「ひよっこ」すずふり亭のイケメンコック役・磯村勇斗って?両親の反対押し切り芸能界へ…仮面ライダーから朝ドラ“ブレイク街道”に辿りつくまで<モデルプレスインタビュー前編>
2017.06.13 08:00
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放送中のNHKの連続テレビ小説「ひよっこ」(月~土、あさ8時)に出演する俳優・磯村勇斗(いそむらはやと/24)が、モデルプレスのインタビューに応じた。幼い頃から俳優になることを夢見て、両親の反対を押し切り芸能界へ。2015年、テレビ朝日系「仮面ライダーゴースト」のアラン/仮面ライダーネクロム役で注目を集めるまでは、アルバイトに明け暮れる日々を過ごした。今回オーディションで夢の“朝ドラ”出演を掴み、特撮から朝ドラという“ブレイク街道”を歩み始めている。
目次
連続テレビ小説「ひよっこ」
同作は、“金の卵”として茨城県から集団就職で上京したみね子が、慣れない都会での生活や突然のトラブルに巻き込まれながらも、殻を自ら破って成長していく物語。みね子は東京に出稼ぎに行ったきり行方不明になった父を捜すため、集団就職で上京。働きながら父を捜していたが、父はなかなか見つからない。そんな中、勤めていた町工場が倒産。父が訪れていたという洋食屋「すずふり亭」に再就職し、新たな生活がスタートする。
磯村はいつか自分の店を持つことを夢見て、「すずふり亭」の料理長・省吾(佐々木蔵之介)のもと日々修行に励む見習いコック・前田秀俊役を好演中。今回、モデルプレスでは朝ドラ現場の様子や俳優を志したきっかけなどをたっぷり聞いた。
夢だった朝ドラ出演 料理シーンは吹き替えなし
― 毎朝楽しく「ひよっこ」を拝見しています。撮影は順調ですか?磯村:すずふり亭のシーンの撮影は今年1月頃から始まったので、約4ヶ月ぐらい。だいぶ進んできまして、やっと現場にも慣れてきました。すずふり亭の皆さんとも、他のキャストの皆さんとも楽しくお話をさせてもらえるようにはなりました。
― すずふり亭の皆さんは、とても仲が良さそうですよね。
磯村:本当にもう、心の優しい方々だらけです。現場のこともそうですし、お芝居もたくさん勉強させてもらっています。やっぱり現場に入ると皆さんピリッとした目になるんですけど、前室ではニコニコしながら色々お話してくださって。すごく和やかな雰囲気ですね。
― 今回、オーディションで出演を射止めたと伺いました。
磯村:そうです。オーディションは1年前ぐらいだったと思うんですが、4次審査ぐらいまであったのかな?もう本当に朝ドラに出演したかったので、一生懸命臨んでいましたね。
― 合格を知ったときの心境は覚えていますか?
磯村:最終審査から数日後、事務所で合格の知らせを聞きました。もうめちゃくちゃ嬉しくて、涙が出そうになったんですけど、事務所の人達がいらっしゃったので、なんとなくそこで涙見せたくなくて我慢しました(笑)。心の中では感極まっていましたね。
― ご家族や周りの方の反応はいかがでしたか?
磯村:まず家族に報告しました。母親はすごく喜んでくれて、ずっと「きゃーっ!!」って言っていましたね(笑)。テレビ電話で普通に会話をしながら“朝ドラ受かった”と書いたダンボールの端キレを「ジャーン!」って言いながら出して伝えました(笑)。母は最初、嘘なんじゃないかとずっと疑っていて全然信じてくれなかったんですよ。僕、朝ドラのオーディションを受けているなんて一切言っていなかったので。それで突然合格の報告をしたので、驚いて当然ですよね。「本当に?本当に?嘘でしょ?そんなことありえるわけないじゃん」みたいな反応だったんですけど、ちゃんと説明したら信じてくれました(笑)。
― 朝ドラ出演はご両親はもちろん、おじいちゃんおばあちゃん孝行にもなりそうですね。
磯村:そうですね。母も祖母も、ずっと朝ドラを観ていて、自分もその影響で小さい頃から一緒に観ていました。まだ親孝行やおばあちゃん孝行まではできていないですけど、「東京で頑張ってるよ」というメッセージは毎朝送れるのかなと思っています。
― 朝ドラへの出演はいつから意識されていたんですか?
磯村:俳優として本格的に活動し始めた頃からずっと憧れであり、夢でした。出演された方にお話を聞くと、ハードだけど若手にとってすごく力がつく現場でもある、と。やっぱりより自分を成長させたいという思いや、たくさんの方に知ってもらいたいという思いがあったので、オーディションに挑戦しました。
― 実際、撮影はハードですか?
