席を譲られるたび、あの笑い声を思い出した私
あの日の電車で
定年を迎えて2年。時間に余裕ができて、平日に電車で出かけることが多くなりました。あの日も買い物帰りの電車に乗り込んだところ、ドア横の席に座っていた若い女性がすっと立ち上がりました。
「よかったら、どうぞ」
その声を聞いて、考えるより先に口が動いていました。
「老人扱いしないでちょうだい」
自分でもびっくりするほど大きな声でした。若い女性が吊り革に手を伸ばし、こちらに背を向けたのがわかりました。
座れなくなった理由
1年ほど前のことです。同じように電車で席を譲ってもらい、「ありがとうございます」と頭を下げて座りました。すると近くに立っていた若い男女の声が聞こえてきたのです。
「老害って自覚ないんだ」
小さな声でしたが、はっきり届きました。2人は私のほうを見て笑っていました。降りる駅までの数分間、私は座ったまま買い物袋の取っ手を握りしめ、顔を上げられませんでした。あの日から、誰かに席を譲られるたび、あの笑い声がよみがえるようになりました。座ることが、自分が「老害」だと認めることのように感じてしまうのです。
ガラスに映った顔
あの若い女性の表情を、私は見ないようにしていました。手すりを握り、紙袋を足元に置いて窓の外を見ていましたが、ガラスには自分のこわばった顔が映っていました。周囲の乗客の視線も感じていました。
あの女性は荷物を見て大変そうだと思い、声をかけてくれただけです。怒鳴る理由など、あの人にはないのです。降りる駅に着いてドアが開いたとき、私は振り返りました。目が合いました。さっき怒鳴ったときとは違う声で、「あなたが悪いんじゃないの」と伝えました。それだけ言うのが精1杯でした。
そして...
ホームに降りて紙袋を持ち替え、改札へ歩き出しました。走り出した電車の窓の向こうに、吊り革を持ったあの女性の姿が一瞬だけ見えた気がしました。謝るべきだったのに、あれだけしか言えなかった自分に腹が立ちました。1年前の出来事を、あの人にぶつけてよいはずがありませんでした。
次に誰かが席を譲ってくれたら、今度こそ「ありがとうございます」と答えよう。そう決めて、顔を上げて歩きました。
(60代女性・定年退職)
本記事は、読者アンケートに寄せられた実体験をもとにした本人視点の記事を参考に、相手側の心情を想定して制作しています。実際の相手本人への取材ではなく、編集部による解釈を含みます。
(ハウコレ編集部)
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