<女子アナの“素”っぴん/斉藤舞子アナ>バラエティーでの葛藤を語る 記者兼任で得た“知識”という財産【「フジテレビ×モデルプレス」女性アナウンサー連載】
2020.11.16 17:00
「フジテレビ×モデルプレス」女性アナウンサー連載『女子アナの“素”っぴん』―――― Vol.65~66は2004年入社の斉藤舞子(さいとうまいこ・39)アナウンサー。
「才色兼備」と呼ばれる彼女たちも1人の女性。テレビ画面から離れたところでは、失敗して泣いていたり、悔しくて眠れなかったり、自分の居場所に悩んでいたり…。それでも気持ちを落ち着かせて、どうしたら視聴者に楽しんでもらえるのか、不快感を与えないのか、きちんと物事を伝えられるのか、そんなことを考えながら必死に努力をしている。本連載ではテレビには映らない女性アナの“素”(=等身大の姿)を2本のインタビューで見せていく。
前編はこれまでのアナウンサー人生を振り返りながらターニングポイントに迫るもの、後編は彼女たちが大切にする「5つの法則」をメイク・ファッション・体調管理といったキーワードから問う。
――――佐久間みなみアナの後を引き継ぎ、33人目に登場するのは斉藤アナ。※後編(Vol.66)は12月1日に配信予定。
斉藤:かれこれ17年目になるので、もう20年程前の話ですが、学生の頃はあんまり自分から話すタイプではなく、お友達の話を聞いて笑っているようなタイプでした。
でも、人の話を聞くのは大好きだったので、話すことを職業にする人、お茶の間を明るくする人に憧れを抱き、アナウンサーという職業に就きたいと思うようになりました。
― 具体的に考えるようになったのはいつ頃ですか?
斉藤:大学生になってからです。自分がお世話になっていた方にキャビンアテンダントをされている方が多かったので、漠然とした憧れはあったのですが、就職活動を始める少し前にアナウンサーという職業をきちんと知り、本格的に目指すことを決めました。
― そして入社されて17年。これまでを振り返って一番つらかったエピソードや挫折した経験を教えて下さい。
斉藤:挫折はしていると思うのですが、マイナスには捉えていません。何か失敗して、悔しい思いをしても「じゃあ明日はどうやったらプラスに変えられるかな」と考えるようにしています。
「自分がこれほど嫌な思いをして失敗したと思っているということは、周りで一緒に仕事をしてくださった方もきっと良い思いはしなかっただろうな」と思いますし、1年目でも2年目でもプロはプロ。きちんとした仕事ができなかったことを反省し、どうやったら克服できるかということをモチベーションにしてきました。
斉藤:入社当時はバラエティーを担当することが多く、その時に出会った方やお世話になった方には、可愛がっていただき、とても感謝しています。ただ、当時の私は、バラエティー番組におけるアナウンサーの役割がわからず苦労しました。社会人1年目、アナウンサー1年目ということもあり、言われたことをただそのままオウム返しのように繰り返して、台本も読むだけになっていたのかもしれません。
笑って、楽しくやっているように見えればいい、というか「どうしてこれを言うのか」「この言い回しをした時に相手はどう思うのか」という根本的なことを考える力が欠けていたのだと思っています。何が正解なのかわからないまま、悩みながらずっとやっていたのですが、やはり視聴者の方には見抜かれてしまって、「失礼だ」といった厳しいご意見をいただいたこともありました。
その頃、「本当の私はそうじゃないのに」と思っていたのですが、でもそれは自分がそういうふうに発信しているからそう捉えられるのであって。人のせいにするのではなく、自分でなんとかしなければと考えていたのですが、一度ついたイメージから脱却するのはなかなか難しくて。
― 当時はたくさん人気番組を担当されていましたよね。
斉藤:私がうまく立ち回れれば、番組もさらに良くなっただろうし、自分も周りの皆さんももっと楽しくお仕事ができたと思うのですが、「アナウンサーとしてこれでいいのだろうか」という迷いを抱えながらやっていたので、5年目くらいまではずっと悩んでいましたね。
― 5年も。
斉藤:同期が高橋真麻さんと倉田大誠君なのですが、入社当初は真麻さんが報道番組、私がバラエティー番組を担当していました。当時は私が報道志望、真麻さんはバラエティー志望だったので、実はお互いの希望とは逆だったんですよね。
でも、それぞれのイメージや持っている雰囲気があって、私は、バラエティーが向いていると判断していただいたようです。もちろん貴重な経験もたくさんできましたし、楽しかったのですが、心の中には、いつか報道番組に携わりたいという想いはずっと持っていました。
斉藤:入社5年目にもなるともう30歳も間近で、アナウンサー歴としては若手かもしれませんが、世間的に見て人としてはいい大人ですよね。アナウンス職に5年も就いていながらニュースも読めない、ナレーションもできない。かといってタレントさんでもない。一会社員としてアナウンス職を全うしなくてはいけないはず。
そう考えた時、一番良いのは自分の技術を磨くことだと思いました。バラエティーで大きな声で笑っていた人間が、突然真面目なニュースを読んでも誰も信頼してくれないですし、一旦、ナレーションで、声だけで勝負したいと上司に相談したんです。
そこから、先輩の仕事を録画して真似したり、ニュースの現場や報道センターに行き、原稿をもらって自分で練習をしました。正解がない職業ですが、とにかく「斉藤は下手だから任せられない」とは思われたくない。何としてでも、「斉藤に任せたら大丈夫だよね」と思ってもらえるように頑張ろうと決意していましたね。
― 5年目にその決断をした時、上司や先輩方にご相談はされたんですか?
