保育士×バレー選手・大城なるみ、同級生14人中10人が退部「めっちゃ辞めたかった」過酷な青春
保育士として働きながら、女子バレーボールチーム「ビオーレ名古屋」でキャプテンを務める大城なるみ。両親の影響で小学1年生からバレーボールを始め、中学では全国大会に出場。一方、高校では同級生14人のうち10人が退部するほど過酷な環境に身を置いた。一度はバレーを辞めようと考えたものの、「ビオーレ名古屋」のセレクションを受けたことをきっかけに、現在まで競技を続けている。これまでの歩みと、キャプテンとして抱える葛藤に迫った。(前後編の前編)
――現在は「ビオーレ名古屋」でキャプテンを務められていますが、大城さんがバレーボールを始めたのは、いつ頃だったんですか?
大城 小学1年生からです。小学校の頃は、バレーのほかに習い事を5つしていました。水泳、ピアノ、そろばん、くもん、あと習字!
――本当にたくさんの習い事をしていたんですね。
大城 はい。なので、どちらかというと友達と遊ぶより、習い事に行っていることのほうが多かったです。夏休みも、ずっとバレーボールの練習や合宿の日々でした。
――バレーボールを始めたきっかけは何だったんですか?
大城 もともと両親が2人ともバレーボールをやっていて、母のママさんバレーに保育園の頃からずっとついて行っていたんです。ボールを触ったりもしていましたね。それがきっかけで、小学校に入ってからジュニアのクラブチームに入りました。
――小学4、5年生頃から、より本格的にバレーに打ち込むようになったそうですね。
大城 所属していたクラブチームは人が多くて、みんなで試合に勝ったり、九州大会に行ったりする中で、「もっと上でやって楽しみたい」と思うようになったんです。それで、中学は地元の学校ではなく、受験して私立の中学校に行くことにしました。
――バレーボールの強豪校、博多女子中学校に進学されました。強豪校となると、練習もかなり厳しかったのでは?
大城 めちゃくちゃきつかったです。上下関係も厳しいし、ルールもすごくたくさんありました。
――例えば、どのようなルールがあったんですか?
大城 校舎と体育館が離れていたんですが、そこまで走っていかないといけないんです。食べるものも制限されていて、水かお茶か100%ジュースしか飲んじゃいけない。コロッケパンのような調理パンしか食べちゃいけない、おにぎりはのりをつけちゃいけないとか、よくわからないんですけど(笑)。とにかく厳しかったです。
――厳しい環境の中、中学3年生のときには全国大会に出場されています。
大城 自分たちの代になったときに、チームで「全国大会に出場する」という目標を決めていたので、「その夢がかなった。目標まで届いた」という感じでした。
――高校でもバレーボールを続けますが、中学以上に壮絶だったそうですね。
大城 高校は、もともと同級生が14人いたのに、10人が辞めましたね。
――14人中10人が辞めたのは、何が原因だったのでしょう?
大城 シンプルにきつかったのもありますし、私たちのときは、いろいろあって顧問が1年ごとに毎回変わったんですよ。それも大きかったのかなと思います。
――大城さん自身も「辞めたい」と思うことはありましたか?
大城 めっちゃ辞めたかったです(笑)。
――それでも、なぜ残ることができたのでしょう?
大城 私は中学校からそのまま高校に上がったんですけど、練習場所が、隣で中学校が練習していて、その隣で高校が練習している、みたいな感じだったんです。だから、「辞めたら絶対(中学の先生に)怒られるな」と思って。
――辞めにくい環境でもあったんですね。
大城 はい。それに、高校からは寮に入ったので、辞められない雰囲気で。私を含めて、中学から一緒に上がっていった4人は残りました。
――今振り返って、あのとき辞めなくてよかったと思いますか?
大城 思います。あの環境でも続けられたことに対して、すごく達成感がありますね。
――当時は、おしゃれなど普通の高校生らしいこともできなかったのでは?
大城 できなかったですね。髪の毛は耳にかかっちゃいけなかったので、髪を伸ばせるようになったのは大学からで、小中高とずっと短かったです。私服を着られるのも帰省しているときだけ。休日も友達と遊ぶというよりは、接骨院などで体のケアをすることが多かったです。完全に、バレーのことだけを考えている日々でした。
――まさに青春のすべてをバレーボールに捧げてきたんですね。
大城 はい。バレーがなかったら、今の私はいないんじゃないかなと思います。
――高校卒業後は短大に進学しますが、当初は高校でバレーを辞めるつもりだったんだとか。
大城 はい、やるつもりはなかったです。もうやり尽くしたし、いいかなと思って。チームには入らず、みんなで集まって遊びでできたらいいかな、ぐらいに思っていましたね。
――そこからどのような心境の変化があり、「ビオーレ名古屋」に所属することになったのでしょうか?
大城 短大に、「ビオーレ名古屋を作ります」という知らせが来たんです。それで、短大の先生に「1回受けてみたら」って言われて。「受けてみるだけなら」という気持ちで、名古屋に行ってセレクションを受けました。
――そして、見事合格されたと。
大城 受かったんですけど、最初はすごく不安でした。でも、「バレーが続けられるのであればいいかな」って気持ちもありましたね。保育園で働くのも、いろいろな人がいるし、どうにかなるだろうと思っていました。
――バレー以外のことでは、自分から「これがやりたい」と言うタイプではないそうですが、現在はキャプテンを務められています。
大城 はい、なぜか(笑)。「絶対にキャプテンは無理」というタイプなので、中高も短大も、キャプテンはしていませんでした。
――任されたときは、どのように感じましたか?
大城 「私で大丈夫かな」って思いましたね。性格的に、自分の意見でやりたいタイプなんです。どちらかと言ったら、周りの意見はどうでもいい、みたいな。
――そうなると、チーム全体の意見をまとめるのは難しいのでは?
大城 でも、キャプテンはいろいろな人の意見を聞きながら、それを自分の意見と合わせつつやっていかないといけない。それがすごく難しいな、性格的には無理だなって感じるときも、正直あります。
――キャプテンとして、意識していることはありますか?
大城 メリハリは大切にしています。練習も、やるときはやる。オフの日は普通に楽しく会話する。そこは意識してやっています。
――これまでの歩みを振り返ると、大城さんの中心には常にバレーボールがありますね。
大城 そうですね。長い時間ずっとやっていることなので。一度は辞めようと思いましたが、やるのであれば、自分が気が済むまでとことんやろうって、今は思っています。
▼大城なるみ(おおぎ・なるみ)福岡県出身。身長170cm。女子バレーボールチーム「ビオーレ名古屋」所属。背番号3、アウトサイドヒッター。保育士として働きながら、同チームのキャプテンを務める。2025年7月21日に初のデジタル写真集『神スタイルのゆるふわ保育士アスリート』(集英社)を発売した。
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