Sexy Zone中島健人の夢を叶える秘訣「イメージや状況を変えたかった」ジャニーさん“お別れの会”で感じた焦り、ブレずに進み続ける理由<「ラーゲリより愛を込めて」インタビュー>
2022.12.08 08:00
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12月9日に公開の映画「ラーゲリより愛を込めて」に出演するSexy Zoneの中島健人(なかじま・けんと/28)。主演の二宮和也、そして北川景子、松坂桃李、桐谷健太、安田顕…名だたる俳優陣が名を連ねる中、“映画の希望の光”として中島が参加する。
「映画人生の中で1、2位を争う辛いシーン」「めちゃくちゃきつかった」…時には隠したいであろう感情も、なぜこんなにも彼は素直に言葉にして伝えてくれるのだろう?とふと思う。インタビューを進めていくと、その答えが見えてきた。
中島健人「めちゃくちゃきつかった」監督からの洗礼
今作は、第二次世界大戦終了後、約60万人の日本人がシベリアの強制収容所(ラーゲリ)で不当に抑留者となり、あまりにも残酷な日々に誰もが絶望する状況下において、ただ1人、生きることへの希望を捨てなかった実在の人物・山本幡男の物語。瀬々敬久監督がメガホンをとった。中島は、山本と共に極限のラーゲリを生き抜く仲間であり、最年少でムードメーカーの新谷健雄役。「瀬々監督から『新谷はこの映画の希望の光』と言われたのですが、今まで中心的な役割をいただくことが多かった自分自身のフィルモグラフィーの中で、やったことのない立ち位置だったので、挑戦だと思って希望の光になれるように頑張りました。出来上がった作品を見て、すごく豪華な共演者の方々と一緒に仕事ができて、かけがえのない一瞬を過ごせたなと思いました」。
人生で初めて丸刈り姿になり、体重も2週間で10キロ落とすなど、環境だけではなく自身のこともかなり追い込んだ役作りで挑んだ。
「ずっと昔からご一緒したいと思っていた瀬々監督。日本映画界の中心的存在でもあり、数々の名作を残している監督の作品に出演できることを聞いて、『日本映画界への扉がやっと開けた』という感覚でした。最初は名前から迫力があるので、自分の中では怖い監督というイメージだったのですが、いざ接してみると本当に人柄が素敵なんです。ただ、川でのシーンは瀬々監督の洗礼を受けた感じがしました(笑)。
これは多くの方にちゃんと、強く伝えたいのですが、見てくださった方々は『夏の日差しの中での気持ち良さそうなシーンだった』と感じるかもしれませんが…違います!瀬々監督のマジックとすべての役者さんの雰囲気作りのおかげでそういう風に見えているだけで、めちゃくちゃきつかったんです!本当に辛い環境下の中ずっとふんどし姿で、皮膚感覚は本当のシベリアにいるようでした。画面では伝わらないかも知れないけれど、記事の中で僕は強く伝えたい(笑)。本当に自分の映画人生の中で1、2位を争う辛いシーンになっています。
僕は器用ではなく不器用なタイプなので、何でも全力でやるしかなかったんです。それに20代もあと2年くらいなので、いろんな自分を見てもらいたいし、今を噛み締めて生きていきたいので、その時に出会った作品にちゃんと敬意を表したいなと思っています。なので、2週間で大胆に10キロも落としたし、人生で初めての丸刈りも覚悟を決めていたので全く怖くなかったです。むしろ鏡を見た時に『意外と丸刈り姿、イイじゃん!』と思ったし、丸刈りにしたスタジオに、三船敏郎さんの『酔いどれ天使』の大きなポスターがあって、感化されて全く同じポーズで写真を撮りました(笑)。なかなか良い2ショットだったので、いつかどこかで公開したいです!
あとは、人生で初めて日焼けサロンにも行きました。…もう痒くて!初めて日焼けサロンに行くと皮膚が痛むので、ものすごく痒くなるんです。今振り返ると、新谷を作り上げるまでに結構大変な時間があったなと思います。ちょうどドラマ『彼女はキレイだった』の撮影終わりにお話をいただいた作品だったので、『最近までかっこいい副編集長を演じていたのに、真逆じゃん!』と役者としての面白さを感じました」。
中島健人、二宮和也・松坂桃李らとの撮影合間
自身もラーゲリに身を置き、わずかな食糧で過酷な労働を強いられていたが、仲間想いの行動とその力強い信念で多くの抑留者たちの心に希望の火を灯した山本を、ジャニーズ事務所の先輩でもある二宮が演じる。「作品で先輩方と共演する機会がこれまで少なかったので、新鮮でした。二宮くんは、理論的に見えつつも感覚でお芝居をする方なので、あまりお芝居に関して理詰めして進行はしていなかったです。もちろんお芝居のお話もしましたけれど、僕のこれまでの背景を理解してくれている方でもあるので、お芝居よりも、ジャニーズの先輩・後輩として深いお話をさせていただきました。
僕にとって二宮くんをはじめ、(松坂)桃李さんも、キリケン(桐谷健太)さんも、ヤスケン(安田顕)さんも、どの役者さんも自分の中でずっと共演してみたいと思っていた方々だったんです。僕は作品の記憶が鮮明に残るタイプなので、皆さんが出演されていた作品についても熱が入ってしまって、感想をご本人にも語ってしまって…。でもその中で桃李さんとは一匹狼タイプ、趣味がカードゲームというところから共鳴し合って、お芝居のお話もしながら、いろんな共通の趣味の話をしました。最終的に桃李さんが無意識に『ケンティー』と呼んでくださった瞬間があって、その時は『報われた!』と思いました。