磯村:うーん…。でも主演の有村架純ちゃんがやっぱり一番大変だと思うので、それを見ていると全然。自分はまだまだやれるなと思いますね。
― 有村さんとは今回が初共演ですよね。どんな印象ですか?
磯村:なんか…“たんぽぽ”みたいな存在です。
― たんぽぽですか?
磯村:すごく明るいんですけど、柔らかい包み込むようなオーラもある方だな、と。たんぽぽって、道端にも強く咲いてるじゃないですか。有村さんも自分をしっかり持っていて、疲れも表情に出さないし、強く地に足がついているというか“女優魂”みたいなものを感じます。そういうところはすごいと思いますし、尊敬していますね。でも、関西出身だからなのか、ちょっとボケたりする面白い一面もあったりして。おかげで現場はいつもにぎやかです。
― 劇中の料理シーンは全て吹き替えではなく、磯村さんご自身がやられているんですよね。
磯村:そうです。元々料理は大好きで、調理場でアルバイトしていたこともあります。5年くらい前に上京して一人暮らしを始めてからも料理をすることに関しては全然苦じゃないし、むしろ楽しくやっています。
でも、今と昔では全然勝手が違うので、クランクイン前にプロのシェフの方が指導についてくれて、当時使っていた鉄の包丁の研ぎ方から教えていただきました。まずはその包丁を家に持って帰って研ぐ練習、次にキャベツの千切り、玉ねぎのみじん切り、人参の斜塔剥き…。基礎を1から習いました。
― 料理をしながらの演技というのは、かなり大変そうですが…。
磯村:最初はちゃんとできるのかなと思っていたんですけど、元々自分にとって料理をするのが珍しいことじゃないというのが良かったみたいで、あまりお芝居に影響もなく。最近はノールックで千切りもできるようになりました(笑)。
― すごいですね。
磯村:もうドヤ顔ですよ(笑)。クランクインまでは鉄の包丁に慣れていなかったので、しょっちゅう指を切っていたんですけど。
― 綺麗な手が傷だらけに!
磯村:もうどんどん傷がついちゃいまして(笑)。今も痕は多少残ってますけど、シェフからプロは指を切って料理が上手くなると聞いたので、「指切ったから、上手くなれるんじゃないかな?」というワクワク感もありましたね(笑)。
両親の反対を押し切り俳優の道へ
― そもそも俳優を志したきっかけはなんだったんでしょうか?磯村:小学生の頃から芸能界に憧れていました。やっぱり昔から人前に立って、人を笑わせたり目立つことが好きだったので、それを仕事にしたいという思いをずっと持っていました。それで高校生のとき、地元にある劇団に連絡して芝居を教えてほしいって頼んだんです。
― 募集があったわけでもなく、自ら連絡したんですか?
磯村:そうです。インターネットで“沼津 劇団”って調べたら、4件とかしかなくて。一番上に出てきたのがお世話になった劇団です。本当はすぐにでも東京に出たかったんですが、母親に「高校にも行かないで東京に行くなんて」と反対されてしまって。だったら今のうちから芝居を教えてもらえるところに行こう、と考えたんです。
― すごい行動力ですね。
磯村:今考えると、よくそこまでやったなと思いますね。元々新しいところに飛び込んでいくのは苦手なタイプなんですけど、そのときだけは迷わず。
― でも、ご両親は賛成してくださらなかった。
磯村:最初は全然応援してくれなかったですね。心の中では応援してくれていたのかもしれないですけど。芸能界に良いイメージもなかったみたいで、「そんな不安定な業界でやっていけるのか、ちゃんと食べていけるのか」とすごく厳しく言われました。
― 安定した職に就いてほしいというのが親心だったんでしょうね。
磯村:そうだと思います。大学にも行かないつもりだったんですけど、やっぱり両親は行ってほしいと。それでお互いの間を取って、演技を学べる大学に進学しました。結局、2年生のときに辞めてしまったんですけど。
― どうしてですか?
磯村:大学でもお芝居の勉強はしていたんですけど、すごく狭い視野しか持てない気がして。もっと広いところを見たいという思いが強くなっていって、中退することを決めました。
― それはまたご両親が心配されたのでは?
磯村:はい。入ったのに辞めるなんてありえない、というのが両親の考えだったので、当時はすごく喧嘩しましたね。それからしばらくは両親ともうまくいかない時期が続いていました。
― どのくらいですか?
