赤江珠緒
- 誕生日:
- 1975年1月9日
- 星座:
- やぎ座
赤江珠緒に関する画像
赤江珠緒のプロフィール
生年月日:1975年1月9日
出身地:兵庫県
血液型:B型
■来歴
【生い立ち】
兵庫県明石市出身。1歳半で高知県へ引っ越し、高知県内で2回転校[3]。小学6年から中学2年生までは兵庫県西宮市、その後は明石市に住んでいた。西宮市立大社小学校[6]、西宮市立平木中学、明石市立魚住中学校、兵庫県立明石高等学校、神戸女学院大学人間科学部卒業。大学時代には大阪市のアナウンススクール生田教室に通っていた。
【朝日放送に入社】
1997年に朝日放送に入社。同期は高野直子、橋詰優子。
1998年全国高校野球選手権大会中継の実況中継女性アナウンサー(テレビ中継は関根友実に次いで2人目・ラジオ中継は赤江が初)となった[注 2]。
『ごきげん!ブランニュ』でのキャッチフレーズは、「マイクを握ってお口で仕事」。
『5時に夢中!』で朝日放送時代に小宮悦子の呼び掛けを無視したという噂に対して「最後の方に出演すると思い原稿を待っていたが冒頭で呼ばれてしまい原稿が無いため無視した」と噂を認めた。
【東京へ転勤】
2003年6月30日から、テレビ朝日『スーパーモーニング』の司会を担当することになったため、東京支社に転勤(編成局アナウンス部と東京支社編成部との兼務)となった。
2005年に入ってからは、『芸能人格付けチェック』(番組改編期の『人気者でいこう!』復活特番)、『ふたりはプリキュアMax Heart』(映画版ゲスト声優)といった朝日放送の自社の仕事もこなすようになり、さらに、テレビ朝日が全国中継した「世界水泳2005」の開催地モントリオールの現地キャスターも務めた。
【大阪へ戻る】
2006年3月31日で『スーパーモーニング』を降板、テレビ朝日アナウンサーの野村真季に交代した。その後、朝日放送本社へ復帰となり、出産のために降板した武田和歌子に代わって2006年5月6日から、以前アシスタントとして出演していた『おはよう朝日・土曜日です』に3年半ぶりにアシスタントとして復帰した。
2006年8月5日放送の関西テレビ『ナンボDEなんぼ』の関西5局女子アナSPで代表として局の垣根を越えて出演した小寺右子に対するコメントでVTR出演した。
一旦は朝日放送本社勤務のアナウンサーに戻る形になったが、2006年10月からテレビ朝日・朝日放送共同制作番組『サンデープロジェクト』のキャスター(宮田佳代子の後任)に起用されることが決定し、再び全国ネットの番組にレギュラー出演するようになった。一方で、『おはよう朝日・土曜日です』への出演も継続し、在阪準キー局に籍を置きながらも、関東・関西双方の局の生番組にレギュラー出演していた。
【フリー転身】
2007年3月31日付けで朝日放送を退社し、フリーに転身することとなり、4月から平日朝の『スーパーモーニング』の司会に復帰した。そのため、それまでのレギュラー番組(『サンデープロジェクト』、『芸能人格付けチェック』などを除く)を降板し、活動拠点も東京へ移った。
フリー転身後は、芸能事務所には所属せずに、赤江自身が個人事務所を設立して自ら窓口となって活動している。
9月23日には、フジテレビ『クイズ$ミリオネア』のスペシャル版に、解答者として出場した田原総一朗のライフライン(テレフォン)として、テレビ電話ながらテレビ朝日系列以外の番組初出演を果たした。
2008年11月23日に3歳年上のテレビ朝日報道局ディレクターと結婚。夫は広島県出身。同月27日放送の『スーパーモーニング』内で発表した。2009年5月、挙式・披露宴を行った。
2009年と2010年には、国政選挙施行日のテレビ朝日の選挙特別番組『選挙ステーション』のサブキャスターを務めた。
2011年4月1日には赤江が司会を務めていた『スーパーモーニング』が最終回を迎えたが、3日後の4月4日から放送開始された後継番組の『情報満載ライブショー モーニングバード!』においても、当時、フリー転身直後であった羽鳥慎一と共に総合司会を務めた。
2012年4月2日から2017年3月30日までと2018年4月2日からはTBSラジオ『赤江珠緒 たまむすび』(月曜 - 木曜)のパーソナリティを務めている。
