「ドラゴンボール」作者・鳥山明さん死去「週刊少年ジャンプ」編集部・堀井雄二・尾田栄一郎らが追悼「僕らは血液レベルで鳥山先生が大好き」
2024.03.08 14:34
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「ドラゴンボール」の作者として知られる漫画家の鳥山明さんが死去した。68歳だった。この訃報を受け、「週刊少年ジャンプ」の公式サイトでは、編集部やゆかりのある堀井雄二氏や尾田栄一郎氏から追悼コメントが寄せられた。
「週刊少年ジャンプ」編集部・鳥山明さんを追悼
同サイトでは、週刊少年ジャンプ編集部、Vジャンプ編集部、ジャンプSQ.編集部、最強ジャンプ編集部、少年ジャンプ+編集部より「ジャンプ誌上でたくさんの作品を発表された鳥山明先生が逝去されました。突然の訃報に、集英社・編集部一同大きな悲しみに包まれております」とコメント。「『Dr.スランプ』『DRAGON BALL』『SAND LAND』…先生が描かれた漫画は、国境を越え世界中で読まれ、愛されてきました。また、先生が生み出された魅力あふれるキャラクターたちと、その圧倒的なデザインセンスは、数多くの漫画家・クリエイターに大きな影響を与えてきました」と生前の数々の作品に思いを馳せた。鳥山明さん死去で堀井雄二氏・尾田栄一郎氏から追悼コメント
ドラゴンクエストゲームデザイナーの堀井氏は、鳥山さんとの出会いを振り返り「あれから37年余り、登場人物のキャラクターデザイン、モンスターデザイン、とても数えきれないほどの魅力的なキャラを描いていただきました。ドラゴンクエストの歴史は、鳥山さんのキャラデザインとともにありました」と感謝。「鳥山さん、故すぎやま先生は、ドラゴンクエストを長きに渡って作ってきた仲間でした。亡くなってしまうなん…。これ以上、なんて言えばいいのか言葉になりません。本当に、本当に、残念です」と別れを惜しんだ。『ONE PIECE』の著者で知られる尾田氏は、「あまりに早すぎます。空いた穴があまりに大きすぎます。もう二度と会えないと思うと、悲しみが押し寄せてきます」と偲んだ。また「子供の頃から憧れすぎていて初めて名前呼んで貰えた日の事も覚えています。我々に『友達』という言葉を使ってくれた日の帰り道。岸本さんと盛大にはしゃいだ日も懐かしいです。最後に交わした会話も覚えています」とこれまでの鳥山さんとの思い出を振り返っていた。
『NARUTO -ナルト-』などの作品で知られる岸本斉史氏は、「突然のことで何をどう書けばよいのか正直わかりません」と記し「今、先生のご訃報を受けたばかりです。ドラゴンボールが終わった時以上のとてつもない喪失感に襲われ、まだこの心の穴にどう対処すればよいのか分かりません」と心境を吐露。「鳥山明先生、45年もの間たくさんの楽しい作品をありがとうございました。そして本当にお疲れ様でした」と伝えた。
鳥山さんの死去は「ドラゴンボール」公式サイトにて発表された。鳥山さんは、1955年4月5日生まれ、愛知県名古屋市出身。1978年に「週刊少年ジャンプ」52号にて読み切り作品「ワンダーアイランド」でデビュー。代表作は「Dr.スランプ」「ドラゴンボール」など。(modelpress編集部)
コメント全文
<編集部>ジャンプ誌上でたくさんの作品を発表された鳥山明先生が逝去されました。突然の訃報に、集英社・編集部一同大きな悲しみに包まれております。
『Dr.スランプ』『DRAGON BALL』『SAND LAND』…先生が描かれた漫画は、国境を越え世界中で読まれ、愛されてきました。また、先生が生み出された魅力あふれるキャラクターたちと、その圧倒的なデザインセンスは、数多くの漫画家・クリエイターに大きな影響を与えてきました。
先生の偉大なご功績を讃え、感謝の意を表するとともに、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
<堀井雄二氏>
本当に、あまりに突然な鳥山さんの訃報で、まだ信じられない気持ちでいっぱいです。鳥山さんとは、ボクが少年ジャンプのライターをやっていた頃からの知り合いで、担当編集者の鳥嶋さんの勧めもあり、ドラゴンクエストを立ち上げる時に、彼にゲームの絵を頼むことにしました。
