「未来がなくなった」レスリングで五輪を目指した山岡聖怜、怪我の絶望からプロレスラーになるまで
女子プロレス団体「マリーゴールド」で活躍する山岡聖怜。小学4年生の頃、兄のレスリング見学に家族で付き添ったことをきっかけに競技を始め、4人きょうだい全員でレスリングに打ち込んだ。全国中学選抜選手権では準優勝を果たし、オリンピック出場を夢見て練習に励んだものの、怪我によるドクターストップで競技を断念。「未来がなくなった」と振り返るほどの挫折を経験する。その後、姉との縁からプロレスと出会い、新たな夢を見つけた。今回は、レスリング漬けだった少年少女時代、人生のどん底からプロレスラーになるまでの道のり、そして引退前に叶えたい夢や、その先に思い描く人生について話を聞いた。(前後編の前編)
――まずは山岡さんの原点でもある福岡時代のお話から伺います。レスリングを始めたのはいつ頃だったのでしょうか。
山岡 小学校4年生くらいですね。兄がレスリングを始めたのがきっかけです。家族みんなで見学について行ったら、私も「やりたい!」ってなって。
――見学したその日から惹かれたんですね。
山岡 はい。しかも私だけじゃなくて、きょうだい全員が「やりたい!」って(笑)。4人みんな同時に始めました。
――レスリングは激しい競技ですが、怖さはありませんでしたか?
山岡 全然なかったです。むしろ「楽しそう!」って思いました。
――実際に始めてからも、その気持ちは変わらなかった?
山岡 ずっと楽しかったですね。「辞めたい」と思ったこともありませんでした。それに始めた頃から、オリンピックに出たいという夢がありました。
――小学生の頃からですか。
山岡 はい。10歳のときに学校でやる「2分の1成人式」があったんですけど、そのとき将来の夢に「オリンピック選手」と書いたのを今でも覚えています。
――かなり早い段階で目標が定まっていたんですね。周囲からの期待も大きかったのでは?
山岡 期待はされていましたけど、それ以上に自分が負けず嫌いなんです。スポーツをやるなら、やっぱり上を目指したくなっちゃうタイプでした。
――練習量も相当だったそうですね。女子選手が少なく、男子と練習することも多かったとか。
山岡 通っていたクラブは男子が多かったので、自然と一緒に練習していました。地方大会では最初は女子の部に出ていたんですけど、物足りなくなって男子の部に出ることもありました。
――女子選手でも男子の部に出場できるんですね。
山岡 県大会くらいまでは認められていました。地方は女子選手自体が少なかったですし、いても階級が違ったりして、なかなか試合相手がいなかったんです。
――中学時代には全国中学選抜選手権で準優勝という結果も残されています。当時はどんな練習をしていたのでしょうか。
山岡 1日3部練でした。朝は走って、お昼に練習して、夜もまた練習。学校がある日は放課後もずっとレスリングです。
――かなりハードですね。
山岡 私が中2から中3の頃はコロナ禍だったので、授業がオンラインだったんですよ。学校へ行かなくてよかったので、本当にレスリングだけをやっていました。
――コロナ禍でも練習は続けられたんですか?
山岡 母が家の倉庫を練習場みたいに改造してくれて、姉とずっと練習していました。中3の終わり頃に東京へ引っ越してきた頃には規制も少し緩くなって、マスクを着ければ練習できるようになったので、ルールを守りながら続けていました。
――そんなレスリング一筋の日々でしたが、怪我によってオリンピックへの夢を断念することになります。ドクターストップを告げられたときは、どんな気持ちでしたか。
山岡 未来がなくなったような感覚でした。レスリングを失ったら、自分には何も残らないって思ってしまって。本当に病んでしまいましたね。「もうどうなってもいいや」くらいまで落ち込んで、「今から死んじゃおうかな」と思うくらい、本当のどん底でした。
――そこから、どうやって立ち直っていったのでしょう。
山岡 周りの人たちに支えてもらいました。一番大きかったのは、ある人から「人としてやばいよ」って言われたことです。
――落ち込んでいるときには、かなり厳しい言葉ですね。
山岡 でも、その言葉がすごく刺さったんです。「変わらなきゃ」って思えました。もちろんショックではあったんですけど、自分では気持ちをコントロールできないくらい落ち込んでいたので、その一言が前を向くきっかけになりました。
――まさに恩人ですね。
山岡 はい。「変わらないといけないよ」と言われて、少しずつ気持ちを整えようと思えるようになりました。それで「次はどんな仕事をしたいんだろう」と考えたときに、建築士や保育士、エンジニアになりたいと思ったんです。怪我をしていたので、その頃はスポーツの道は考えていませんでした。
――レスリングとはまったく違う世界ですね。
山岡 そうなんです。そんなことを考えていたとき、お姉ちゃんがきっかけで初めてプロレスを観たんです。それから自分でもチケットを取って観戦するようになって、「プロレスもいいな」と思うようになりました。でも、自分からはなかなか言い出せなくて。
――そこから現在につながっていくわけですね。
山岡 はい。怪我も治って気持ちも落ち着いてきた頃、事務所の方から「プロレスに興味はないの?」って声をかけてもらったんです。
――まさに運命的なタイミングですね。
山岡 お姉ちゃんが、私がプロレスに興味を持っていることを伝えてくれていたみたいなんです。私は本当にプロレスが好きになっていたので、「好きです!」って答えて、そのまま今につながりました。
――現在はプロレスラーとして活躍されていますが、建築士や保育士、エンジニアへの憧れは今も残っていますか。
山岡 諦めてはいません。でも、若いうちにしかできないこと、体が動くうちにしかできないことは今やっておきたいんです。レジェンドと呼ばれるレスラーの方々は、体がボロボロになるまでリングに立ち続けています。本当に尊敬しています。でも私は、できるだけ体を大切にしながら続けたいと思っています。
――引退するまでに実現したいことはありますか?
山岡 本を出したいですし、自主興行もやってみたいです。自分でカードを組んで、自分らしい大会を開いてみたい。そして、体がボロボロになる前に、きれいな状態でリングを降りたいと思っています。
――想像する引退後の人生について教えてください。
山岡 一番は建築関係の仕事に携わりたいです。実家もそういう仕事をしていたので、昔から興味がありました。それから年齢を重ねて体が動かなくなったら、子どもたちと関わる仕事をしながら、穏やかに暮らしていけたらいいなと思っています。
▼山岡聖怜(やまおか・せり)2006年11月13日生まれ、福岡県出身。T162、B82・W61・H96。小学4年生ごろにレスリングを始め、2021年の全国中学選抜選手権女子54キロ級で2位。2025年1月3日、女子プロレス団体「マリーゴールド」でデビュー。A&K所属。
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