2013年11月、国会で審議が進められていた特定秘密保護法案に対する、テレビキャスター・ジャーナリストらによる反対声明の呼びかけ人に名を連ねた。
2014年11月23日の神戸マラソンで初めてフルマラソンに挑戦し、4時間59分12秒のタイムで完走した。
長年ショートカットであったが、2014年春頃から「マラソン練習の時に被る帽子が風で飛ばないよう、結わいた髪で止めるために」髪を伸ばし始めた。2014年11月には肩までのセミロングになっていた(以後は髪を下ろしていることがなかったため、どれ位の長さまで伸ばしていたかは不明)。しかし、2015年4月に「座席の背もたれに寄りかかれないから」という理由で髪を切りショートカットに戻った。『モーニングバード!』の宣材写真をロングヘアのものに刷新した直後のことである。
NHK『連続テレビ小説』のファンである。NHK総合テレビの朝ドラ本放送は『スーパーモーニング』→『モーニングバード!』の裏番組であるため、朝のワイドショー担当時代は昼の再放送で視聴していたと話していた。
2015年4月12日からはTBS『この差って何ですか?』で司会を務め、テレビ朝日系列以外のテレビでは初のレギュラー番組となった。
2015年9月25日、『モーニングバード!』の最終回を以って同枠を降板。
2016年12月9日、『明石ふるさと大使』に就任。
2017年2月16日、TBSラジオ『赤江珠緒 たまむすび』の生放送で、第1子妊娠を報告。同年3月30日、『赤江珠緒 たまむすび』を降板、産休に入る。同年7月27日、第1子女児を出産。同年8月22日、出産後初の『赤江珠緒 たまむすび』に電話出演。その際、分娩まで2日がかりの難産であったこと、産後の経過などが赤江から語られた。
2018年4月2日、TBSラジオ『赤江珠緒 たまむすび』に復帰し活動を再開。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 Text is available under GNU Free Documentation License.
出身地:兵庫県
血液型:B型
■来歴
【生い立ち】
兵庫県明石市出身。1歳半で高知県へ引っ越し、高知県内で2回転校[3]。小学6年から中学2年生までは兵庫県西宮市、その後は明石市に住んでいた。西宮市立大社小学校[6]、西宮市立平木中学、明石市立魚住中学校、兵庫県立明石高等学校、神戸女学院大学人間科学部卒業。大学時代には大阪市のアナウンススクール生田教室に通っていた。
【朝日放送に入社】
1997年に朝日放送に入社。同期は高野直子、橋詰優子。
1998年全国高校野球選手権大会中継の実況中継女性アナウンサー(テレビ中継は関根友実に次いで2人目・ラジオ中継は赤江が初)となった[注 2]。
『ごきげん!ブランニュ』でのキャッチフレーズは、「マイクを握ってお口で仕事」。
『5時に夢中!』で朝日放送時代に小宮悦子の呼び掛けを無視したという噂に対して「最後の方に出演すると思い原稿を待っていたが冒頭で呼ばれてしまい原稿が無いため無視した」と噂を認めた。
【東京へ転勤】
2003年6月30日から、テレビ朝日『スーパーモーニング』の司会を担当することになったため、東京支社に転勤(編成局アナウンス部と東京支社編成部との兼務)となった。
2005年に入ってからは、『芸能人格付けチェック』(番組改編期の『人気者でいこう!』復活特番)、『ふたりはプリキュアMax Heart』(映画版ゲスト声優)といった朝日放送の自社の仕事もこなすようになり、さらに、テレビ朝日が全国中継した「世界水泳2005」の開催地モントリオールの現地キャスターも務めた。
【大阪へ戻る】
2006年3月31日で『スーパーモーニング』を降板、テレビ朝日アナウンサーの野村真季に交代した。その後、朝日放送本社へ復帰となり、出産のために降板した武田和歌子に代わって2006年5月6日から、以前アシスタントとして出演していた『おはよう朝日・土曜日です』に3年半ぶりにアシスタントとして復帰した。
