ブラックマヨネーズ(ぶらっくまよねーず)

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ブラックマヨネーズのプロフィール

ブラックマヨネーズ

小杉竜一と吉田敬による日本のお笑いコンビである。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。1998年結成。2005年M-1グランプリ王者。略称はブラマヨ。

■メンバー
吉田敬(よしだ たかし、1973年6月27日 - )ボケ担当
立ち位置は向かって右。

小杉竜一(こすぎ りゅういち、1973年7月5日 - )ツッコミ担当
立ち位置は向かって左。

■来歴
1994年、大阪NSC13期生の同期として出会う。在学中から、小杉は「関西キング」、吉田は「ツインテール」という別々のコンビを組んでいたが、小杉の元相方が結婚を期に引退。それをきっかけに吉田が小杉を誘う形で、1998年にコンビを結成した。

小杉がコンビを解散してから、小杉の母親が「アンタ、吉田君と組み」ときっかけを作った。その発言の後、吉田のコンビを組むプロポーズに小杉がOKを出した。また、2009年に小杉が「やりすぎコージー」で明かしたところによると、当時、吉田とコンビを組んでいた和田義浩が、小杉は自分を気遣って吉田とコンビを組むことを躊躇しているのだろうと思い、自ら小杉に吉田とコンビを組むように説得しに来たという。番組で小杉がその話をするまで、吉田はそのことをまったく知らなかった。和田義浩は現在、放送作家をしており、ブラックマヨネーズを裏方として支えている。

コンビ名は、日本のロックバンド「Mr.Children」のように正反対でアンバランスな意味の単語を組み合わせたもの。マヨネーズという身近なものの名前を入れることで「マヨネーズを見るたびに自分たちのことを思い出してくれたら」という願いも込められている。ただし、当初はこの名前を吉本興業に申請した際、「ブラック」はイメージがいまいち良くないとして一時保留扱いとなっていたが、同時期にブラックビスケッツのヒットがあったため、イメージが払拭されて話を通った事を明かしている。

2005年12月25日の第5回M-1グランプリで、3378組の出場者がいた中で見事に優勝を果たした。しかし、当時既に関西での仕事を抱えていたため、他のM-1優勝コンビに比べて優勝後の全国ネットのメディア出演が少なかった。2007年頃からはキャラも浸透し始め、少しずつ全国区でのテレビ出演が増え、M-1覇者には珍しい「時間差ブレイク」を起こした。ただし、2人はこの見方に対してやや否定的であり、「関西での仕事ばかりしていただけ」「自分達では全力疾走してたけど周りからは歩いているようにしか見えてなかったのかも」と振り返っている。東京に家を借りるなど、本格的な東京進出は2008年になってからである。

■芸風
しゃべくり漫才を行う。初めに小杉が「どうも、ブラックマヨネーズです」と挨拶し、吉田が話を振る。話は基本的に悩み事の相談(「朝起きられない」「どこへ旅行に行くべきか」など)で、話を聞いた小杉はまずスタンダードな解決策(「早く寝たら済む話や」「アメリカとかどうですか」など)を提案し、吉田はそれに一度は納得するが「いや、でもなあ」とつぶやき、細かい所を気にしながらボケて、それに小杉が「考え過ぎや!」と突っ込む。

そこから少しずつ話がエスカレートし、口論に発展。挙げ句の果てに小杉が投げやりに支離滅裂な内容の助言(「鶏でも買え」「刑務所行け!!」など)を叫び、吉田がそれに突っ込む。その意味を小杉は説明するが非現実的かつ無茶苦茶な内容で結局吉田にビンタされる。その説明で吉田の肌をネタにすることもある。

オチは吉田が「まさか○○を薦められるとはな」と呆れ気味に小杉に話し、「お前に相談したのが間違えやわ。お前に二度と相談しない」と言い放ち、小杉の「じゃあ誰に相談するねんこれから」に対し「いつも行ってる皮膚科の先生に相談する」と言って締める。
小杉がツッコミで吉田がボケを担当しているが、話の流れで立場が逆転する事が多い。

■M-1グランプリ
2001年から2004年まですべて準決勝敗退に終わっていたが、2005年のM-1グランプリで初めて決勝進出。

2005年になってネタのスタイルと作り方を変えており、「ラジオのように2人で喋りながらネタを作りたい」という吉田の提案により、それまで吉田1人でやっていた台本作りを2人で1から行うようになった。