斉藤:はい。当時の上司である福井謙二さんや堺正幸さんに可愛がっていただいていたのですが、「こういうことがしたい」「どうして理解してもらえないのか」とか、結構わがままなことを言っていたんです。
そんな時、福井さんから「例えば台本でもなんでも何かを言う時、本来のあなただったら言わないような文言なら、カメラの向こう側に、あなたの大事な人や家族がいると思って自分で言い回しを考えなさい。同じ内容にすればいいわけであって、一語一句同じじゃなくてもいい。あなたがぶっきらぼうに言っている言葉によって、見てくださっている視聴者が嫌な思いをするかもしれないし、自分が良いと思えていないことは相手も少なからずそう感じていると思う」と言われたんです。
本当にその通りだなと思いましたし、しっかり自分で考えて、自分の意見を持ってやらなくてはいけない、と意識が変わりました。遅いかもしれませんが、やっと気づくことができたと思っています。
斉藤:体力的に大変なところはありましたが、楽しかったです。報道に行く前はお昼のニュースを担当していたのですが、私は現場を取材したことがありませんでした。原稿を綺麗に読むことは努力すればなんとかなります。しかし、実際に取材をしていない、原稿を書いてもいないことに、自分の不甲斐なさを感じましたし、無知な自分がとても恥ずかしかった。
記者兼任になった当時、私は34、35歳。周りは20代のフレッシュな人がほとんどでしたが、年齢は関係なく徹底的に勉強しようと覚悟を決めました。現場や仕組みを知って、自分で原稿を書いて初めて報道ニュースは成り立つのではないかと思っていたので、年齢は遅かったかもしれませんが、とても良い経験ができました。
アナウンサーの取材は、その多くがスタッフにセッティングしてもらったところに赴いて、リポートすること。でも、報道局の記者の場合は違います。問題の根本を取材し、そこから何がニュースなのか、端緒を自分で探すところから始まります。
最初は右も左もわからなかったのですが、慣れってすごいんですよ。外国語を学んでいる感じというか、2ヶ月、3ヶ月してくると、だんだんわかるようになってくるんです。
理解できるようになったからこそ、現場でお会いする記者の皆さんは若い方ばかりなのに本当にすごいなぁと改めて感じましたし、私は20代の時は何をやっていたんだろう、と考えてしまうこともありました。
ですが、報道の現場に行かせてもらったからこそ、今まで出会えなかった方々との出会いもあり今でも連絡を下さる方もいます。すごく刺激になりましたし、人生の視野が広がりました。
― 年齢を重ねるとなかなか違うフィールドに出ることもなくなりますし、視野が狭くなっているなと私も感じます。
斉藤:そうですよね。アナウンサーという職業は華やかなイメージを持たれがちかもしれませんが、技術職なんです。一会社員ですが、時にはその局を代表して発言することもある特殊な仕事でもあります。
入社して終わりではなく、アナウンサーとしての技術を身に着けていかなければいけないし、そこから自分がどういうアナウンサーになりたいか、どういう技量をもって生きるのかが勝負。それが直接仕事に結びつかなくても、努力を続けるべきであって、技術職としてしっかりと会社の役に立てるように常に考えなくてはいけないんだ、と30歳を超えたあたりから更に思うようになりました。
斉藤:いつも思っていることなのですが、例えば嫌なことがあって、もう辞めたいと思うこともあるかもしれない。私も時にはあります。ただ、考えてみたらフジテレビという会社に自分が入りたくて試験を受けて入社したわけです。今17年目ですが、至らないながらもこんなに長く働かせてもらっているので、何かしら採用してもらった恩返しをしたいという思いが強いですね。
― 素敵です。目標に向かって努力している中で、困難にぶつかった時に気持ちを切り替える方法や、乗り越える方法はありますか?
