<神木隆之介インタビュー前編>ファンクラブに入っていたSMAPへの憧れ、中居正広からもらった手紙の内容明かす
2020.09.25 00:00
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今年27歳にして“デビュー25周年”という芸歴を積み重ねた俳優・神木隆之介は、その人生の大半を数え切れないほど多くの人々に“見守られてきた”稀有な存在とも言える。25日に発売された書籍『おもて神木/うら神木』のうち「おもて神木」は、その豊かな作品群を神木自ら振り返りながら当時のエピソードを語る、まさにアニバーサリーにふさわしい贅沢な内容。モデルプレスのインタビュー《前編》では、時代を越えて愛されるジブリ作品への想いや、ファンクラブに入るほどだったSMAPへの憧れ、中居正広にもらった手紙の内容も明かした。
中居正広からの手紙に“母”を思いやる言葉
“おもて=仕事”、“うら=プライベート”とし、神木がたどった人生の軌跡と素顔に多角的な企画で迫る今作。ファン歴の長短に関わらず楽しむことのできる密度の濃い書籍に仕上がり、神木は「デビュー25周年という節目に何か皆さんに恩返しできたらいいなと思い、その一つの形としてアニバーサリーブックを作らせてもらいました。“おもて”は僕がどんな作品に出演してきたかを知ってもらえるのと同時に、監督の皆さんもインタビューに答えてくださったので、“他者から見た僕”という点で、仕事に対する新しい顔を発見してもらえると思います。今まで応援してくださった方々に楽しんでいただけたら嬉しいです」と想いを語る。書籍の制作で最も嬉しかったのは、染谷将太と俳優論を語り合ったこと。
「本当に役者として尊敬しています。染谷将太になれないのはわかっているけどなりたい!あんな雰囲気を出したい!と思っているので、この機会に聞きたかったことを根掘り葉掘り聞きました(笑)」
表現者・神木隆之介を語る上で欠かせないのがジブリ作品で、書籍にも『千と千尋の神隠し』(2001)についてのページを収録。当時8歳で挑んだ同作に始まり、神木がその声で彩った作品は幾度となく再放送されている。
再放送はタイミングが合えばチェックするものの、幼い頃の自分の声を聞くことは「恥ずかしいですよ(笑)」と本音。特に『千と千尋の神隠し』は、「坊って神木隆之介だったんだ!」と“新たに知る層”の声が増えてきたのを感じるといい「たまにハク(声:入野自由)と間違えられる時があります。それは今の僕の声のイメージから来るものだと思うんですけど、『何年前だと思ってるの!?』って(笑)」。
「ここ最近の作品を観て僕に興味を持ってくださった方々は、僕が子供の時からやっていることを知らないんですよね。知らなくて当然なのですが、もし知っていただけるのであれば今回の“おもて神木”で活動歴を見ていただけたら嬉しいです。それで『なんかおもしろいヤツだな』と思ってくれるのもいいし、僕のことを長く知ってくださっている方が『そうそう、懐かしい!』ってさらに掘り下げてくださるのもいい。本当に僕のことに興味があって、楽しんでいただける方々の手にこの本が渡ってほしいなと思っています」
『ハウルの動く城』(2004)について語る部分では、共演した木村拓哉との初対面のエピソードにも触れている。SMAPメンバーとは子役時代から作品で接点があったが、ファンクラブに入っていたことは「これまで話す機会がなかったですよね」と神木。
「『SMAP 016/MIJ』というアルバムの時にチケットを取ってコンサートに行ったのをよく覚えています。(メンバーの中で)一番最初に出会ったのがドラマ『グッドニュース』の中居(正広)さんで、その頃にはもうファンクラブに入っていたのですが、キラキラしていて踊りもうまくて、かっこいい。本当に面倒見がよく、打ち上げの時も手紙をいただきました。2枚くらいびっしり書いてあって『なんて素晴らしい人なんだ!』と。今も変わらず、眩しくて憧れの存在です」
芸能活動25年の裏には母親の支えがあり、「うら神木」ではインタビューを収録。中居からの手紙にも、当時まだ小さかった神木に付き添う母親を気にかける言葉があったという。
「僕が直也という役だったので、手紙には『直也が直也でいてくれてすごく幸せだった』という言葉と、『今度は直也がお母さんを守っていく番だからね』ということが書いてありました。本当に優しいですよね。すごく大好きです」
ほか、「おもて神木」のコンテンツ「Message to 神木くん」には中井貴一、上戸彩、広瀬すず、上白石萌音、中村倫也ら豪華アーティスト陣からのメッセージがズラリ。同じ事務所で公私ともに仲のいい吉沢亮からは、神木が初舞台『キレイ-神様と待ち合わせした女-』(2019)の公演真っ最中に平然と電話をかけてきて、その肝の座りっぷりに驚いた…というエピソードが明かされている。
「初日はやっぱり緊張したんですけど、その緊張をいかに楽しみの興奮に変えられるかという風に切り替えてからはとても楽しくて、無事乗り越えることができました。(吉沢に)電話したのは大阪公演の時だったんですけど、2幕は15分くらい空くタイミングがあるので、その間に何をしているのかな?と思って電話しました(笑)。吉沢さんには何かと電話をするんですけど、『あいつなら面白い回答をしてくれるんじゃないか』みたいなところがあります(笑)。ボケた後のカウンターに期待しちゃうし、あの気だるさ、ユルさがすごくよくて、僕を“男子”に戻してくれる。だからたまに電話しちゃいます。彼は今大河や舞台で忙しいので、『身体いくつあるんだろう?』ってちょっと心配ですけど、またたまに電話をして様子をうかがおうかなと思っています」
辛くても「楽しい」が勝ったから続けてこられた
最後に「25年、俳優を続けてこられた理由は?」と聞くと「楽しさ!」と即答。「楽しいと思えるかどうかが一番。辛くてもなんだかんだ楽しさを見出せてきたんでしょうね。辛い、眠い、疲れたと思っても、何かしら楽しみを探してきましたし、それが勝っていたから続けてこられました。もちろんたくさんの方々のサポートがあるので、それが一番ではありますが、自分のモチベーションに関しては“楽しさ”が一番大事なことなんだろうなと思っています」
彼が楽しんでいるから、応援するファンも楽しい。
「(ファンの)皆さんがいなかったら、ここまで続けることはできませんでした。画面の向こう側の世界なので、実際に皆さんの声を聞く機会があまりないのですが、お手紙などで“こういう風に楽しんでくれているんだな”という声を受け取ると、そこで初めて『僕がこの作品をやる意味があったんだ』とやりがいを見出すことができます。本当に皆さんがいてくれたから、僕にとって役者が素敵な職業なんだと思うことができました。すごく大きな存在で、感謝しかないです」と心からのメッセージを送った。
★インタビュー後編に続く。(modelpress編集部)
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