決勝戦で披露した2本のネタは半年以上前の2月ごろに出来上がっていたが、ネタの鮮度を保つために封印していた。春先の漫才特番で我慢できず、腕試しも兼ねて一度だけ披露したものの、その後はそのネタを封印し続け、M-1の決勝戦で満を持してのお披露目だった。

決勝ファーストラウンドでは直前の出番だったチュートリアルが「バーベキュー」のネタで松本人志から絶賛され、吉田は「死ぬほど羨ましかった」という。小杉は舞台袖で人のネタを聞くのが嫌いなため、控え室で見ていた。ブラックマヨネーズは5番手で登場し、「ボウリングの球の扱い方」というネタを披露。王道だがオーソドックスな漫才の強さ、ネタの完成度が高く評価されファーストラウンドを1位で通過、審査員の大竹まことから「あまりオーソドックスは好きじゃないけど、オーソドックスの凄さにびっくりした。別に新しいことをやらなくても十分面白いんだと再認識しました」、島田紳助からは「4分の使い方、抜群。4分の使い方に感動したね。噂は聞いてたけど、ほんまに凄かったわ。昔、僕の番組の前説来てくれてたからよう見てたんやけど、ほんまに成長してるし、4分の使い方上手い」と絶賛された。最終決戦は3番手を選び、「喧嘩の強い男を目指そう」というネタを披露。7人中4票(3票は笑い飯)を獲得して優勝を果たした。彼らの登場以後、4分間をいかに上手く使うかがM-1で勝つための重要ポイントになったとされる。

優勝後に受けたインタビューで吉田の「結果求めんとやったのがよかった」というコメントが、誤って「結果求めてやったのがよかった」と新聞に載ってしまった。
2006年度以降のM-1グランプリには、「今の環境では自分たちの納得できる漫才を披露することはできない」という理由から、出場を辞退している。

■評価
ダウンタウンの松本人志は、ラジオ番組『放送室』で、彼らが出演していたフジテレビのネタ番組を観て、「あいつら楽しんどるもんなー。技術、才能はもちろん必要やけど、本人らが楽しんどるかどうかが大きい。ブラマヨばっかり誉めて申し訳ないけど、やっぱ面白い」「あの漫才スタイルはやろうと思ってできるものやない。きっと自然にああいう形になったんやと思う。乗ってたわ」と賞賛した。また、ダウンタウンに影響を受けたコンビが多い中で、ダウンタウンに影響を受けずにやってきた点も称賛している(ただし、小杉のツッコミはダウンタウンの浜田雅功から影響を受けている)。それに対し高須光聖も「何度見ても笑える漫才」と絶賛し、また、M-1優勝後の放送回ではM-1時のメンバーの風貌(彼曰く、「汚い、華がない」)が若手時代のダウンタウンによく似ていると語っている。これに対して松本は「あそこまでひどくないやろ」と苦笑している。

ビートたけしは、気に入っているお笑い芸人としてブラマヨの名前を挙げ[6]、特に雛壇芸人としての彼らの才能を称賛し、「失礼な言い方だけど、メインがいて、横にいてサポートするのは巧えなあと思う」と述べている。また自身が審査委員長を務める『ビートたけしのエンターテインメント賞』で、日本芸能大賞を受賞したブラックマヨネーズについて「バラエティでの“保険”だね。この2人がいると安心して見ていられる」と絶賛した。

関西のテレビ界での才能発掘の天才と呼ばれる、ABC朝日放送の演出家矢澤克之は、ブラマヨが全国区になる以前から評価し、自身の初プロデュースする「ビーバップ!ハイヒール」に彼らをレギュラーに起用、その年にM-1チャンピオンになった。後に矢澤は、テレビ雑誌のインタビューで「この業界に入って早々に、ダウンタウンの面白さを目の当たりに受けた時の衝撃と同じモノを彼らから感じました」と絶賛。その翌年には、同じくレギュラーに抜擢していたチュートリアルも優勝している。