斉藤:最終形態は「寝たら忘れる」。ですが、私は何かあっても人に吐露することはないので、グッと堪えます。
― 自分の中に溜め込む?
斉藤:溜め込んでいるという自覚はあまりなくて、自分で考えればいろいろな策が出てくる気がします。「このパターンだったらこうできた、でも私はこれを選んだからこうなった」とかいろんなことを振り返って、策を考えるんです。「今回はこれで失敗したから、次回はこうやってみよう」とか。
そして、次はこうしよう、明日からまたきっと良いことがあるはず、と気持ちを自分で切り替える。翌日の朝も反省は続くのですが、翌朝起きてふと空を見ると今日も頑張ろう、と思えています。
― 周りにあまり頼らないのはお仕事に限らず、プライベートでもそうですか?
斉藤:言わないです。悩みと捉えるのか、課題と捉えるのか…。気持ちが暗くなったり、悲しいこともありますが、それでずっとふてくされたり、「なんで私だけ…」と思うのってもったいないなって…それは今の自分からするとすごく贅沢な悩みな気がして。こうやって好きな仕事ができて恵まれた環境にいると思っているので、ちょっとやそっとのことでへこたれてはいけないと思っています。
斉藤:報道にいた時は司法クラブを経て、宮内庁クラブを担当していたのですが、「お代替わり」の中継やリポートなど一大イベントに携われたのはとても光栄でした。中継があったのですが、実況をする形だったのでテレビの画面に私は映っていません。現場を見ている私が、いかに視聴者の皆さんに伝えられるか、言葉選びもですがどのようなテンションで伝えたら今回のような明るいお代替わりの現場の雰囲気が伝わるのか。大きな使命感を感じていたので、やりがいもありました。
― お代替わりを含め、ご自分のお仕事でファインプレーだったと思ったものはありますか?
斉藤:ファインプレー…。まだないですね…。
― ご自分に厳しいですね。
斉藤:私が見ていてファインプレーだなと思うのは、自分がバッと発した言葉に対してすかさず誰にも嫌な思いをさせず、救ってくれる一言を言ってくださる人。
そういうファインプレーはいっぱい見てきたのですが、自分はまだまだそれができた覚えはなくて。終わった後、あの時こうやって言えばよかったな、あの言葉は誤解を生んだかも、とか反省ばかり。ファインプレーと思える日は来るのかな(笑)。
― でも、ポジティブに捉えると、まだまだ伸びしろがあるということでは?
斉藤:そうですね。常にこうすれば良かった、あの人のようにやりたいという思いがあるからこそ、逆に毎日が楽しい。今に満足していないから、また明日も頑張ろうと思えています。
斉藤:いろいろ考えたのですが、やはり福井さんの一言は大きかったと思います。あの言葉をきっかけに、自分は社会人として甘いということに気づくことができました。自分の中に軸がない人間は何をやってもダメ。28歳の頃の私は、ただ年齢を重ねた中身のない人になるのが怖かった。それに気づくことができて、あの時きちんと学ぶことができて良かったと思います。
― 今は理想とする自分に近づいていますか?
斉藤:近づいていたいのですが…。仕事上は今お話してきたように変わろうとする意識はあるのですが、プライベートでは小さい頃から性格があまり変わっていないと思います(笑)。
仕事面では常に向上していきたいという気持ちがあるので、17年目でこれはどうだろうな、と思うこともありますが、速度は遅くとも頑張っているつもりです。
― 斉藤アナのようなキャリアはあまりないケースだと思うのですが、自分が前例のない道へ突き進んでいく怖さはありませんでしたか?
