反町「GTO」生徒役・希良梨の現在 引退後の海外生活、結婚・出産…10年ぶり復帰の思いを語る
2015.01.08 06:00
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反町隆史主演のドラマ「GTO」(1998)の生徒役で知られる女優の希良梨(きらり・34)がモデルプレスのインタビューに応じた。
1997年にドラマ「ギフト」で女優デビューし、18歳当時「GTO」で演じたショートヘアの生徒・水樹ななこ役でブレイク。1999年には「kirari」名義で歌手デビューも果たした。しかしその翌年、メディアから姿を消し、2004年からは海外での生活をスタート。事実上の芸能界引退となった。
現在は日本に帰国し、2009年に誕生した長男の育児と両立しながら芸能活動も再開。モデルプレスのインタビューでは、芸能界の第一線から突如離れることを決意した当時の心境や、活動休止中の生活、そして台湾での結婚・出産を経て、約10年ぶりに活動を再開させるまでの葛藤と今の思いに迫った。
希良梨:決め手となったのは、ニューヨーク在住のメイクアップアーティストの方との出逢いです。私が10代後半、歌手活動をしている際に出逢ったのですが、自分らしくカッコイイ生き方に憧れ、思い切って海外へ出ました。
― 子供の頃から続けてきた仕事から離れることに対して、迷いや恐れ、周囲からの反対などはありませんでしたか?
希良梨:その時は迷いや恐れは全くありませんでした。反対もありましたが、当時はそれしか見えていませんでした(笑)。でもそのお陰で沢山の人や土地との出逢い、ご縁がありました。それらの経験があったからこそ、今の私がいるのだと思います。海外に出なければ、出逢えてなかった大切なもの。全てがわたしの宝物です。
― 2004年、海外に拠点を移してからはどのような生活を送っていましたか?
希良梨:色んな国で学校に行ったり、特に台湾では親友や芸能関係の友人が多かったこともあり、広告やモデルのお仕事をやらせていただいていました。思い返すと、結婚前に沢山の国や島に行き、様々なライフスタイルに間近で触れ合えたこと、母になる前にいろいろな貴重な経験をさせて頂けたことは本当に良かったと思っています。
― 2008年に台湾で結婚、翌年長男を出産。旦那様はどのような方ですか?
希良梨:主人は台湾人で、私と同じく芸能関係の仕事をしています。映画製作、ドラマ、コマーシャルの業界で幅広く仕事をしている方です。なので、私の仕事にも理解があり、サポートもしてくれています。
― 希良梨さんを惹きつけた台湾の魅力とは?
希良梨:古き良き日本の様に…とにかく人が優しい。私が幼少期を過ごした沖縄もそうでしたが、人々はみな、つながりをとても大事にする社会。知らない人にも自然な形で親切にできる台湾は本当に素晴らしいアイランドだと思います。母になってからも、子どもを連れて出かけても、沢山親切にしてもらっています。
希良梨:私は家族が台湾人ですし、子供も台湾で出産しました。本当を言うと、メディアの仕事を再開する予定はなかったのです。日本へ戻ってきたのはとてもプライベートな理由から。子どもが将来、日本と台湾を不自由なく行き来できるように、今の私達が出来ることを考え、行動に移していた結果でした。台湾では生活の基盤を築けていて、いつでも戻れる環境にありますので、まずはしばらく離れていた日本の暮らし、住居、仕事含め、家族によい環境作りを頑張っています。
子どもも大きくなってきて、住環境も落ち着きつつある頃に、ご縁のある方々からメディアのお仕事の話をいただきました。また、共に台湾へ渡った親友が私が休んでいる間もずっと日台の架け橋となるような芸能関係の仕事をし続けていたこともあり、帰る場所もありました。長い間、日本の芸能界のお仕事から離れていましたし、いろいろトラウマもありました。でも国際社会となってきた今だからこそ、私のこれまでの海外経験や、いろいろな国の女性の考えを伝えて行けるチャンスなのではないかと思い、勇気を出して再スタートしようと思いました。
― 現在、日本ではどのような生活を送っていますか?
希良梨:子どもは自分の手で育てたいので、子育て、家事、仕事の両立を頑張っています。
― 約10年ぶりとなる日本の芸能界への復帰で、以前とのギャップを感じることはありましたか?
