのを彼女も薄々気づいてるんですよね。ある日、「ママ、駅伝の仕事頑張ってね。見てるよ」と書かれたメモをもらったんです。ほかの番組の時、そんなのもらったことないんですよ(笑)。彼女の中で私が日頃すごく頑張ってるという認識はないのかもしれないですけど、駅伝の時はわかったんでしょうね。駅伝の仕事は3日ぐらい家を空けなければならないので、彼女にはかなり負担がかかっているんですけど、全くもって何も言わない。今でもそのメモをお守りのように持っています。
西山喜久恵アナの夢、後輩育成の秘訣
― 今後、アナウンサーとして目指すものを教えて下さい。西山アナ:これは最近、佐々木恭子アナとも言っているんですが、改めてアナウンサーというのは音声表現の仕事、声を使う仕事だと思っているので、もっともっといい声になりたい、もっともっといいナレーションができるようになりたいですね。多分、今までの中で一番、ここ最近モチベーションが上がっています。もっと上手になりたい、もっといい声になりたいとすごく思っています。
― その向上心はどこから来ているんですか?
西山アナ:後輩の指導のために、いろんな先生を呼んで講習会をする企画を佐々木アナと担当しているんですが、すごい方がゲストでお見えになるので、「うわーかっこいい!何だその声は!」「これが本物だ!」と思う機会がすごくあるんです。やっぱり教えるためには自分もそうなっていないといけないので、もっと磨かないとだめだと思いますね。
― キャリアアップの中で、後輩の育成に悩む方も多いと思います。西山さん自身、指導する上で気をつけていることはありますか?
西山アナ:最初の頃は、もうとにかく一生懸命教えなきゃと思っていたんですけど、まずはその後輩の悩みを聞いてあげるということですね。その子が何を迷っているか、何に困っているか。それを聞いてあげないことには先に進めないぞ、ということがわかってきました。
― まずは密にコミュニケーションを取ることが大事だと。
西山アナ:そうですね。もちろんいっぱい直したいところはあるんですけど、まずはその子がどうしてできないのかという部分を「どうしてできないの?」ではなくて、「こういう感じになっているよね。今どういう状態?」と、素直に言えるように持っていくようにしています。
― ちなみに、西山さんご自身の今の悩みはなんですか?
西山アナ:今の悩み、なんだろうな?たとえば「きょうのわんこ」を家で聞いている方が、もっともっとスッと耳に入ってくるような声になりたいんですけど、じゃあ果たしてそれがどういう声かな、というのはまだ全然わかっていなくて…。日々模索中です。
― 4月からは担当されている「めざましどようび」から宮澤智アナが卒業され、久慈暁子アナが加入しました。久慈アナにアドバイスを送るなら、どんなメッセージがありますか?
西山アナ:実は「めざましどようび」というのは、宮澤アナがやっていたポジションがしっかりしていないとだめなんです。宮澤アナがしっかり回してくれているからこそ、佐野瑞樹アナと私が自由にできる。久慈アナが担当することになり、久慈アナにも「実はあなたがしっかりしてくれないと困るの」ということを伝えたんですが、「えぇ~!」とすごく困っていましたね。別に脅すつもりはなかったですが(笑)。でも、しっかりとやってくれると思いますし、彼女の月曜から金曜のデイリーにはない部分が絶対出てくると思います。視聴者の皆さんにもぜひ普段とは違う久慈アナを期待してほしいなと思います。
西山喜久恵アナの夢を叶える秘訣
― アナウンサーを目指す学生も多いですが、採用も担当されている西山さんからアドバイスをお願いします。西山アナ:私が入社した頃は“アナウンサー、30歳になったらもういらない説”みたいなところがあって、「私って10年もこの会社で働けないんだ」と思っていたんです。入社した22歳の頃からそういう仕事なんだと思っていたんですが、「あれ?30歳になっても仕事ができたな」と。その後、子どもを産んで復帰したのが39歳。40歳になったらそんなに仕事はないんだろうなと思っていたら、意外といろいろありまして。それこそ陸上の取材やまた新しいチャレンジもさせていただいて、気がついたら今年の誕生日で50歳なんですよ。「あれ?私、まだ仕事してる」という(笑)。
何が言いたいかというと、多分時代が変わってきているということです。自分の人生経験をアナウンサーの仕事にいろいろ活かしてもらえる時代になってきたと思います。だからこそ、目指してくださっている方には「あなたが人生経験した分を必ず還元できる仕事ですよ」と言いたいですね。私自身、今も全然仕事に飽きてないですし、日々こういうこともやりたい、ああいうこともやりたいとすごく思っています。
― 西山さんは面接官をされる時、どんなところを見ていますか?