2006年8月5日放送の関西テレビ『ナンボDEなんぼ』の関西5局女子アナSPで代表として局の垣根を越えて出演した小寺右子に対するコメントでVTR出演した。
一旦は朝日放送本社勤務のアナウンサーに戻る形になったが、2006年10月からテレビ朝日・朝日放送共同制作番組『サンデープロジェクト』のキャスター(宮田佳代子の後任)に起用されることが決定し、再び全国ネットの番組にレギュラー出演するようになった。一方で、『おはよう朝日・土曜日です』への出演も継続し、在阪準キー局に籍を置きながらも、関東・関西双方の局の生番組にレギュラー出演していた。
【フリー転身】
2007年3月31日付けで朝日放送を退社し、フリーに転身することとなり、4月から平日朝の『スーパーモーニング』の司会に復帰した。そのため、それまでのレギュラー番組(『サンデープロジェクト』、『芸能人格付けチェック』などを除く)を降板し、活動拠点も東京へ移った。
フリー転身後は、芸能事務所には所属せずに、赤江自身が個人事務所を設立して自ら窓口となって活動している。
9月23日には、フジテレビ『クイズ$ミリオネア』のスペシャル版に、解答者として出場した田原総一朗のライフライン(テレフォン)として、テレビ電話ながらテレビ朝日系列以外の番組初出演を果たした。
2008年11月23日に3歳年上のテレビ朝日報道局ディレクターと結婚。夫は広島県出身。同月27日放送の『スーパーモーニング』内で発表した。2009年5月、挙式・披露宴を行った。
2009年と2010年には、国政選挙施行日のテレビ朝日の選挙特別番組『選挙ステーション』のサブキャスターを務めた。
2011年4月1日には赤江が司会を務めていた『スーパーモーニング』が最終回を迎えたが、3日後の4月4日から放送開始された後継番組の『情報満載ライブショー モーニングバード!』においても、当時、フリー転身直後であった羽鳥慎一と共に総合司会を務めた。
2012年4月2日から2017年3月30日までと2018年4月2日からはTBSラジオ『赤江珠緒 たまむすび』(月曜 - 木曜)のパーソナリティを務めている。
2013年11月、国会で審議が進められていた特定秘密保護法案に対する、テレビキャスター・ジャーナリストらによる反対声明の呼びかけ人に名を連ねた。
2014年11月23日の神戸マラソンで初めてフルマラソンに挑戦し、4時間59分12秒のタイムで完走した。
長年ショートカットであったが、2014年春頃から「マラソン練習の時に被る帽子が風で飛ばないよう、結わいた髪で止めるために」髪を伸ばし始めた。2014年11月には肩までのセミロングになっていた(以後は髪を下ろしていることがなかったため、どれ位の長さまで伸ばしていたかは不明)。しかし、2015年4月に「座席の背もたれに寄りかかれないから」という理由で髪を切りショートカットに戻った。『モーニングバード!』の宣材写真をロングヘアのものに刷新した直後のことである。
NHK『連続テレビ小説』のファンである。NHK総合テレビの朝ドラ本放送は『スーパーモーニング』→『モーニングバード!』の裏番組であるため、朝のワイドショー担当時代は昼の再放送で視聴していたと話していた。
2015年4月12日からはTBS『この差って何ですか?』で司会を務め、テレビ朝日系列以外のテレビでは初のレギュラー番組となった。
2015年9月25日、『モーニングバード!』の最終回を以って同枠を降板。
2016年12月9日、『明石ふるさと大使』に就任。
2017年2月16日、TBSラジオ『赤江珠緒 たまむすび』の生放送で、第1子妊娠を報告。同年3月30日、『赤江珠緒 たまむすび』を降板、産休に入る。同年7月27日、第1子女児を出産。同年8月22日、出産後初の『赤江珠緒 たまむすび』に電話出演。その際、分娩まで2日がかりの難産であったこと、産後の経過などが赤江から語られた。
2018年4月2日、TBSラジオ『赤江珠緒 たまむすび』に復帰し活動を再開。
出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 Text is available under GNU Free Documentation License.