斉藤:それはなかったです。いろんなことを経験させてもらえる職業で、いろんなジャンルができた方が幅が広がりますし、自分も常に挑戦することができるので。バラエティーの雰囲気も好きですし、報道のかちっとした空気も好きです。どちらもできて初めてアナウンス職が成立すると思っているので、バランスですね。私はこれだけ、と固執するのではなく、いろいろな人と交わって、いろんな経験をしていくのが私の理想です。
― すべてが今に繋がっているんですね。では、今の一番のやりがいを教えて下さい。
斉藤:アナウンス室に戻ってきて半年が経ち、今は「ノンストップ!」などナレーションを中心に活動しています。生で読むのは緊張しますが、今の「ノンストップ!」は報道ニュースではなく、明るい、柔らかいネタが多いので、いろんな声色を使ってちょっと声優さんのようなことにチャレンジしています。
「ボイスオーバー」といって一人で何役も吹き替えをするのですが、それがすごく楽しいんですよ。画面に自分が映っていないからこそ、声で勝負しなくちゃいけない。アナウンサーとしての一種の筋トレみたいなものですね。
― お話を聞いていると、本当に声優さんのような印象です。
斉藤:私、普段あまりテンションが高いタイプではないんですよ。でも、今担当している「ノンストップ!」のナレーションでは明るくトーンを当てることが多いので、ブースから出てくると「今の斉藤?普段と全然違うんだけど?!」と驚かれることもあります(笑)。
― 違う人が入っていたのかも、とびっくりしそうです。
斉藤:そうみたいです(笑)。「え?あれ斉藤だった?」ということがよくあって、でもそれは私にとって誉め言葉なのですごく嬉しいです。ひとつのイメージしかないよりいろんな面があった方が楽しいと思うので、もっと広げられたらと思っています。
斉藤:少し前までは報道一色でいきたいと思っていました。でも、今は報道やバラエティーというジャンルにとらわれず何でもフラットにできる、どこにいてもその場に馴染めるようなアナウンサーになりたいと思います。「この人に任せたら安心だよね」という役割を果たせたら。
あとは年次も年次なので、アナウンス室の若手たちに楽しく働いてもらえる環境を作ってあげたい。良いところを見つけて、仕事って楽しいと思ってもらえるようにしたいと思っています。
― この連載の読者にもアナウンサーを目指している学生がたくさんいます。斉藤アナからアドバイスをお願いします。
斉藤:肩肘を張らずに、すべてをさらけ出してください、と伝えたいです。「大丈夫?」と話しかけられたら「大丈夫です!」と強がってしまう人もいると思いますが、だめな時はだめと言ってもいいんです。喋りには人間性が出ると思っているので、嘘をつかないでほしい。
例えばAさんが言っていることとBさんが言っていることが全く同じでも、伝わり方が全然違うことがありますよね。それはなぜかというと、その人自身の伝えたいという思いや優しさ、人柄、それが視聴者の方に自然に伝わっているのだと思います。
失礼があってはいけないですが、思ったことは素直にさらけ出して、アナウンサーというイメージの型に縛られず、ありのままで。できないことがあっても一生懸命頑張ります、という姿勢を見せてほしいと思います。
― ありがとうございます。それでは最後に、斉藤アナが考える「夢を叶える秘訣」を教えて下さい。
斉藤:こうなりたいと思い続けること。漠然とでもいいんです。夢を叶えるためにはどんな方法があるのか、というのは人それぞれ違うと思いますが、こうなりたいという思いを持ち続けると潜在的に意識するようになりますし、諦めたらそこで終わってしまいます。人に言わなくてもいいので、思い続けてほしいです。
(modelpress編集部)
『ノンストップ!』ナレーション・ブースにて。本番以外はマスクをしてます。
撮影は、同局の魅力をたっぷり届けるべく、社屋やその周辺などオールフジテレビで敢行。日頃から慣れ親しんでいる仕事場が舞台となり、アナウンサーたちのリラックスした自然な表情が詰まったカレンダーとなっている。
また、三上真奈アナが統括、杉原千尋アナが衣装担当として初めてプロデュースに挑戦。コンセプトや撮影場所、そしてスタイリングやメイクに至るまで、普段テレビには映らない女性アナウンサーの魅力を最大限表現すべく愛情たっぷり、意欲的に制作に携わった。
販売価格:2300円(税別)
発売日:10月6日より全国書店にて発売中
フジテレビショップでは10月5日より先行販売予定
フジテレビ公式通販サイト「フジテレビe !ショップ」では予約受付中
販売場所:フジテレビショップ、フジテレビ公式通販サイト「フジテレビe!ショップ」、全国書店他
前編はこれまでのアナウンサー人生を振り返りながらターニングポイントに迫るもの、後編は彼女たちが大切にする「5つの法則」をメイク・ファッション・体調管理といったキーワードから問う。
――――佐久間みなみアナの後を引き継ぎ、33人目に登場するのは斉藤アナ。※後編(Vol.66)は12月1日に配信予定。
バラエティーから報道、記者を兼任
斉藤アナは2004年に入社。「笑っていいとも!」、「あっぱれ!!さんま大教授」など多数のバラエティー番組を担当した後、昼ニュース「FNNスピーク」で報道キャスターに。2018年4月から2020年3月まで社会部の記者を兼任した。斉藤舞子アナがアナウンサーを目指したきっかけ
― まずアナウンサーになろうと思ったきっかけから教えてください。斉藤:かれこれ17年目になるので、もう20年程前の話ですが、学生の頃はあんまり自分から話すタイプではなく、お友達の話を聞いて笑っているようなタイプでした。
でも、人の話を聞くのは大好きだったので、話すことを職業にする人、お茶の間を明るくする人に憧れを抱き、アナウンサーという職業に就きたいと思うようになりました。
― 具体的に考えるようになったのはいつ頃ですか?