希良梨:ギャップというより、母になってからの復帰ですので、全てが新鮮な感じでした。今までは子供だった私が逆に子供をもつ身になって、これまで見えなかったこと、気にも留めなかったことも敏感に感じ取れるようになった。芸能のあり方も当時とはだいぶ変わったように思います。インターネット等から色々なジャンルの方がエンターテイメントや情報を発信できる時代が本格的に来ていました。可能性にあふれる一方で、ルールが定まっていない不安等もありますが、新しいことにチャレンジするチャンスがたくさんの人々に与えられているのはすばらしいことだと思いました。
― 「GTO」などで活躍されていた当時と今を比較して、心境の変化や成長を感じる部分はありますか?
希良梨:「GTO」の当時はまだ17歳くらいだったと思いますが、若かったこともあり、イメージ通りまだ刺があって、クールにカッコつけた子どもでした(笑)。宝物の思い出たちですが、今では、台湾肝っ玉母さんになりつつあり(笑)、親としての強さやたくましさ、謙虚な姿勢、そして作らずにありのままでいることで幸せでいられる、という様なことを学びました。それが一番の成長だと思います。
― 復帰後、女性誌の企画で1ヶ月5kg減という厳しいダイエットに挑んだ時期もあったそうですが、現在はご自身の体型にどう向き合っていますか?
希良梨:私が学んだこと。それは、【人はありのままでいることが美しい】と今は思います。それが自分にとっての正解だと思います。美しさに基準なんてありません!体重などは極端でなければ、うまくコントロールして付き合っていけば良い。夜は19時以降は食べないとか、野菜、果物を食べる、健康に気を使うというのはとても大切なことですよね!それを厳しいダイエット経験から学びましたね。なのでもうダイエットはしません(笑)!
今の希良梨の体型は、理想のモデル体型とはだいぶ違いふっくらしていますが、それも愛嬌であり人間として魅力があると思えるようになりました。世の中にはそういう女性もたくさんいて、そういう方々にも共感して頂き、もっと自分に自信を持って人生を楽しんでいただきたいなと思っています。そのためにも、もっとメディアに登場して、ご覧になって頂くことでたくさんの方々に自信と共感を得てもらえたらいいなと思っています。
日々のケアは無理なダイエット生活ではなく、大好きなコスメの香りや、ヘッドスパ、アロマに癒されたりすることで、心のケアの時間を大切にしています。
希良梨:私にとって第二の故郷である台湾。そして私を育ててくれた日本。この2つの国の良さ。特により深い深い所にある部分を両方に伝えていけたら嬉しいですね。具体的には、日本語と中国語を活用した演技の仕事や、日本・台湾のアーティストの楽曲をカバーして日台同時リリースをしたり、ライブをしたり。そんな活動をしていけるのが理想です。
双方のアーティストやそれを取り巻くファンの交流が原動力となって、より互いのことを知りたい!一緒になってその先のアジア各国へ向けて新たなスタイルを発信していきたい!そんな【思いや動機のたね】になること。それが今の希良梨にできることなのではないかなと思います。
― 希良梨さんの今の夢を教えてください。
希良梨:これからも家族を愛し、友人達を、周りで関わる人たちを愛し、一歩一歩みんながほっこり笑顔になれる仕事がしていけたら、幸せですね。それをコンスタントに続けていけることが夢でもあります。誰かの為に頑張るっていうのが、一番幸せだと思うから。それが自分の為にもなっていると思います。
― 最後に、モデルプレス読者へ向けて“夢を叶える秘訣”をアドバイスお願いします。
希良梨:人生を楽しむこと、幸せを感じて生きること、そして、感謝の気持ちを忘れないこと。忙しさや目先の問題に気を取られてしまうと、すぐに見失いがちなこれらのこと。2015年はそんな時に一歩立ち止まって、大きな空【羊】たちの群れを眺めてみてください。この世で起こるどんな困難なことだって、必ずこの世のうちに流れていき、解決できるようになっていると思います。
どんなことも諦めずに、人生が困難な時にも自分を信じて、努力を続け、磨きをかけ、前だけを向いていけば、必ず自分が願ったことが叶うと思います。日頃から良い思考でいる、きれいな言葉を使う。その時の自分に合った本を読むのも良い。夢は日々の積み重ねですから。
没問題! (メイ ウェン ティ!)
一定可以的..(イー ディン クー イー ダ..)
問題ないよ!
必ず出来るから..
