乃木坂46生駒里奈、いじめを受けていた過去 「一番底辺」からセンターまでの道のり語る
2017.05.28 18:15
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乃木坂46の生駒里奈が、28日に放送された日本テレビ系「チカラウタ」(毎週土曜よる5時~)に出演した。
乃木坂46でデビューから5作連続でセンターを務め、天真爛漫な笑顔が印象的な生駒だが、小学生の時の転校がキッカケで「闇が始まったと思うんです」と今の姿からは想像し難い過去を告白。小学校3年生ぐらいのときから出来始めたスクールカーストの中では「1番底辺にいた」といい、「そういうところの子は、いじめっ子がターゲットにし易いんですよ」と振り返った。
その後、5~6年生の時が「学校生活でも、自分の人生の中での1番キライな時期」だったよう。NEWS小山慶一郎から理由を聞かれると「シカトが始まったり…。標的もローテーションで変わるんですよ。だから『今月は仲良くされているけど、来月はシカトされるんだろうな』みたいな。ロッカーに入ってるものが朝来たら床に散らばってて、このままいくと私のものが全部壊されちゃうと思って、それ以来学校に荷物を置かなくなったので、毎日終業式の日みたいな荷物で通ってました」といじめにあっていた日々を語った。
それでも、不登校にならなかった理由については「お母さんとかを悲しい気持ちにするのは嫌だなと思った」と告白。「学校には友達はいないけど、図書館でずっと小説を読んでいたり、自分の世界に入って、自分を守るっていう術を身に着けた」とも明かした。
しかし、高校は親友と別々に。学校の雰囲気に合わず、不登校になることを考えるほどのどん底に落ちたとき、父から気分転換も兼ねて乃木坂46のオーディションを勧められ、見事合格に至った。
そんな負の想いは、デビュー後センターを務めているときにもあったそうで「白い目で見られる不安、自分なんかできないっていう想いが」と回顧。「ある日、ご飯食べていたら血の味がして、(ストレスで)喉の奥まで口内炎が出来ていたんです。でも、普通は病院いかなきゃとか思うんですけど、(その時は)自分の身体に起きている変化に気づけない状況でした」と精神的に辛かった日々を思い返した。
最後、小山からセンターではなくなった時の心境を聞かれた生駒は、「スッキリっていう気持ち」と回顧。「センターのときは自分のことを大切にすることができなくて、自分で傷つけていたんですけど、これをキッカケに自分のイイところを認めようとやっと思えた。必要なキッカケです」と晴れやかな表情で語っていた。(modelpress編集部)
情報:日本テレビ
その後、5~6年生の時が「学校生活でも、自分の人生の中での1番キライな時期」だったよう。NEWS小山慶一郎から理由を聞かれると「シカトが始まったり…。標的もローテーションで変わるんですよ。だから『今月は仲良くされているけど、来月はシカトされるんだろうな』みたいな。ロッカーに入ってるものが朝来たら床に散らばってて、このままいくと私のものが全部壊されちゃうと思って、それ以来学校に荷物を置かなくなったので、毎日終業式の日みたいな荷物で通ってました」といじめにあっていた日々を語った。
それでも、不登校にならなかった理由については「お母さんとかを悲しい気持ちにするのは嫌だなと思った」と告白。「学校には友達はいないけど、図書館でずっと小説を読んでいたり、自分の世界に入って、自分を守るっていう術を身に着けた」とも明かした。
転機が訪れた中学・高校
中学に上がると、いじめていた人の半分ほどは別の学校に進学し、「今でも大好きな大親友ができたんですよ」と転機が訪れたそう。その親友との出会いを聞かれた際には「前の席だったその子が急に振り返って『ねぇ、メイド服って可愛いよね』って言われたんです。私もそういうものが好きだったのでそこから友達に」と述懐。共演者たちは驚きつつも、先程までとは一転して笑顔で話す生駒につられて笑っていた。しかし、高校は親友と別々に。学校の雰囲気に合わず、不登校になることを考えるほどのどん底に落ちたとき、父から気分転換も兼ねて乃木坂46のオーディションを勧められ、見事合格に至った。
消えなかった負の想い
加入決定後、寮生活を前に東京でホテルぐらしがスタート。学校をやめられる喜びもあったようだが、「(底辺だった)自分がココに立っちゃいけないという不安」などもあったことを明かした。そんな負の想いは、デビュー後センターを務めているときにもあったそうで「白い目で見られる不安、自分なんかできないっていう想いが」と回顧。「ある日、ご飯食べていたら血の味がして、(ストレスで)喉の奥まで口内炎が出来ていたんです。でも、普通は病院いかなきゃとか思うんですけど、(その時は)自分の身体に起きている変化に気づけない状況でした」と精神的に辛かった日々を思い返した。
変わるキッカケになった曲
そして、苦しい日々を変えたのは、たまたま耳に入ったゴールデンボンバーの「あしたのショー」であることを紹介。「その時の自分にピッタリで、簡単には帰れないなっていう覚悟が出来た曲。(東京には)母も友だちもいないけど、代わりに慰めてくれているような気がした」と話す生駒の目には涙。最後、小山からセンターではなくなった時の心境を聞かれた生駒は、「スッキリっていう気持ち」と回顧。「センターのときは自分のことを大切にすることができなくて、自分で傷つけていたんですけど、これをキッカケに自分のイイところを認めようとやっと思えた。必要なキッカケです」と晴れやかな表情で語っていた。(modelpress編集部)
情報:日本テレビ
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