斉藤:大学生になってからです。自分がお世話になっていた方にキャビンアテンダントをされている方が多かったので、漠然とした憧れはあったのですが、就職活動を始める少し前にアナウンサーという職業をきちんと知り、本格的に目指すことを決めました。
― そして入社されて17年。これまでを振り返って一番つらかったエピソードや挫折した経験を教えて下さい。
斉藤:挫折はしていると思うのですが、マイナスには捉えていません。何か失敗して、悔しい思いをしても「じゃあ明日はどうやったらプラスに変えられるかな」と考えるようにしています。
「自分がこれほど嫌な思いをして失敗したと思っているということは、周りで一緒に仕事をしてくださった方もきっと良い思いはしなかっただろうな」と思いますし、1年目でも2年目でもプロはプロ。きちんとした仕事ができなかったことを反省し、どうやったら克服できるかということをモチベーションにしてきました。
人気バラエティーを多数担当していた裏で…世間のイメージに葛藤
― 具体的なお仕事を挙げるとすると?斉藤:入社当時はバラエティーを担当することが多く、その時に出会った方やお世話になった方には、可愛がっていただき、とても感謝しています。ただ、当時の私は、バラエティー番組におけるアナウンサーの役割がわからず苦労しました。社会人1年目、アナウンサー1年目ということもあり、言われたことをただそのままオウム返しのように繰り返して、台本も読むだけになっていたのかもしれません。
笑って、楽しくやっているように見えればいい、というか「どうしてこれを言うのか」「この言い回しをした時に相手はどう思うのか」という根本的なことを考える力が欠けていたのだと思っています。何が正解なのかわからないまま、悩みながらずっとやっていたのですが、やはり視聴者の方には見抜かれてしまって、「失礼だ」といった厳しいご意見をいただいたこともありました。
その頃、「本当の私はそうじゃないのに」と思っていたのですが、でもそれは自分がそういうふうに発信しているからそう捉えられるのであって。人のせいにするのではなく、自分でなんとかしなければと考えていたのですが、一度ついたイメージから脱却するのはなかなか難しくて。
― 当時はたくさん人気番組を担当されていましたよね。
斉藤:私がうまく立ち回れれば、番組もさらに良くなっただろうし、自分も周りの皆さんももっと楽しくお仕事ができたと思うのですが、「アナウンサーとしてこれでいいのだろうか」という迷いを抱えながらやっていたので、5年目くらいまではずっと悩んでいましたね。
― 5年も。
斉藤:同期が高橋真麻さんと倉田大誠君なのですが、入社当初は真麻さんが報道番組、私がバラエティー番組を担当していました。当時は私が報道志望、真麻さんはバラエティー志望だったので、実はお互いの希望とは逆だったんですよね。
でも、それぞれのイメージや持っている雰囲気があって、私は、バラエティーが向いていると判断していただいたようです。もちろん貴重な経験もたくさんできましたし、楽しかったのですが、心の中には、いつか報道番組に携わりたいという想いはずっと持っていました。
30歳間近に決断「声だけで勝負したい」
― イメージ脱却の転機は?斉藤:入社5年目にもなるともう30歳も間近で、アナウンサー歴としては若手かもしれませんが、世間的に見て人としてはいい大人ですよね。アナウンス職に5年も就いていながらニュースも読めない、ナレーションもできない。かといってタレントさんでもない。一会社員としてアナウンス職を全うしなくてはいけないはず。
そう考えた時、一番良いのは自分の技術を磨くことだと思いました。バラエティーで大きな声で笑っていた人間が、突然真面目なニュースを読んでも誰も信頼してくれないですし、一旦、ナレーションで、声だけで勝負したいと上司に相談したんです。
そこから、先輩の仕事を録画して真似したり、ニュースの現場や報道センターに行き、原稿をもらって自分で練習をしました。正解がない職業ですが、とにかく「斉藤は下手だから任せられない」とは思われたくない。何としてでも、「斉藤に任せたら大丈夫だよね」と思ってもらえるように頑張ろうと決意していましたね。
― 5年目にその決断をした時、上司や先輩方にご相談はされたんですか?