(modelpress編集部)
現在は日本に帰国し、2009年に誕生した長男の育児と両立しながら芸能活動も再開。モデルプレスのインタビューでは、芸能界の第一線から突如離れることを決意した当時の心境や、活動休止中の生活、そして台湾での結婚・出産を経て、約10年ぶりに活動を再開させるまでの葛藤と今の思いに迫った。
突然の活動休止、台湾での生活、夫との出会い
― ドラマ「GTO」、映画「Love&Pop」、歌手活動などでご活躍される中で、生活の拠点を海外に移そうと思ったきっかけは何ですか?希良梨:決め手となったのは、ニューヨーク在住のメイクアップアーティストの方との出逢いです。私が10代後半、歌手活動をしている際に出逢ったのですが、自分らしくカッコイイ生き方に憧れ、思い切って海外へ出ました。
― 子供の頃から続けてきた仕事から離れることに対して、迷いや恐れ、周囲からの反対などはありませんでしたか?
希良梨:その時は迷いや恐れは全くありませんでした。反対もありましたが、当時はそれしか見えていませんでした(笑)。でもそのお陰で沢山の人や土地との出逢い、ご縁がありました。それらの経験があったからこそ、今の私がいるのだと思います。海外に出なければ、出逢えてなかった大切なもの。全てがわたしの宝物です。
― 2004年、海外に拠点を移してからはどのような生活を送っていましたか?
希良梨:色んな国で学校に行ったり、特に台湾では親友や芸能関係の友人が多かったこともあり、広告やモデルのお仕事をやらせていただいていました。思い返すと、結婚前に沢山の国や島に行き、様々なライフスタイルに間近で触れ合えたこと、母になる前にいろいろな貴重な経験をさせて頂けたことは本当に良かったと思っています。
― 2008年に台湾で結婚、翌年長男を出産。旦那様はどのような方ですか?
希良梨:主人は台湾人で、私と同じく芸能関係の仕事をしています。映画製作、ドラマ、コマーシャルの業界で幅広く仕事をしている方です。なので、私の仕事にも理解があり、サポートもしてくれています。
― 希良梨さんを惹きつけた台湾の魅力とは?
希良梨:古き良き日本の様に…とにかく人が優しい。私が幼少期を過ごした沖縄もそうでしたが、人々はみな、つながりをとても大事にする社会。知らない人にも自然な形で親切にできる台湾は本当に素晴らしいアイランドだと思います。母になってからも、子どもを連れて出かけても、沢山親切にしてもらっています。
10年ぶり復帰の思い、厳しいダイエット経験
― 結婚・出産を経て、そのまま台湾で生活を続ける選択もある中で、2012年に帰国し、昨年夏からは芸能活動も再開。その思いをお聞かせください。希良梨:私は家族が台湾人ですし、子供も台湾で出産しました。本当を言うと、メディアの仕事を再開する予定はなかったのです。日本へ戻ってきたのはとてもプライベートな理由から。子どもが将来、日本と台湾を不自由なく行き来できるように、今の私達が出来ることを考え、行動に移していた結果でした。台湾では生活の基盤を築けていて、いつでも戻れる環境にありますので、まずはしばらく離れていた日本の暮らし、住居、仕事含め、家族によい環境作りを頑張っています。
子どもも大きくなってきて、住環境も落ち着きつつある頃に、ご縁のある方々からメディアのお仕事の話をいただきました。また、共に台湾へ渡った親友が私が休んでいる間もずっと日台の架け橋となるような芸能関係の仕事をし続けていたこともあり、帰る場所もありました。長い間、日本の芸能界のお仕事から離れていましたし、いろいろトラウマもありました。でも国際社会となってきた今だからこそ、私のこれまでの海外経験や、いろいろな国の女性の考えを伝えて行けるチャンスなのではないかと思い、勇気を出して再スタートしようと思いました。
― 現在、日本ではどのような生活を送っていますか?
希良梨:子どもは自分の手で育てたいので、子育て、家事、仕事の両立を頑張っています。
― 約10年ぶりとなる日本の芸能界への復帰で、以前とのギャップを感じることはありましたか?
希良梨:ギャップというより、母になってからの復帰ですので、全てが新鮮な感じでした。今までは子供だった私が逆に子供をもつ身になって、これまで見えなかったこと、気にも留めなかったことも敏感に感じ取れるようになった。芸能のあり方も当時とはだいぶ変わったように思います。インターネット等から色々なジャンルの方がエンターテイメントや情報を発信できる時代が本格的に来ていました。可能性にあふれる一方で、ルールが定まっていない不安等もありますが、新しいことにチャレンジするチャンスがたくさんの人々に与えられているのはすばらしいことだと思いました。
― 「GTO」などで活躍されていた当時と今を比較して、心境の変化や成長を感じる部分はありますか?