あれから37年余り、登場人物のキャラクターデザイン、モンスターデザイン、とても数えきれないほどの魅力的なキャラを描いていただきました。
ドラゴンクエストの歴史は、鳥山さんのキャラデザインとともにありました。
鳥山さん、故すぎやま先生は、ドラゴンクエストを長きに渡って作ってきた仲間でした。亡くなってしまうなんて…。これ以上、なんて言えばいいのか言葉になりません。本当に、本当に、残念です。
<尾田栄一郎氏>
あまりに早すぎます。空いた穴があまりに大きすぎます。
もう二度と会えないと思うと、悲しみが押し寄せてきます。
子供の頃から憧れすぎていて初めて名前呼んで貰えた日の事も覚えています。我々に「友達」という言葉を使ってくれた日の帰り道岸本さんと盛大にはしゃいだ日も懐かしいです。最後に交わした会話も覚えています。
漫画なんて読むとバカになるという時代からバトンを受け取り大人も子供も漫画を読んで楽しむという時代を作った一人でもあり漫画ってこんな事もできるんだ世界に行けるんだ、という夢を見せてくれました。突き進むヒーローを見ているようでした。
漫画家に限らずあらゆる業界で活躍するクリエイター達の少年時代にドラゴンボール連載当時の興奮と感動が根付いているでしょう。その存在は、大樹です。
同じ舞台に立った僕ら世代の漫画家にとって鳥山作品は近づく程により大きな存在と気づかされました。怖いくらいに。でもまた、飄々としたご本人に会えるとただ嬉しい。僕らは血液レベルで鳥山先生が大好きだから。
鳥山先生の残された創造性豊かな世界に敬意と感謝を込めて、心よりご冥福をお祈りいたします。天国が先生の想い描いた通りの愉快な世界でありますように。
<岸本斉史氏>
突然のことで何をどう書けばよいのか正直わかりません。ただ今は鳥山先生にいつか聞いて欲しかった事、想いをお伝えさせて頂きたく思います。
小学生低学年でDr.スランプ、高学年でドラゴンボールとずっと先生の漫画と一緒に育ち、生活の一部で先生の漫画が隣にあるのが当たり前でした。嫌なことがあっても毎週のドラゴンボールがそれを忘れさせてくれました。何もなかった田舎少年の僕にとってそれは救いでした。本当にドラゴンボールが楽しすぎたからです!大学生のときです。突然、僕の生活に長年当たり前にあったそのドラゴンボールが終わりました。
とてつもない喪失感に襲われ何を楽しみにすればいいのか分からなくなりました。でもそれは同時にドラゴンボールを生み出してくれた先生の偉大さを心から知る事ができるきっかけでもありました。僕も先生のような作品を作りたい!先生のようになりたい!と、先生の後を追いかけるように漫画家を目指すうちにその喪失感もなくなっていきました。漫画作りが楽しかったからです。先生を追いかける事で新しい楽しみを見つける事が出来ました。先生はいつも僕の指針でした。憧れでした。先生にはご迷惑かもしれませんが勝手に感謝しています。僕にとってはまさに救いの神であり、漫画の神様でした。
初めてお会いした時、緊張し過ぎて一言も喋れませんでした。ですが手塚賞の審査会で何度もお会いするうち話せるようになりました。ドラゴンボールチルドレンとして尾田さんと2人して子供に戻りまるで競争するかのようにいかにドラゴンボールが面白かったのかをはしゃいで話した時、まんざらでもない様子で少し恥ずかしそうな笑顔をされていたのが忘れられません。
今、先生のご訃報を受けたばかりです。ドラゴンボールが終わった時以上のとてつもない喪失感に襲われ...まだこの心の穴にどう対処すればよいのか分かりません。今は大好きなドラゴンボールも読めません。先生へお伝えしたいこの文章もまともに書けている気がしません。世界中の皆んながまだまだ先生の作品を楽しみにしていました。もし本当にドラゴンボールの願いが1つ叶うなら…すみません…それはわがままな事なのかもしれませんが、悲しいです先生。
鳥山明先生、45年もの間たくさんの楽しい作品をありがとうございました。そして本当にお疲れ様でした。
残された家族のみなさまにおかれましては今はまだ深くご傷心のことと思われます。ご自愛くださいませ。鳥山明先生の安らかな眠りをお祈り申し上げます。
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