ただ、チュートリアルの徳井義実は、同期のブラックマヨネーズが先にM-1チャンピオンになったことに関して、「M-1を先に獲られたことよりも、ブラマヨの面白さが全国にバレてしまった。一旦噴火したらどこまでも行くだろうな、と思った」と語っている。
陣内智則もブラマヨの才能に早くから気付いており、自らがMCをつとめるイベントのレギュラーにブラマヨを抜擢し、売れるキッカケを作った。このことはブラマヨの2人も感謝しており、「陣内さんがいなければ今のブラックマヨネーズはなかった」と語っている。また陣内は、2005年のM-1決勝前に、ブラマヨからどのネタでいくのかを聞いており、「あのネタなら間違いなく優勝する」と確信。M-1決勝が行われた時間帯に陣内は移動中であり、結果を知らなかったが吉田に「優勝おめでとう」というメールを送った。 ただし、自分が可愛がっていた後輩がブレイクしてしまったことに寂しさも感じているようで、「俺のブラマヨが遠くに行ってしまったと感じるのが嫌」という理由で、ブラマヨが出演しているテレビは観ないという。

吉本興業の専門誌『マンスリーよしもと』の編集長を7年半務めた尾北有子が編集長を卒業する2007年12月号で、最後にやりたい企画として巻頭特集「ブラックマヨネーズA to Z なぜ あなたは彼らを愛さないのか?」を企画した。この企画でテリー伊藤は、「飼いならされた笑いに慣れてしまった人たちよ、ブラックマヨネーズを観ないでどおすんだよ!?」とコメントしている。

ネタのスタイルや作り方を変えて一気に躍進した事もあって、フットボールアワーの2人は、M-1で急にブラマヨの漫才が面白くなっている事を目の当たりにして笑えない程ビックリしたと話している。

■コンビ仲
コンビ仲がよく、吉田の携帯メモリのNo.0は小杉、小杉の携帯電話のメモリのNo.1は吉田になっている。吉田は小杉の代わりがいないという意味でNo.0、小杉は有事の際に一番に連絡を取りやすいことからNo.1に登録している。東京の吉田の新居に小杉が遊びに行ったりすることもある。ネタを中心に書いている吉田に気を遣い、小杉は吉田が休めるように月に一度大阪でソロライブをやったり、M-1優勝時は吉田に「賞金を折半してええんか?」と聞いてきたりなど、優しさをのぞかせている。また、楽屋で2人きりでも、会話をよくする珍しいコンビであると自ら認めている。恋愛に関する相談をお互いにする。

吉田にとって、家族と小杉が同時に溺れている時に助ける優先順位は「弟>小杉>両親」だと語っている。

吉田が小杉にコンビ結成を申込みに行った際、吉田は母親の軽自動車を借りて小杉宅へ行ったが、小杉宅には高級車が止まっており、「こいつ、すぐに芸人に見切りをつけるんちゃうか?」と心配した吉田は、「コンビ解散を切り出したら3,000万円支払う」という誓約書を小杉に書かせようとした。

小杉の髪の毛が薄くなり始めたころ、まだ気持ちが吹っ切れていなかった小杉は、楽屋で先輩芸人たちにネタにされる度に芸人を辞めてやろうと何度も考えたことがあった。しかし、吉田は小杉が「ネタにして笑いを取っていい」と言い出すまで、楽屋ネタとしてはもちろん、プライベートでも小杉の髪についてふれることは決してしなかった。小杉は、吉田のこの気遣いに非常に感謝している。

『ビーバップ!ハイヒール』で、今言いたい事をボードに書いて見せるという企画が行われた際、他の出演者が無難な内容を書く中、吉田は「小杉へ、いつもありがとう。お前のお陰で今の俺がいる。本当にありがとう」と小杉への感謝のメッセージを書いた。
大阪時代、同じアパートの別の部屋に住んでいた。入居を決めた際、4階と5階に1つずつ空き部屋があったが、そのアパートにはエレベーターが付いていなかったため、「吉田はいつもネタを考えてくれたりして大変だから、せめて1階分の上り下りだけでも楽をさせたい」と、小杉は自ら進んで5階を選択した。吉田はそのことに感謝しているという。

当時、既にビッグネームであったダウンタウンやとんねるずの、「相方の電話番号を知らない」、「相方とはビジネスパートナーの関係」という発言を格好良いと受け止める風潮が若手芸人の中にはあったが、ブラマヨの2人は、「ダウンダウンさんやって若手の頃は、2人で濃密な時間を過ごしていたはずで、だからこそ今がある。売れた後の発言を聞いて上辺だけを真似するのは違う」と考え、いつでもネタ合わせができるようにと同じマンションに住むことにした。

2008年7月現在、仕事などでコンビでタクシーに乗る際は、後部座席に二人とも座るのではなく、助手席と後部座席に分かれて座っている。後部座席の「こんもり」している所に足をかけていた事を責められた小杉が助手席に座るようになった。しかしその状態でも普通に会話はする。助手席に座っている小杉の携帯のメールの内容を後部座席に座っている吉田がのぞいたりすることもよくあるという。

