「星条旗」の先に見えるジャスパー・ジョーンズ(松井孝予)

2026.08.28 06:00
提供:繊研plus

前回のルース・アサワに続き、グッゲンハイム美術館ビルバオから。今回は、現代美術を代表するジャスパー・ジョーンズ。約70年の仕事をたどる回顧展「Jasper Johns: Night Driver」が開かれている。

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「星条旗」の画家、その先へ

ジャスパー・ジョーンズと聞いて、まず思い浮かぶのは星条旗を描いた作品ではないだろうか。ポップアート、ミニマリズム、コンセプチュアル・アートの先駆者とされる。だが、約140点が並ぶ今回の展覧会を歩くと、そのイメージには収まらないジョーンズが見えてくる。

1930年、米ジョージア州生まれ。50年代初めにニューヨークへ移り、ロバート・ラウシェンバーグや作曲家ジョン・ケージ、振付家マース・カニンガムらと出会った。54~55年に最初の星条旗を描き、標的、数字、文字、地図など、誰もがすでに知っているイメージを次々と作品にした。

なぜ「星条旗」だったのか

キュレーターのエンリケ・フンコサ Enrique Juncosaは、その背景に当時のアメリカ美術を席巻していた抽象表現主義を挙げる。批評家クレメント・グリーンバーグが絵画固有の「平面性」を重視し、その先にジャクソン・ポロックらの抽象表現主義があった時代。ジョーンズはまったく違う答えを持ち込んだ。

星条旗なら遠近法はいらない。星とストライプからなる平面の幾何学的構成でありながら、抽象画ではなく、誰もが一目で「旗」と認識できる。フンコサは、そこに政治的な意図があったとは考えていない。当時20代だったジョーンズによる「美術界の中でのジョークであり、挑発」だったと説明する。

© Jasper Johns, VEGAP, Bilbao, 2026

《Map》(1961年)にも同じ面白さがある。描かれているのは誰もが知る米国の地図。しかし大画面に近づけば、色と筆触がせめぎ合い、地図という記号と絵画を見る感覚が揺らぎ始める。「知っている」ことと「見る」ことは、必ずしも同じではない。見慣れたイメージを使いながら、ジョーンズは見るという行為そのものを問い直した。

キュレーターのエンリケ・フンコサ

「冷たく難解」だけではない

今回の展覧会が見せるのは、そんな知的なジョーンズだけではない。フンコサは、ジョーンズが「知的で、冷たく、難解な作家」と捉えられがちなことを指摘し、作品に潜む「感情的な側面」も強調したという。

60年代以降、より個人的で、ときにはメランコリックなイメージが作品に入り込んでいく。《Souvenir》(1964年)には、日本を訪れた際に撮った自身の写真が使われ、皿やバックミラー、懐中電灯などのオブジェも組み込まれている。星条旗や数字といった匿名的な記号を描いた初期作品とは違い、そこには作家自身の記憶が入り込む。日本との思いがけない接点にも目を引かれた。

《Souvenir》1964
© Jasper Johns, VEGAP, Bilbao, 2026

展示を歩けば、「こんなものも創作しいていたのか」という発見が続く。《The Critic Smiles》(1959年)は、歯ブラシと歯を組み合わせた小さな彫刻。《Studio II》(1966年)はアトリエという具体的な場所から出発しながら、一見すると抽象画のようにも見える。

舞台芸術との関わりも興味深い。振付家マース・カニンガムのダンス作品《Walkaround Time》(1968年)の舞台美術は、マルセル・デュシャンの《大ガラス》を引用したものだ。デュシャンはジョーンズにとって重要な存在で、その引用や暗示は作品に繰り返し現れる。ラウシェンバーグ、ケージ、カニンガムらとの交流からは、美術、音楽、ダンスがジャンルを越えて交差した当時のニューヨークの創造的な空気も見えてくる。

《Walkaround Time》の舞台美術
© Jasper Johns, VEGAP, Bilbao, 2026

繰り返し、変奏する

さらに展覧会を進むと、かつて登場したイメージが姿を変えながら何度も戻ってくる。一つのモチーフを描いて終わるのではない。ドローイングや版画へ移し、色を変え、消し、加え、時を経て再び取り出す。フンコサが「作品のファミリー」と表現するように、一つのイメージからさまざまな作品が派生していく。

約70年を見渡して印象に残るのは、その変化と持続だ。次々と新しい様式へ乗り換えてきたのではなく、以前に使ったイメージや自らが投げかけた問いに何度も立ち返り、そのたびに別の方法で考え直している。同じものが、時間と技法によって違うものに見えてくる。

