ずっと欲しかったバッグを、彼は「荷物」のひとことで店に預けた話
「荷物」というひとこと
案内されたのは、落ち着いた雰囲気のお店でした。コートやバッグはクロークで預かってくれるそうで、彼は私のバッグを手に取り、自分のコートと一緒にカウンターへ向かいました。そのさりげない気遣いが、その時はうれしかったのです。
けれどカウンターで彼は、私のバッグを差し出しながら店員さんにこう言いました。
「すみません、この荷物お願いします」
荷物、と彼は言いました。受け取った預かり札を私に手渡すあいだも、私はその言葉を頭の中で何度も繰り返していました。
私には特別だったもの
そのバッグは、ずいぶん前から気になっていたものでした。値段を見ては迷い、何度も棚に戻して、それでも忘れられなくて、思い切って買ったのです。色も形も、自分の中でしっくりくる一つにやっと出会えた気がして、それを持って出かけられることが、ささやかな楽しみでした。
気づいてくれるかな、なんて期待もしていたのだと思います。それなのに返ってきたのは、荷物、というひとことでした。私が大切にしているものは、彼にとっては中身のわからない荷物のひとつにすぎないのかもしれません。
言えなかった食事の席で
席に着いてからも、私はうまく会話に入れませんでした。たかが言葉ひとつでこんなに引きずる自分が、少し子どもっぽいようにも思えたのです。料理の感想を言い合いながらも、心のどこかはまだクロークのカウンターに残ったままでした。
私の様子に気づいたのか、彼が「どうかした?」と聞いてきました。本当のことを言えば笑われる気がして、私は「ううん、なんでもない」と首を振りました。バッグのことなんて口に出すほどではない。そう自分に言い聞かせながら、グラスの水をひとくち飲みました。
そして...
帰り道、預かり札と引き換えに戻ってきたバッグを、私は両手で抱えて歩きました。彼に悪気がなかったことは、わかっています。
ただ、私にとって大切なものを、同じように大切だと思ってほしかっただけなのです。でも、言わなければ伝わらないことも、きっとあるのでしょう。次に同じ場面が来たら、今度は私から「このバッグ、すごく気に入ってるんだ」と話してみようと思います。
わかってもらえないと嘆くより、知ってもらう一歩を踏み出すほうが、私らしい気がしたからです。
(20代女性・事務職)
本記事は、ハウコレ読者への独自アンケートに寄せられた実体験をもとに制作していますが、個人が特定されないよう、一部設定を変更しています。
(ハウコレ編集部)
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