吉田は小杉が助手席に行っても「こんもり」は利用していないと話している。さらに、後部座席の中でも必ず助手席の後ろに座っており、その理由として「運転席の後ろは安全と言われているため、小杉を前に行かせておいて自分だけそこに座るわけにはいかないから」と話し、小杉を呆れさせている。

(後でTV局から支給される)タクシーの料金を払うのは毎回小杉だが、吉田はタクシーを先に降りた後、支払いを終え出てくる小杉を待ち、「(払ってくれて)ありがとう」と声を掛けてから歩きだす。このエピソードを聞いたフットボールアワーの後藤は、「そんなんなかなかできないですよ」と驚いている。

2011年9月現在、吉田は一度もコンビを解散しようと思ったことはない。小杉は、ブラックマヨネーズとして初の単独ライブに向けた練習中、吉田からの指示が細かく、日によって変化することに嫌気が差し、「このライブ終わったら解散しようかな」と一度だけ考えた。しかし、指示通りにやったライブの受けが良かったため、思いとどまったという。

2010年結婚した小杉の夫人との出会いは、吉田からの紹介である。吉田は夫人と呑んだ際、夫人が小杉のファンである事を知り、小杉を電話で呼び出し紹介した。夫人は小杉を「竜にゃん」、小杉は夫人を「ポコにゃん」と呼び合う仲。
後輩のNON STYLE・井上曰く「お姉ちゃん関係だと(ブラマヨの二人が)異常に仲良しになる」。

■その他
ブラマヨのファンを公言できない女性ファンが多いとの説から、こっそり応援できるようにと、公式グッズのクリアファイルには2人の顔が内側に印刷されており、表面は黒字にロゴのみで、一見彼らのグッズとは分からないようになっている。近年、ラジオ番組『ブラックマヨネーズのずぼりらじお』内で2003年に作成されたMARS16(大阪のファッションブランド)とのコラボレーションTシャツが話題になり、希少価値からかオークション等で高値で取引されている。

バラエティ番組『ネプリーグ』(フジテレビ)にはゲスト出演者としてはたびたび出演し、比較的ネプチューンチームに出ることが多いがゲストチームに出ることもある(芸人チームなど)。その番組内では、吉田が相手チームの出演者の女性に恋をし、それに小杉や名倉潤らが突っ込んでいくのがお約束。2008年12月29日の年末SPでは、ゲスト(よしもと芸人)チームとして参加し、優勝を果たした。また、トロッコでも1回100万円獲得している。

2009年4月13日付けのバナナマンのバナナムーンのポッドキャストにおいて、M-1優勝前の大阪時代には8か月無休で仕事があったが、月の給料が25万程度だった月が2回あったと述べている。

大阪時代、コンビ揃って同じテレクラでバイトしている。吉田が先輩である。

GACKTが彼らの大ファンである。きっかけは、映画の海外ロケでスケジュールの過密さに精神的に追い込まれていたGACKTに、事務所のスタッフから「これを見てみてください」と言われて、見たのがM-1グランプリのブラックマヨネーズの漫才だった。後に、GACKTが「ブラマヨは命の恩人」と言うほど救われたらしい。

GACKTは、コンサートに2人を招き、彼らはネタを披露した。ネタ終了後、GACKTは、自分のファンに向かって、「俺たちの力で、次の時代のダウンタウンをつくろうぜ!」と呼びかけた。

SMAPの木村拓哉も「GACKTさんと同じぐらい好きだ」、「テレビにブラマヨが出ていたら、チャンネルは変えません」と発言している。

2人ともアイドルには興味がなかったが、「スター姫さがし太郎」の共演を機に2人ともSKE48のファンになっている。

吉田は同僚芸人に対する友情に厚く、河本準一の母の生活保護不正受給問題では河本を批判する論者に対してツイッター上でこれを擁護する論陣を張った。だが、激論するうち言葉が激し、「食物連鎖の一番下の人」との発言が生活保護を受けられず餓死した人を見下すものであると受け止められたことから、インターネット上で大規模な批判を受けた。