希良梨:「GTO」の当時はまだ17歳くらいだったと思いますが、若かったこともあり、イメージ通りまだ刺があって、クールにカッコつけた子どもでした(笑)。宝物の思い出たちですが、今では、台湾肝っ玉母さんになりつつあり(笑)、親としての強さやたくましさ、謙虚な姿勢、そして作らずにありのままでいることで幸せでいられる、という様なことを学びました。それが一番の成長だと思います。
― 復帰後、女性誌の企画で1ヶ月5kg減という厳しいダイエットに挑んだ時期もあったそうですが、現在はご自身の体型にどう向き合っていますか?
希良梨:私が学んだこと。それは、【人はありのままでいることが美しい】と今は思います。それが自分にとっての正解だと思います。美しさに基準なんてありません!体重などは極端でなければ、うまくコントロールして付き合っていけば良い。夜は19時以降は食べないとか、野菜、果物を食べる、健康に気を使うというのはとても大切なことですよね!それを厳しいダイエット経験から学びましたね。なのでもうダイエットはしません(笑)!
今の希良梨の体型は、理想のモデル体型とはだいぶ違いふっくらしていますが、それも愛嬌であり人間として魅力があると思えるようになりました。世の中にはそういう女性もたくさんいて、そういう方々にも共感して頂き、もっと自分に自信を持って人生を楽しんでいただきたいなと思っています。そのためにも、もっとメディアに登場して、ご覧になって頂くことでたくさんの方々に自信と共感を得てもらえたらいいなと思っています。
日々のケアは無理なダイエット生活ではなく、大好きなコスメの香りや、ヘッドスパ、アロマに癒されたりすることで、心のケアの時間を大切にしています。
今後の活動、夢を叶える秘訣
― 今後は具体的にどのような活動を考えていますか?希良梨:私にとって第二の故郷である台湾。そして私を育ててくれた日本。この2つの国の良さ。特により深い深い所にある部分を両方に伝えていけたら嬉しいですね。具体的には、日本語と中国語を活用した演技の仕事や、日本・台湾のアーティストの楽曲をカバーして日台同時リリースをしたり、ライブをしたり。そんな活動をしていけるのが理想です。
双方のアーティストやそれを取り巻くファンの交流が原動力となって、より互いのことを知りたい!一緒になってその先のアジア各国へ向けて新たなスタイルを発信していきたい!そんな【思いや動機のたね】になること。それが今の希良梨にできることなのではないかなと思います。
― 希良梨さんの今の夢を教えてください。
希良梨:これからも家族を愛し、友人達を、周りで関わる人たちを愛し、一歩一歩みんながほっこり笑顔になれる仕事がしていけたら、幸せですね。それをコンスタントに続けていけることが夢でもあります。誰かの為に頑張るっていうのが、一番幸せだと思うから。それが自分の為にもなっていると思います。
― 最後に、モデルプレス読者へ向けて“夢を叶える秘訣”をアドバイスお願いします。
希良梨:人生を楽しむこと、幸せを感じて生きること、そして、感謝の気持ちを忘れないこと。忙しさや目先の問題に気を取られてしまうと、すぐに見失いがちなこれらのこと。2015年はそんな時に一歩立ち止まって、大きな空【羊】たちの群れを眺めてみてください。この世で起こるどんな困難なことだって、必ずこの世のうちに流れていき、解決できるようになっていると思います。
どんなことも諦めずに、人生が困難な時にも自分を信じて、努力を続け、磨きをかけ、前だけを向いていけば、必ず自分が願ったことが叶うと思います。日頃から良い思考でいる、きれいな言葉を使う。その時の自分に合った本を読むのも良い。夢は日々の積み重ねですから。
没問題! (メイ ウェン ティ!)
一定可以的..(イー ディン クー イー ダ..)
問題ないよ!
必ず出来るから..
(modelpress編集部)
希良梨(きらり)プロフィール
1980年10月23日生まれ。代表作に「GTO」「ギフト」映画「Love&Pop」など。歌手活動時はKirari名義でアニメ版GTOエンディングテーマ「LAST PIECE」の他「TOY SOLDIERS」などのヒット曲をリリース。2004年に海外へ生活の拠点を移す。2008年台湾で結婚、翌年長男を出産。12年に日本に帰国し、14年に芸能活動を再開した。
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