斉藤:はい。当時の上司である福井謙二さんや堺正幸さんに可愛がっていただいていたのですが、「こういうことがしたい」「どうして理解してもらえないのか」とか、結構わがままなことを言っていたんです。
そんな時、福井さんから「例えば台本でもなんでも何かを言う時、本来のあなただったら言わないような文言なら、カメラの向こう側に、あなたの大事な人や家族がいると思って自分で言い回しを考えなさい。同じ内容にすればいいわけであって、一語一句同じじゃなくてもいい。あなたがぶっきらぼうに言っている言葉によって、見てくださっている視聴者が嫌な思いをするかもしれないし、自分が良いと思えていないことは相手も少なからずそう感じていると思う」と言われたんです。
本当にその通りだなと思いましたし、しっかり自分で考えて、自分の意見を持ってやらなくてはいけない、と意識が変わりました。遅いかもしれませんが、やっと気づくことができたと思っています。
社会部記者を兼任「無知な自分がとても恥ずかしかった」
― 2018年からは社会部記者を兼任。念願だった報道の現場はいかがでしたか?斉藤:体力的に大変なところはありましたが、楽しかったです。報道に行く前はお昼のニュースを担当していたのですが、私は現場を取材したことがありませんでした。原稿を綺麗に読むことは努力すればなんとかなります。しかし、実際に取材をしていない、原稿を書いてもいないことに、自分の不甲斐なさを感じましたし、無知な自分がとても恥ずかしかった。
記者兼任になった当時、私は34、35歳。周りは20代のフレッシュな人がほとんどでしたが、年齢は関係なく徹底的に勉強しようと覚悟を決めました。現場や仕組みを知って、自分で原稿を書いて初めて報道ニュースは成り立つのではないかと思っていたので、年齢は遅かったかもしれませんが、とても良い経験ができました。
アナウンサーの取材は、その多くがスタッフにセッティングしてもらったところに赴いて、リポートすること。でも、報道局の記者の場合は違います。問題の根本を取材し、そこから何がニュースなのか、端緒を自分で探すところから始まります。
最初は右も左もわからなかったのですが、慣れってすごいんですよ。外国語を学んでいる感じというか、2ヶ月、3ヶ月してくると、だんだんわかるようになってくるんです。
理解できるようになったからこそ、現場でお会いする記者の皆さんは若い方ばかりなのに本当にすごいなぁと改めて感じましたし、私は20代の時は何をやっていたんだろう、と考えてしまうこともありました。
ですが、報道の現場に行かせてもらったからこそ、今まで出会えなかった方々との出会いもあり今でも連絡を下さる方もいます。すごく刺激になりましたし、人生の視野が広がりました。
― 年齢を重ねるとなかなか違うフィールドに出ることもなくなりますし、視野が狭くなっているなと私も感じます。
斉藤:そうですよね。アナウンサーという職業は華やかなイメージを持たれがちかもしれませんが、技術職なんです。一会社員ですが、時にはその局を代表して発言することもある特殊な仕事でもあります。
入社して終わりではなく、アナウンサーとしての技術を身に着けていかなければいけないし、そこから自分がどういうアナウンサーになりたいか、どういう技量をもって生きるのかが勝負。それが直接仕事に結びつかなくても、努力を続けるべきであって、技術職としてしっかりと会社の役に立てるように常に考えなくてはいけないんだ、と30歳を超えたあたりから更に思うようになりました。
自分に厳しく、モチベーションを維持できる理由
― モチベーションを高く維持しながら走り続けられる理由はなんですか?斉藤:いつも思っていることなのですが、例えば嫌なことがあって、もう辞めたいと思うこともあるかもしれない。私も時にはあります。ただ、考えてみたらフジテレビという会社に自分が入りたくて試験を受けて入社したわけです。今17年目ですが、至らないながらもこんなに長く働かせてもらっているので、何かしら採用してもらった恩返しをしたいという思いが強いですね。
― 素敵です。目標に向かって努力している中で、困難にぶつかった時に気持ちを切り替える方法や、乗り越える方法はありますか?
斉藤:最終形態は「寝たら忘れる」。ですが、私は何かあっても人に吐露することはないので、グッと堪えます。
― 自分の中に溜め込む?