大阪時代は下積みが長く、何組もの後輩がブラマヨより先に売れていた。新しい波8のオーディションを受けるも不合格となり、同番組に出演した後輩のキングコングやインパルスに対して、「あいつら顔だけで選ばれたんや」と毒付いていた。しかし、吉田がインパルスの堤下敦と初めて会った際、それまで散々悪口を言っていた相手に対して、「(後輩だけど)テレビに出てる人や」と完全に気後れして何も言えなかった。この件で考えを改めた吉田は、小杉に対して「俺らいつまでも後輩の悪口言ってる場合とちゃうぞ。まずはテレビに出な何もならへん」と言い、コンビとして前向きな姿勢を持つようになった。

小杉は、東京での仕事が増え始めた頃からと引っ越しを考えていたが、吉田の「まだや」という考えの下、東京ではホテルの連泊を続けていた。当時、大阪の吉本芸人が宿泊していたホテルアイビス六本木には100泊以上したと言っている。結局2人が東京に家を借りたのは2008年になってからだった。

共に将来的には大阪に家を購入し、拠点を大阪に戻したいと考えている。ただしそのタイミングは決めておらず、東京のテレビに必要とされる限りは今の状態を続けたいと話している。吉田は「大阪の漫才文化が好き」、「庭付きの家が欲しいが東京の地価はおかしすぎる」等の理由を挙げている。

■受賞歴
1996年 第17回「今宮子供えびすマンザイ新人コンクール」香川登枝緒賞(吉田のみ。「ツインテール」時代)
2002年 第23回「ABCお笑い新人グランプリ」新人賞
2002年 第37回「OBC上方漫才大賞」新人賞
2002年 第17回「NHK新人演芸大賞」演芸部門大賞
2003年 第32回「上方お笑い大賞」最優秀新人賞
2005年 第5回「オートバックスM-1グランプリ」優勝
2011年 第46回「OBC上方漫才大賞」大賞

■出演
個人での活動は吉田敬、小杉竜一を参照。

■テレビ
<現在の出演番組>
・レギュラー
ビーバップ!ハイヒール(2005年4月7日 - 、朝日放送)チュートリアルと交替で隔週出演。
ホンマでっか!?TV(2009年10月19日 - 、フジテレビ)
世間の裏側のぞき見バラエティ ウラマヨ!(2010年4月10日 - 、関西テレビ)MC
ニンゲン観察バラエティ モニタリング(2012年10月24日 - 、TBS)MC
村上マヨネーズのツッコませて頂きます!(2013年10月21日 - 、関西テレビ)MC
ブラマヨ弾話室〜ニッポン、どうかしてるぜ!〜(2014年4月27日 - 、BSフジ)MC
バイキング(2015年3月30日 - 、フジテレビ)月曜MC
マヨなか笑人 (2015年5月8日 - 、読売テレビ)MC
ブラ迷相談部 その悩み!小杉と吉田まで(2017年4月6日 - 、東海テレビ)MC

・準レギュラー(または不定期出演)
雨上がり決死隊のトーク番組アメトーーク!(テレビ朝日)

