TOKIO松岡昌宏、4年ぶりの挑戦「役者の幅を広げるキッカケにした」<本人コメント>
2017.02.04 05:00
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TOKIOの松岡昌宏が、舞台「ダニーと紺碧の海」で主演を務めることが発表された。松岡にとって4年ぶりの舞台出演となる。
松岡昌宏が演じる役柄は?
数々の賞を受賞してきたジョン・パトリック・シャンリィ氏によって1983年に書かれた同作は、大都会の片隅で生きる男女2人のエネルギーと哀切に満ちた、2人芝居による会話劇。たった2人の話にもかかわらず、そこにはエネルギーと不安と希望が入り混じり、現代の都市で生きる人にとっても胸にしみいるストーリーとなっている。松岡が演じるのは、社会での生きづらさから、有り余るエネルギーをどこで発散したらいいかわからない、暴発気味の男・ダニー。4年ぶりの舞台出演にあたり、「数年に一度、舞台に立たせて頂いておりまして、今回もとても素敵なタイミングでお話をいただき、役者の幅を広げるキッカケにしたいと思っています」と語った。
相手役は土井ケイト
一方、壊れた家庭環境の中で疲れていたところでダニーと出会い、惹かれていくロバータ役は、土井ケイト。さいたまネクストシアターで故・蜷川幸雄さんからの信頼も厚かった新進気鋭の女優である。演出家は藤田俊太郎氏
そして、演出は藤田俊太郎氏。蜷川さんの演出助手として鍛えられた確かな演出力と、役者と渾身で向き合う姿には、スタッフや俳優たちからも絶大な信頼を寄せられている。主演の松岡も、「今、最も注目されている演出家の藤田俊太郎さんとご一緒できるということで、自分の中にはない世界観を引き出して下さるのではと、たいへん楽しみです」と期待。「刺激を頂きながらも、自分らしく楽しんでやっていきたいと思います」と意気込みもあらわにした。
対して、藤田氏も「今はこれから出会うであろう2人の俳優とのアパッシュダンスのような美しい稽古を楽しみにしています」とコメント。「俳優を諦めた僕が、これまで演出家として劇時間に向き合ってきたからこそできる一回きりの勝負。この勝負がお客様のこころに、激しくも優しさに充ち溢れた言葉として届きますように」とメッセージを送った。
なお、同舞台は、新宿・紀伊國屋ホールで5月13~21日まで、兵庫県立芸術文化センター・阪急中ホールで5月27日~28日まで上演する。(modelpress編集部)
舞台「ダニーと紺碧の海」ストーリー
ニューヨーク ブロンクスの深夜のバーで、2人の男女が偶然出会う。男の名はダニー。繊細さゆえに傷つきやすく、心の痛みを暴力によって吐き出すため、他人となかなか理解し合えない孤独な男だ。女の名はロバータといい、日々の生活に疲れ、また過去に犯した罪を悔やんで、自分は幸せにはなれないと心を閉ざしている。お互いを警戒しながらも、徐々にぎこちない会話を始める2人。そして互いに共通するものを感じ取ったのか、2人は徐々に近づいていく。やがてお互いのエネルギーをぶつけ合い、傷をさらけ出し、心の闇を開放していく。
ダニーを家に引き入れたロバータ。夢見がちながら、一生懸命な彼女に惹かれたダニーは結婚を口にし、ロバータは一瞬驚くも、無邪気にそれを受け入れた。結婚の約束を交わした2人は、それまで経験したことのないほど深い安らぎの中で、眠りに落ちる。
孤独から解放されたと思い、歓喜に満ちた朝を迎えたダニーだったが、ロバータは帰ってほしいと言い出す。現実が再び彼女を支配し、自分は幸せになれる女ではないのだと、殻に閉じこもろうとするロバータ。そんな彼女にありったけの真心をぶつけるダニー。彼の真剣さと熱い言葉はロバータを打ち、彼女の心を溶かしていく…。
松岡昌宏コメント
数年に一度、舞台に立たせて頂いておりまして、今回もとても素敵なタイミングでお話をいただき、役者の幅を広げるキッカケにしたいと思っています。更に今、最も注目されている演出家の藤田俊太郎さんとご一緒できるということで、自分の中にはない世界観を引き出して下さるのではと、たいへん楽しみです。刺激を頂きながらも、自分らしく楽しんでやっていきたいと思います。
演出・藤田俊太郎氏コメント
まだニナガワ・スタジオ(1984年~演出家 蜷川幸雄主宰)の俳優だった12年程前、僕はジョン・パトリック・シャンリィの作品に出会い、憧れました。その物語には静かで、鮮やかで、生々しい激しさがある。特に80年代中期に書かれた戯曲『ダニーと紺碧の海』は、言葉の煌めきに魅せられ、何度も読みました。ニナガワ・スタジオでは、自主的に戯曲を選びエチュード作品にまとめると蜷川さんに演技を見てもらえる。俳優を志したばかりの僕がこの2人芝居を稽古したいと蜷川さんに相談すると、「この話は難しいから今の藤田には無理だと思う。もっとハードルの低い戯曲を選びなさい」と、おっしゃいました。こんな素晴らしい戯曲の言葉を、僕の身体は何ひとつ語ることができない。それはあっけない俳優人生の終わりと、今思うと、僕の演出家としてのスタート地点でした。
2016年になってあらためて読んだ時、戯曲から迫ってくるのは全く古びることのない削ぎ落とされた圧倒的なリアルです。ニューヨーク ブロンクス、と思われる場所で出会ってしまった2人の男女の一夜と夜明け。一瞬のような、もしくは永遠のような愛おしい会話。激しく殴ることと、優しくキスすることがまるで同価値やイコールのように表現される男女の関係性。作品から滲み出るのは、孤独と孤独が交わることによるロマンチック、ラヴソングのように紡がれていく言葉、言葉、言葉。
タイトルである、男ダニーが味わった深い海は、女ロバータという、うたかたのまぼろしに過ぎなかったのだろうか。母性と海はどこにある、かたちにならない愛のかたち。帰らなきゃならないのに帰る家がないというメッセージ。それは時代を超え、閉塞感や格差、孤独や個人、生々しくぶつかることのできない現代の世界性の中でより色濃く響き、また演劇にしかつくれない、繰り返される言葉の新しさを持ち続けています。
この芝居を演出することは、自分自身に対する演劇人としての問いに他なりません。僕は演劇を渇望しているのか僕は世界と向き合えているのか。究極に言えば、僕はこの芝居を演出するために今まで演劇を生きてきた。今はこれから出会うであろう2人の俳優とのアパッシュダンスのような美しい稽古を楽しみにしています。俳優を諦めた僕が、これまで演出家として劇時間に向き合ってきたからこそできる一回きりの勝負。この勝負がお客様のこころに、激しくも優しさに充ち溢れた言葉として届きますように。
2017年の帰るべき場所、歌うべき歌、世界の現在形を演劇というリアルに込めて描きたいと想っています。
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