西山アナ:どの仕事も一緒だと思いますが、「この子と一緒に働きたい」というところが決め手ですかね。性格採用というか「いい子なんだろうな」「あ、この子はしっかりしてそう」とか、人柄を見ています。技術はあとからで全然いいんです。榎並(大二郎)アナを筆頭に「この子、なんかいい子だな」というのを大事にしています。榎並アナの名前出しちゃいました、すみません(笑)。
― では最後に、これまで様々な経験をされた西山さんが考える夢を叶える秘訣を教えて下さい。
西山アナ:以前、女子サッカーの取材をさせていただいたご縁で、澤穂希さんと仲良くさせていただいているのですが、彼女の「夢は見るものじゃない、叶えるものだ」という言葉は有名ですよね。彼女は「夢がある時点で素晴らしい」と言ってくれるんですよ。そのために、どんなに遠くても、1個1個レンガを積むように登っていけば必ず到達できる。その1個1個のレンガを地道に積んでいけるかどうかだと。
じゃあ毎日澤さんが何をしていたのか聞いてみたら「ボールを止めて蹴る。その練習から始めた」と言っていて、「私も一緒だ」と。声を出して、発声練習をして、滑舌の練習をして…。そうやって積み重ねていけば、もしかしたらもっといい声になるかもしれない。ゴールが少し見えたかもしれないと思いました。レンガを1個1個積むことが明確に自分の夢に近づいているんだという気持ちがあれば、全然苦にはなりません。続けていくことこそ、意味があると思います。
― ありがとうございました。
(modelpress編集部)
西山喜久恵アナのとある一日
土曜日は、朝3時45分に出社。眠い中目をこすりながらメークをし本番に。今日から久慈アナも加わりこの3人でメインのMCを務めます。
久慈アナは、やはり緊張気味です。久慈アナの緊張を和らげるため、みんなで9時のポーズ。
放送終了後、キャスター全員で広報用の撮影。
スタジオに遊びに来てくれた子熊と一緒に大騒ぎ。
OA後、ほっとする瞬間。
西山喜久恵(にしやま・きくえ)プロフィール
生年月日:1969年6月22日/出身地:広島県/出身大学:上智大学/血液型:AB型/入社年:1992年<担当番組>
めざましどようび
めざましテレビ「きょうのわんこ」(月~金)ナレーション
「フジテレビ女性アナウンサーカレンダー2019-OUR SEASONS-」
昨年に続き、新美有加アナを中心としたフジテレビアナウンサー室が完全プロデュースし、各月の季節感を色濃く反映しながら日常生活の一場面を切り取った写真は、普段テレビには映らないアナウンサーの素顔が盛りだくさん。入社8年目の竹内友佳と三田友梨佳アナウンサーを筆頭に、後輩アナウンサー全員が参加し、総勢17人が登場。フジテレビアナウンサーをより身近に感じられる内容になった。
仕様:A3変型判(縦425mm×横300mm)/縦型・壁掛けタイプ/オールカラー13ページ
販売場所:全国書店、「フジテレビショップ」ほかで2018年10月1日より販売中。
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