<過去の出演番組>
・レギュラー番組
発見!仰天!!プレミヤもん!!! 土曜はダメよ!(2003年9月27日 - 2011年3月26日、読売テレビ)
ヨシモト∞(2006年8月13日 - 2008年12月31日、よしもと劇場)
悲宝館(2007年4月6日 - 9月21日、テレビ朝日)
ブラマヨ・チュートのまる金TV(2007年4月6日 - 2008年3月28日、読売テレビ)MC
業界技術狩人 ギョーテック(2007年10月5日 - 2009年9月18日、テレビ朝日)
近未来×予測テレビ ジキル&ハイド(2008年1月27日 - 2009年2月22日、朝日放送)
マヨブラ流(2008年4月5日 - 2009年3月21日、読売テレビ)MC
ブラマヨとゆかいな仲間たち アツアツっ!(2009年4月9日 - 2016年4月2日、テレビ朝日)MC
マヨブラジオ(2009年4月11日 - 2011年12月24日、読売テレビ)MC
地元応援バラエティ このへん!!トラベラー(2009年7月7日 - 2012年9月25日、中京テレビ)MC
ウェルカムTV(2009年10月18日 - 2010年9月4日、テレビ東京)MC
世界笑える!ジャーナル(2010年4月21日 - 8月15日、TBS)MC
スター姫さがし太郎(2010年9月11日 - 2011年9月24日、テレビ東京)MC
おもろゲ動画SHOW 投稿!1000000000ビュー(2010年10月13日‐2011年3月23日、TBS)MC
ブラマヨ衝撃ファイル 世界のコワ〜イ女たち(2011年4月12日 - 2012年3月13日、TBS)MC
ラグマヨ!ラグビー日本代表応援宣言(2011年4月23日 - 8月28日、日本テレビ)MC
ブラマヨの世紀の和解SHOW(2011年8月6日 - 9月24日、日本テレビ)MC
脳内ワードQ ヒキダス!(2012年1月17日 - 3月27日、TBS)
くせになるややこしさ ブラックマヨネーズのハテナの缶詰(2012年1月27日 - 2015年3月27日、読売テレビ)MC
ブレインアスリート(2012年4月1日 - 6月3日、日本テレビ)MC
ピロロン学園(2012年4月11日 - 9月19日、日本テレビ)
奥の深道〜同類くんの旅〜(2012年4月13日 - 8月24日、フジテレビ)MC
金銭感覚お試しバラエティ カカクの王様(2012年4月16日 - 7月23日、TBS)MC
お金がなくても幸せライフ がんばれプアーズ!(2012年10月19日 - 2013年9月13日、テレビ東京)MC
ブラックミリオン(2013年4月6日 - 2014年3月29日、テレビ東京)MC
腹ペコ!なでしこグルメ旅 → ブラマリのいただきっ!(2013年10月4日 - 2015年6月12日、テレビ東京)MC
不思議探求バラエティー ザ・世界ワンダーX(2014年10月19日 - 2015年3月8日、TBS)MC
ラジオな2人(2015年3月3日 - 2016年9月18日、Dlife)MC
なるトモ(読売テレビ)
せやねん!(毎日放送)
スペシャル番組
オールスター感謝祭(8回出場、TBS)
ブラマヨ最強宣言(2006年7月1日、朝日放送)MC
爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル(2006年10月10日 - 2011年9月27日、フジテレビ)
MR.レッドゾーン(2007年1月3日、フジテレビ)
ブラックマヨネーズの学生ボウリング甲子園(2008年9月26日・2009年9月15日・2010年9月7日・2011年8月14日)MC
タカトシラベ(2009年10月9日・2010年1月2日、関西テレビ)
芸能人格付けチェック(2008年1月1日・2010年1月1日、朝日放送)
一度試してみたかった 前代未聞の大実験TV 殿の決断ショー(2010年9月29日、TBS)
戦え!極限バトルSP(2010年10月15日、テレビ朝日)
チュートリアル×ブラックマヨネーズ 天下取り宣言(2011年1月2日・2012年1月3日、関西テレビ)MC
アイデア買い取り宣言!ブラマヨの黄金ロイヤリティー(2011年1月2日、関西テレビ)MC
なるみ・ブラマヨの叫びまショウ!〜これを知らないなんて!どうかしてるぜ!〜(2011年1月6日、朝日放送)MC
あの事件はどうなった?解決!マヨネーズ!!(2011年4月13日、日本テレビ)MC
ザ・追跡スクープ劇場(2011年8月5日・ 11月11日・2012年2月3日・2月17日・9月25日、日本テレビ)MC
ブラマヨ自転車部(2011年12月27日・2012年12月27日・2013年2月11日・8月31日・9月16日・12月27日・2014年2月11日・日本テレビ)MC
男と女と罪と罰!! 本当にあった隣の事件ファイル(2012年6月26日、テレビ東京)MC
ブラックスポーツ(2012年7月5日、TBS)MC
噂のマヨつば話!一斉捜索SP(2012年10月4日、TBS)MC
ブラックマヨネーズのネホりん! ハホりん!(2012年 - 2013年、読売テレビ)
笑える新世代の逆襲 よくできたネタ!テン(2013年4月1日、TBS)MC
謝りたい人がいます(2013年4月8日・8月21日・12月27日・2014年6月19日)MC
ワダマヨの“私は絶対ダマされない” 〜こっぴどくダマされた人から学ぶ10の法則〜(2013年11月22日、テレビ東京)MC
バナナマンとブラックマヨネーズのにんげんだもの(2014年12月26日、TBS)MC
不定期出演
爆笑オンエアバトル(NHK総合)戦績2勝6敗 最高477KB
地方収録回に出演する事が多く、8回中5回の出演が地方収録であった。しかし地方との相性は悪く1勝4敗と負け越しており、当時彼らが拠点としていた大阪収録においても1勝2敗と負け越していた。
笑点(日本テレビ)
もしものシミュレーションバラエティー お試しかっ!(テレビ朝日)「全て当てるまで帰れま10(てん)」コーナーレギュラー。番組開始から出演していたが、2009年10月より裏番組「ホンマでっか!?TV」が開始されることに伴い、放送時間が重なるため出演していなかったが、ゴールデン進出後の2010年5月10日放送分と2011年10月31日放送分のみに出演。)
お願い!ランキング(テレビ朝日)コーナーレギュラーとして月曜に「ブラマヨとゆかいな仲間たち」が放送されていたが、2011年3月28日の放送を最後に新たな冠番組として独立して再スタートとなった。
めちゃ²イケてるッ!(フジテレビ)「恋のかま騒ぎ」コーナーレギュラー
リンカーン(TBS)準レギュラー
爆笑レッドカーペット(フジテレビ)キャッチコピーは「お笑いコンプレックス」→「スーパーコンプレックス芸人」
クイズ!紳助くん(朝日放送)なにわ突撃隊