展覧会のタイトル「Night Driver」は、1960年のドローイングから取られた。絵画、彫刻、ドローイング、版画、アーティストブック、舞台美術など約140点を通して浮かび上がるのは、「星条旗の画家」だけではないジャスパー・ジョーンズだ。

「私たちは物事をどのように見て、解釈しているのか」。フンコサは、そこにジョーンズの芸術の根幹を見る。知っているはずの旗が、見ているうちに知らないものになっていく。その小さなずれを楽しむところから、ジョーンズの作品はぐっと面白くなる。

美術館の外にもアート

ジョーンズ展を見る楽しみは、美術館の中だけではない。

ネルビオン川沿いに建つグッゲンハイム美術館ビルバオは、建築家フランク・ゲーリーの設計で1997年に開館した。チタン、ガラス、石灰岩を使い、複雑な曲面が連なる建物は、ビルバオを象徴する存在となっている。

その正面で来館者を迎えるのが、ジェフ・クーンズの《Puppy》(1992年)。高さ12メートルを超すウェスト・ハイランド・ホワイト・テリアを、生きた花と植物で覆った巨大な彫刻だ。約3万8000株の植物は年2回植え替えられ、季節とともに表情を変える。

ジェフ・クーンズ作《Puppy》

美術館開館25周年を迎えた2022年には、クーンズと美術館が特別な植栽を考案。普段の色とりどりの花から、モデルとなった白いテリアを思わせる、白を基調とした姿に変わった。クーンズはそこに「平和、再生、愛」を込め、満開の植物は「生命のエネルギー」を象徴すると語った。さらに、この作品が「人々が集まり、超越的なものを体験できる場所」になることを願ったという。

開館以来、何百万人もの来館者を入口で迎えてきた《Puppy》。一方、川側へ回れば、ルイーズ・ブルジョワの巨大な蜘蛛《Maman》(1999年)が待っている。母へのオマージュとして生まれた作品だ。花に覆われた愛らしい犬と、長い脚を伸ばす巨大な蜘蛛。美術館に入る前も、出た後も、現代アートとの出会いが続く。

ルイーズ・ブルジョワ作《Maman》

もう少し歩いてみたくなるビルバオ

現在の姿からは想像しにくいが、ビルバオは鉄鋼や造船などで栄えた工業都市だった。重工業の衰退に加え、1983年には大洪水に見舞われた。その後、川沿いの再開発やインフラ整備など大規模な都市再生が進み、97年にグッゲンハイム美術館が開館した。文化が街の再生を後押しし、その変貌は「ビルバオ効果」と呼ばれるようになった。

街を歩くと、その新しさとは別の顔にも出会う。

1903年創業の「Café Iruña」は、ムデハル様式に着想を得た色鮮やかなタイルや壁面装飾が目を引く。カフェとレストランに分かれた店内は、ほんの少し覗いただけでも写真を撮りたくなる空間だった。


旧市街カスコ・ビエホへ向かえば、街の台所「メルカード・デ・ラ・リベラ」がある。巨大な市場には食材が集まり、街の真ん中に日々の食文化が息づく。

さらにプラサ・ヌエバを囲むアーケードには、バスク地方の小皿料理、ピンチョスをカウンターに並べたバルが軒を連ねる。一つ二つつまんでは次の店へ。バルを巡りながら少しずつ味わうのも、バスクならではの楽しみだ。眺めているだけでも次々と試したくなる。今回は地元人が薦めてくれた一品を味わった。

ビルバオの通り
誘惑のピンチョス
迷いのピンチョス

食といえば、美術館のレストランも特筆したい。ガスパチョに、鴨を詰めた大ぶりのカネロニ。イタリア料理でおなじみのカネロニとは趣が異なる。美術館での食事という以上に、ここで食べること自体が楽しみになるレストランだ。さすがバスク地方は美味しい。

初夏にもかかわらず、街頭の温度計が46度を示すほど暑い日だった。それでも歩けば、もう少し覗いてみたい店や、味わってみたいものが次々と現れる。

美術館を目的に訪れたとしても、それだけで帰るのは少し惜しい。短い滞在でも、もう少し歩き、もう少し味わってみたくなる。それがビルバオという街だった。

夕暮れ時の美術館

■Jasper Johns Night Driver
10月12日まで
https://www.guggenheim-bilbao.eus/en/exhibitions/jasper-johns-night-driver

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松井孝予

(今はなき)リクルート・フロムエー、雑誌Switchを経て渡仏。パリで学業に専念、2004年から繊研新聞社パリ通信員。ソムリエになった気分でフレンチ小料理に合うワインを選ぶのが日課。ジャックラッセルテリア(もちろん犬)の家族ライカ家と同居。

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