斉藤:溜め込んでいるという自覚はあまりなくて、自分で考えればいろいろな策が出てくる気がします。「このパターンだったらこうできた、でも私はこれを選んだからこうなった」とかいろんなことを振り返って、策を考えるんです。「今回はこれで失敗したから、次回はこうやってみよう」とか。
そして、次はこうしよう、明日からまたきっと良いことがあるはず、と気持ちを自分で切り替える。翌日の朝も反省は続くのですが、翌朝起きてふと空を見ると今日も頑張ろう、と思えています。
― 周りにあまり頼らないのはお仕事に限らず、プライベートでもそうですか?
斉藤:言わないです。悩みと捉えるのか、課題と捉えるのか…。気持ちが暗くなったり、悲しいこともありますが、それでずっとふてくされたり、「なんで私だけ…」と思うのってもったいないなって…それは今の自分からするとすごく贅沢な悩みな気がして。こうやって好きな仕事ができて恵まれた環境にいると思っているので、ちょっとやそっとのことでへこたれてはいけないと思っています。
「お代替わり」中継を担当 ファインプレーは「まだない」
― 今までで一番印象に残っているお仕事は?斉藤:報道にいた時は司法クラブを経て、宮内庁クラブを担当していたのですが、「お代替わり」の中継やリポートなど一大イベントに携われたのはとても光栄でした。中継があったのですが、実況をする形だったのでテレビの画面に私は映っていません。現場を見ている私が、いかに視聴者の皆さんに伝えられるか、言葉選びもですがどのようなテンションで伝えたら今回のような明るいお代替わりの現場の雰囲気が伝わるのか。大きな使命感を感じていたので、やりがいもありました。
― お代替わりを含め、ご自分のお仕事でファインプレーだったと思ったものはありますか?
斉藤:ファインプレー…。まだないですね…。
― ご自分に厳しいですね。
斉藤:私が見ていてファインプレーだなと思うのは、自分がバッと発した言葉に対してすかさず誰にも嫌な思いをさせず、救ってくれる一言を言ってくださる人。
そういうファインプレーはいっぱい見てきたのですが、自分はまだまだそれができた覚えはなくて。終わった後、あの時こうやって言えばよかったな、あの言葉は誤解を生んだかも、とか反省ばかり。ファインプレーと思える日は来るのかな(笑)。
― でも、ポジティブに捉えると、まだまだ伸びしろがあるということでは?
斉藤:そうですね。常にこうすれば良かった、あの人のようにやりたいという思いがあるからこそ、逆に毎日が楽しい。今に満足していないから、また明日も頑張ろうと思えています。
「ただ年齢を重ねた中身のない人になるのが怖かった」理想の自分になるために
― 先ほどの福井さんからのアドバイスもそうだと思うのですが、ターニングポイントになった言葉や出会いはありますか?斉藤:いろいろ考えたのですが、やはり福井さんの一言は大きかったと思います。あの言葉をきっかけに、自分は社会人として甘いということに気づくことができました。自分の中に軸がない人間は何をやってもダメ。28歳の頃の私は、ただ年齢を重ねた中身のない人になるのが怖かった。それに気づくことができて、あの時きちんと学ぶことができて良かったと思います。
― 今は理想とする自分に近づいていますか?
斉藤:近づいていたいのですが…。仕事上は今お話してきたように変わろうとする意識はあるのですが、プライベートでは小さい頃から性格があまり変わっていないと思います(笑)。
仕事面では常に向上していきたいという気持ちがあるので、17年目でこれはどうだろうな、と思うこともありますが、速度は遅くとも頑張っているつもりです。
― 斉藤アナのようなキャリアはあまりないケースだと思うのですが、自分が前例のない道へ突き進んでいく怖さはありませんでしたか?