<ラジオ>
オンスト(YES-FM、2001年10月 - 2003年9月)
ブラックマヨネーズのブラックチューズデイ(CBCラジオ、2002年4月 - 2003年3月)
ブラックマヨネーズのずぼりらじお(ABCラジオ、2002年10月 - 2005年3月)
ブラックマヨネーズのBlack'nラジオ(KBS京都、2004年10月 - 2005年3月、2005年10月 - 2006年3月)フリーウェーブ金曜日
ゴーJ!(MBSラジオ、 - 2007年3月)

<ドラマ>
RESET SP(読売テレビ、2009年1月15日)

<ネット配信>
指原莉乃&ブラマヨの恋するサイテー男総選挙(2017年4月11日 - 、Abema TV)MC

<映画>
日常(エス・エス・エム、2006年)
日常〜恋の声〜(エス・エス・エム、2007年)
鋼の錬金術師 嘆きの丘の聖なる星(サントス(小杉)、カルロス(吉田))※声優[24]

<CM>
・テレビ
コジマ 決算一斉値下げ(2006年)
大阪市 大阪市路上喫煙の防止に関する条例(2007年)
無添 くら寿司(2008年)声のみ出演
am/pm(2010年)声のみ出演
ひらかたパーク
ROBRO TV(2010年)
京楽産業 CRびっくりぱちんこ 爽快 水戸黄門2(2010年)
カルビー「うま辛ポテト ヒ〜ハー!!」(2010年12月6日 - 2012年5月30日、前述の騒動を受け降板。)
吉本百年物語 8月公演(2012年)
テイルズウィーバー(2013年)
塩野義製薬「ニキビは皮膚科へ」(2013年10月 - )
和食さと (2015年)
アディーレ法律事務所(2017年)

■作品
<DVD>
ブラックマヨネーズの∞(無限大)番長
マヨブラジオ・意地のガチンコマッチ

<著書>
時事マヨ -「ブラックマヨネーズ」のニュースプロファイリング
ブラックマヨネーズ吉田敬のぶつぶつ

<連載>
マンスリーよしもと「ブラックマヨネーズ吉田のぶつぶつ」(連載終了)
週刊ヤングサンデー「ブラックマヨネーズのニュースプロファイリング『時事マヨ』」(連載終了)
週刊プレイボーイ「ブラックマヨネーズのオレのが不幸や!選手け〜ん」(連載終了)
YOOH!「ブラックマヨネーズの今月のヨシモト∞大阪な人」
幻冬舎 papyrus[パピルス] 「紺色のカラス」

