彼女のバッグを預かり札に託したあの瞬間、俺は大事なことに気づいていなかった
ただの預け入れのつもりだった
その店ではコートや荷物をクロークで預かってくれると聞いて、俺は彼女のぶんもまとめて預けようと、彼女のバッグを手に取りました。
カウンターで店員さんに「すみません、この荷物お願いします」と声をかけ、預かり札を受け取る。俺にとっては何でもないやりとりのつもりでした。
預けたものを荷物と呼ぶのは当たり前で、そこに特別な意味など、まるで込めていなかったのです。だからこのあと彼女の元気がなくなった理由が、しばらく見当もつきませんでした。
本当は気づいていた
本当のことを言えば、そのバッグのことは知っていました。彼女がずいぶん前から欲しがっていて、買おうか迷っていたのも、ようやく手に入れて少し誇らしげにしていたのも、ちゃんと見ていたのです。うれしそうな横顔を、いいなと思っていました。
ただ、俺はそういう気持ちを言葉にするのが昔から苦手でした。物を大げさに褒めたり、人前ではしゃいだりする家ではなかったので、大事なものほど、かえってそっけない言い方になってしまうのです。あの荷物も、彼女のバッグを軽く見たわけではありませんでした。
曇った横顔の意味
食事のあいだ、彼女の口数が少ないのが気になっていました。「どうかした?」と聞いても、返ってきたのは「ううん、なんでもない」というひとことだけ。それ以上は踏み込めないまま、料理を進めました。
けれど頭の片隅で、さっきのクロークでのことが引っかかっていたのです。もしかして、あの言い方がそっけなく聞こえたのだろうか。彼女にとってあのバッグがどれだけ特別か知っていたのに、俺はそれをただの荷物のように扱ってしまった。そう思い至ると、自分の言葉の足りなさが情けなくなりました。
そして...
帰り道、彼女はバッグを大事そうに抱えて歩いていました。その横顔を見ながら、似合っているな、と心の中で何度も思いました。けれど、思っているだけでは何も伝わらないことに、ようやく気づいたのです。
大切に思う気持ちは、態度の端々ではなく、ちゃんと言葉にしなければ届かない。次に彼女が新しい何かを手にしたときは、そっけない言い方でごまかさず、まっすぐ「いいね」と伝えようと思います。荷物のひとことで終わらせない自分になりたいと、その帰り道に本気で思ったのです。
(30代男性・会社員)
本記事は、ハウコレ読者への独自アンケートに寄せられた実体験をもとに制作していますが、個人が特定されないよう、一部設定を変更しています。
(ハウコレ編集部)
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