磯村:1年ぐらいですかね。会話はあるけど、上手くいってないなというのはしみじみと感じていました。大学を辞めてからは、演劇仲間や知り合いの演出家さんの繋がりで小劇場の舞台をいくつかやりつつ、アルバイトをして生活していました。
今思うと本当に恥ずかしいんですけど、当時はもっと簡単に俳優になれる、やりたい役だってできると思っていたんですよ。でも、現実は厳しかった。あのときそんなに甘くない、険しい道なんだということを実感することができて良かったと思います。今思えば、ですけどね。
― その頃のアルバイトがあったから、今の役に繋がる料理にも出会えたんですもんね。
磯村:そうですね。そういう経験が役立つときってやっぱり来るんだなと。今回、どんな役かも知らずにオーディションを受けていたんですが、蓋を開けてみたらまさかの見習いコックだったっていう。
― すごい偶然ですね。
磯村:びっくりですよね。いろんな経験をしたことは全然マイナスじゃなかったなと思います。
「仮面ライダーゴースト」が転機に “ブレイク登竜門”をどう感じる?
― そして「仮面ライダーゴースト」への抜てきに繋がると。今、改めて当時を振り返っていかがですか?磯村:自分の中でも一番大きな役でしたし、一番長く携わった作品でした。撮影前からハードだということは聞いていましたが、本当にすごく過酷な現場が続いて…。精神的にも、肉体的にもすごく鍛えられたなと思います。作品に向かう心構えだったり、振る舞いだったり、今に活きていることもたくさんありますね。
― アラン役のビジュアルは、現在から想像もつかないほどワイルドでしたよね。
磯村:そうですね。髪も金髪で、写真を見返すとこれは誰だと思うくらい別人ですよね(笑)。
― 「ひよっこ」には磯村さん以外にも竹内涼真さんや竜星涼さんと特撮出身の方が集まっていますが、現場で交流はありますか?
磯村:竹内涼真くんは結構現場で会うことが多いので、仲良くさせてもらっています。竜星くんとはなかなか現場で会えないのが残念ですが、もし3人集まったら変身ポーズで写真を撮りたいなと考えています(笑)。
― それはファンの方も喜びそうですね!特撮、そして朝ドラへの出演というのは若手俳優にとって“ブレイク登竜門”とも言われています。今、ご自身がその環境にいることについてどう感じていますか?
磯村:うーん。あんまり考えたことないですね。周りからそういうことを言っていただくことはありますけど、自分の中では全く実感もなく不思議な気持ちです。そういう風に見られていることも気にせず、自分の今できることを全部思い切ってやっていかなきゃいけないと思っています。それを受け入れてしまったら、ものすごく調子に乗っちゃう自分がいそうで…。それが嫌だから聞き入れないようにしている部分もありますね。
― お話を聞いていると、ものすごく自分が見えているというか、しっかりされてますよね。
磯村:そうですかね?そこは多分真面目なんでしょうね、きっと。ヒデのように(笑)。
夢を叶える秘訣を語る
― では、今後の夢を教えてください。磯村:海外でも通用するような役者になりたいです。ハリウッドにも挑戦したいですし、監督として作品も作りたい。そのためには英語と、もちろんお芝居も磨いていかないといけないと思っています。脚本も自分で書いてみたいし、音楽も作ってみたいです。
― 夢がいっぱいですね。
磯村:やりたいことが多すぎてどれから手をつけようかって感じです(笑)。
― そのたくさんある夢を叶えるために、またこれまで夢を叶えるために実践してきたことや秘訣があれば教えてください。
磯村:まず夢や目標があるなら、いろんな人に口に出して伝えた方がいいと思います。僕は小さい頃からずっと友達やいろんな人に「俳優になりたい」と言っていました。お芝居をしたいという強い気持ちと周りの方からもらったアドバイスがあったから、劇団に電話をかけるという行動に移すことができて、新しい扉が開けた。その一歩を踏み出す勇気ってすごく大切ですよね。それでもし当たって砕けても、それは絶対にプラスだから。逆に当たらないで逃げる方がマイナス。夢は口に出して、そしてどんどん行動していくといいと思います。
― ありがとうございました。
(modelpress編集部)
磯村勇斗(いそむら・はやと)プロフィール
生年月日:1992年9月11日出身地:静岡県
身長:176cm
2015年、「仮面ライダーゴースト」で仮面ライダーネクロム/アラン役を演じ注目を集める。放送中のNHKの連続テレビ小説「ひよっこ」に、ヒロイン・有村架純が勤める洋食屋「すずふり亭」の見習いコックの前田秀俊役で出演中。
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