ライブ
2001年
5月29日 - 「ブラックマヨネーズの吠えて吠えてうるさい」(baseよしもと/大阪)※初単独
10月18日 - 「ブラックマヨネーズのホワイトケチャップ」(baseよしもと/大阪)
12月6日 - 「ブラックマヨネーズのブラッキンマヨネイズ」(baseよしもと/大阪)
2002年
2月21日 - 「ブラックマヨネーズのチャンピオンビーチ」(baseよしもと/大阪)
4月11日 - 「ブラックマヨネーズの春よっしー春こっすー」(baseよしもと/大阪)
6月10日 - 「ブラックマヨネーズの攻めて攻めてしつこい」(baseよしもと/大阪)
9月2日 - 「ブラックマヨネーズの夏よっしー夏こっすー」(baseよしもと/大阪)
11月4日 - 「ブラックマヨネーズのキレてキレて泣いた!」(baseよしもと/大阪)
12月8日 - 「ブラックマヨネーズの吠えて吠えて名古屋」(吉本栄3丁目劇場/愛知)
2003年
1月16日 - 「ブラックマヨネーズの雪よっしー餅こっすー」(baseよしもと/大阪)
3月23日 - 「ブラックマヨネーズの咲いて咲いて蜂だらけ」(なんばグランド花月/大阪)
2004年
1月25日 - 「ブラックマヨネーズの目からウロコ」(うめだ花月/大阪)
2月29日 - 「ブラックマヨネーズPlesure2004」(うめだ花月/大阪)
3月28日 - ブラックマヨネーズの「爆風」(うめだ花月/大阪)
4月28日 - ブラックマヨネーズの「雷撃」(うめだ花月/大阪)
5月30日 - 「ブラックマヨネーズのおもころナイト」(うめだ花月/大阪)
6月25日 - 「ブラックマヨネーズの誕生日ラッシュ」(うめだ花月/大阪)
7月18日 - 「ブラックマヨネーズの夏の闘魂」(うめだ花月/大阪)
11月21日 - 「ブラックマヨネーズのヘイヘイライブ」(うめだ花月/大阪)
2005年
1月23日 - 「ブラックマヨネーズの今年もよろしく」(うめだ花月/大阪)
2月20日 - 「ブラックマヨネーズのいつかのメリー2月」(うめだ花月/大阪)
3月20日 - 「ブラックマヨネーズのぴな祭り」(うめだ花月/大阪)
4月29日 - 「ブラックマヨネーズのソロライブ」(うめだ花月/大阪)
5月29日 - 「ブラックマヨネーズのハゲじゃないパギーだ!」(うめだ花月/大阪)
6月 芝居もん ベルサイユのバラ(うめだ花月/大阪)
6月19日 - 「ブラックマヨネーズの季節はトゥユ」(うめだ花月/大阪)
7月31日 - 「ブラックマヨネーズのピチ月31日」(うめだ花月/大阪)
9月25日 - (ブラックマヨネーズの9ギャツ25日」(うめだ花月/大阪)
10月29日 - 「ブラックマヨネーズの10月ニジュウキュン」(うめだ花月/大阪)
11月20日 - 「ブラックマヨネーズの11月パツカ」(うめだ花月/大阪)
2006年
1月28日 - 「ブラックマヨネーズの1月丸出し」(うめだ花月/大阪)
2月26日 - 「ブラックマヨネーズのイボ猪最強説」(うめだ花月/大阪)
2月27日 陣内智則&ブラマヨ吉田 うだうだうしゃべります(うめだ花月/大阪)吉田のみ
3月27日 陣内智則&ブラマヨ吉田 うだうだうしゃべります(うめだ花月/大阪)吉田のみ
4月24日 陣内智則&ブラマヨ吉田 うだうだうしゃべります(うめだ花月/大阪)吉田のみ
5月21日 「ブラックマヨネーズのソロロイベント」(うめだ花月/大阪)
6月23日 「ブラックマヨネーズのソロイベトン」(うめだ花月/大阪)
6月26日 陣内智則&ブラマヨ吉田 うだうだうしゃべります(うめだ花月/大阪)吉田のみ
7月22日 「ブラックマヨネーズの、ザ・ソロイベント」(うめだ花月/大阪)
7月31日 陣内智則&ブラマヨ吉田 うだうだうしゃべります(うめだ花月/大阪)吉田のみ
8月19日 「ブラックマヨネーズのソロロイベント2」(うめだ花月/大阪)
10月30日 陣内智則&ブラマヨ吉田 うだうだうしゃべります(うめだ花月/大阪)吉田のみ
11月27日 陣内智則&ブラマヨ吉田 うだうだうしゃべります(うめだ花月/大阪)吉田のみ
2007年
9月18日 小杉ライブ〜吉田とケンカした訳やないよ〜(うめだ花月/大阪)
9月26日 陣内智則&ブラマヨ吉田 うだうだうしゃべります(うめだ花月/大阪)
2009年
4月30日 「ブラックマヨネーズの東京引っ越し 祝11か月」(新宿シアターモリエール/東京)

■イベント
ダイワハウススペシャル プロ野球オールスタースポーツフェスティバル(日本プロ野球選手会・讀賣テレビ放送主催、2012年12月6日開催、2013年1月6日日本テレビ系列放送)司会a

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