斉藤:それはなかったです。いろんなことを経験させてもらえる職業で、いろんなジャンルができた方が幅が広がりますし、自分も常に挑戦することができるので。バラエティーの雰囲気も好きですし、報道のかちっとした空気も好きです。どちらもできて初めてアナウンス職が成立すると思っているので、バランスですね。私はこれだけ、と固執するのではなく、いろいろな人と交わって、いろんな経験をしていくのが私の理想です。
― すべてが今に繋がっているんですね。では、今の一番のやりがいを教えて下さい。
斉藤:アナウンス室に戻ってきて半年が経ち、今は「ノンストップ!」などナレーションを中心に活動しています。生で読むのは緊張しますが、今の「ノンストップ!」は報道ニュースではなく、明るい、柔らかいネタが多いので、いろんな声色を使ってちょっと声優さんのようなことにチャレンジしています。
「ボイスオーバー」といって一人で何役も吹き替えをするのですが、それがすごく楽しいんですよ。画面に自分が映っていないからこそ、声で勝負しなくちゃいけない。アナウンサーとしての一種の筋トレみたいなものですね。
― お話を聞いていると、本当に声優さんのような印象です。
斉藤:私、普段あまりテンションが高いタイプではないんですよ。でも、今担当している「ノンストップ!」のナレーションでは明るくトーンを当てることが多いので、ブースから出てくると「今の斉藤?普段と全然違うんだけど?!」と驚かれることもあります(笑)。
― 違う人が入っていたのかも、とびっくりしそうです。
斉藤:そうみたいです(笑)。「え?あれ斉藤だった?」ということがよくあって、でもそれは私にとって誉め言葉なのですごく嬉しいです。ひとつのイメージしかないよりいろんな面があった方が楽しいと思うので、もっと広げられたらと思っています。
ジャンルにとらわれないフラットなアナウンサーを目指して
― 今目指しているアナウンサー像はどんなものですか?斉藤:少し前までは報道一色でいきたいと思っていました。でも、今は報道やバラエティーというジャンルにとらわれず何でもフラットにできる、どこにいてもその場に馴染めるようなアナウンサーになりたいと思います。「この人に任せたら安心だよね」という役割を果たせたら。
あとは年次も年次なので、アナウンス室の若手たちに楽しく働いてもらえる環境を作ってあげたい。良いところを見つけて、仕事って楽しいと思ってもらえるようにしたいと思っています。
― この連載の読者にもアナウンサーを目指している学生がたくさんいます。斉藤アナからアドバイスをお願いします。
斉藤:肩肘を張らずに、すべてをさらけ出してください、と伝えたいです。「大丈夫?」と話しかけられたら「大丈夫です!」と強がってしまう人もいると思いますが、だめな時はだめと言ってもいいんです。喋りには人間性が出ると思っているので、嘘をつかないでほしい。
例えばAさんが言っていることとBさんが言っていることが全く同じでも、伝わり方が全然違うことがありますよね。それはなぜかというと、その人自身の伝えたいという思いや優しさ、人柄、それが視聴者の方に自然に伝わっているのだと思います。
失礼があってはいけないですが、思ったことは素直にさらけ出して、アナウンサーというイメージの型に縛られず、ありのままで。できないことがあっても一生懸命頑張ります、という姿勢を見せてほしいと思います。
― ありがとうございます。それでは最後に、斉藤アナが考える「夢を叶える秘訣」を教えて下さい。
斉藤:こうなりたいと思い続けること。漠然とでもいいんです。夢を叶えるためにはどんな方法があるのか、というのは人それぞれ違うと思いますが、こうなりたいという思いを持ち続けると潜在的に意識するようになりますし、諦めたらそこで終わってしまいます。人に言わなくてもいいので、思い続けてほしいです。
(modelpress編集部)
斉藤舞子アナのとあるスケジュール
『ノンストップ!』生ナレを終えてアナ室へ。『ノンストップ!』ナレーション・ブースにて。本番以外はマスクをしてます。
斉藤舞子(さいとう・まいこ)プロフィール
生年月日:1981年5月2日/出身地:札幌/出身大学:慶應義塾大学/血液型:A型/入社年:2004年「フジテレビ女性アナウンサーカレンダー2021~Welcome to Fujitelevision~」
今年のテーマは「フジテレビへようこそ!」。入社9年目の宮澤智アナウンサーを筆頭に、永島優美アナ、宮司愛海アナら後輩アナ全員が参加し、総勢17人の女性アナウンサーが華やかに登場する。撮影は、同局の魅力をたっぷり届けるべく、社屋やその周辺などオールフジテレビで敢行。日頃から慣れ親しんでいる仕事場が舞台となり、アナウンサーたちのリラックスした自然な表情が詰まったカレンダーとなっている。
また、三上真奈アナが統括、杉原千尋アナが衣装担当として初めてプロデュースに挑戦。コンセプトや撮影場所、そしてスタイリングやメイクに至るまで、普段テレビには映らない女性アナウンサーの魅力を最大限表現すべく愛情たっぷり、意欲的に制作に携わった。
販売価格:2300円(税別)
発売日:10月6日より全国書店にて発売中
フジテレビショップでは10月5日より先行販売予定
フジテレビ公式通販サイト「フジテレビe !ショップ」では予約受付中
販売場所:フジテレビショップ、フジテレビ公式通販サイト「フジテレビe!ショップ」、全国書店他
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