それからは、撮影外の時間にも一緒にいることが増えて、撮影終わりに『桃李さんの部屋に行ってもいいですか?』と桃李さんの部屋に行って、お芝居の話もしつつ、主にカードゲームのお話をずっと2人でしていて(笑)。こんな若僧を夜遅くまで自分の部屋に迎え入れてくださった桃李さんの懐の深さには感謝しています」。
松坂桃李&桐谷健太が“中島健人プロデュース”
名だたる俳優陣の中でも臆せず、自身の居場所を確立していくさすがの対応力。一方で、これまで自身でも気づかなかったことも、役者の先輩との関わりを経て新たに発見できたという。「撮影のスタンバイに時間がかかっていた時に、桃李くんと桐谷さんが僕の両サイドにいた時があったんです。2人とも先輩なので、僕に対していろんな意見を持ってくれていて、僕のようなパーソナリティの中身だと、いわゆる“振り切り”がすごく大切なのかもしれないとアドバイスを受けたのが印象的でした。
桃李さんが僕に対して『ケンティーは、バラエティのときは思いっきりセクシーに振り切った方が面白いんじゃない?それで、お芝居の時に新谷のような役をやれば、ギャップが出ると思うんだよね』とおっしゃって、そしたら桐谷さんも『俺もそう思うんだよ』と2人に“中島健人”をプロデュースされた時間があったんです。
僕はパブリックイメージ的に、バラエティでも作品でも“100%中島健人”と見えることが多いと思うのですが、僕はそこをこれまでも切り替えてやってきたつもりだったんです。でも、そこをあまり見えていなかったというのは、よっぽど自分の“個”が強かったのかなと感じたので、その“個”を裏切れるような深みのある役にこれからも出会いたいと一層強く思いました。今回演じた新谷健雄は、その第一歩ですね」。
中島健人“ジャニーズの多さ”に感化「ジャニーさんがヒントをくれた気も」
これまで“完璧アイドル”“キラキラ王子様”のイメージがそのまま投影された役柄が多かった中島だが、役者業への向き合い方に変化が訪れた2019年がターニングポイントに。ジャニーズ事務所社長・ジャニー喜多川さん(享年87)の「お別れの会」で感じたことも、現在の中島を確立したきっかけとなった。「25歳という節目でいろんな方が人生のことを考えるんじゃないかなと思うのですが、僕の中でも2019年の25歳がターニングポイントになっています。どちらかというと、これまでマルチにいろいろなことをやって来たのですが、特化型で、さらにはアンバランスにいきたいなと考えたんです。その方が自分の個性を磨くことができるし、強みを伸ばすことができるのではないかなと思いました。
2019年のジャニーさんの『お別れの会』の時に思ったのが、ジャニーズはものすごく人が多い。あの時は所属タレントが集まった時だったので、そこで『この中で1つのチャンスが来ても、僕には来ないよな』と感じて、数多くジャニーズがいる中で、自分で特化していかないといけないなと感じたんです。やっぱりジャニーさんがヒントをくれた気もしました。
その前にもいろいろと映画に出演させていただいていて、『心が叫びたがってるんだ。』、『未成年だけどコドモじゃない』、『ニセコイ』という、2017年~2018年の僕の中での“三部作”が印象的で、そこで作品に対しての触れ方、取り組み方みたいなものを学んだのですが、僕のパブリックイメージみたいなものがどうしても芝居にもついてきてしまうという状況だったと思うんです。その後の2019年は、映画作品に1つも携われなかった年でもあったので、どうにかしてそのイメージや状況を変えたかった。
特化型、アンバランスでいくことを意識することによって、より深みのある作品に挑戦できるタイミングが増えたので、2019年は今の自分の強みを見つけられた年になったと感じています」。
中島健人の強さ 決して捨てなかった信念
ラーゲリでの劣悪な環境により栄養失調で死に逝く者や自ら命を絶つ者、さらには日本人抑留者同士の諍いも絶えない中、山本は生きることへの希望を強く唱え続け、仲間たちを励まし続けた。中島も自らを鼓舞し、見事にパブリックイメージを払拭するような作品に携わることが増えているが、その中でも決して捨てなかった信念とは──。「いつでも前衛的な姿勢でいることです。正直、ネガティブな感情は芸術を作り出すこと以外では僕は必要ないと思います。ストレスや不自由な部分というのも、エネルギーにもなるんです。僕は、これまでそういう感情はすべてお芝居や作詞・作曲に使って、ずっとプラス思考やポジティブということでもないのですが、でも誰に対しても前衛的に、前のめりに生きてくということだけは忘れなかったです。
14歳でジャニーズ事務所に入った2008年の4月20日を皮切りに、自分の人生はいろんなことに挑戦して飛び込んでいく人生にしようと思っていたので、その精神は自分の中でずっと捨てなかったことですし、多分そういう部分をいろんな人が『自分にはない部分だ』と評価してくださっているのかなとも思います。
斎藤工さんが『ケンティーは本当にアウェイに強い人間』とおっしゃったのがすごく印象に残っているのですが、僕はアウェイに強いというより、刺激のあるアウェイが好きなのかも知れないです。そこで起きることが成功だったとしても、ハプニングが起きてしまったとしても、結局自分にとってはそれがエンターテイメントになるので、面白いと思っちゃうので、そういう場所であればあるほど燃えるのかもしれない」。
冒頭で感じた、中島が素直に自分の感情を言葉にできる理由はここにあるのではないか。受け取る側が勝手に感じてしまいがちな「時には隠したいであろう感情」は、中島にとって決してネガティブな感情ではない。“アウェイ”に強く、ハプニングですらもエンターテイメントにしてしまう心意気が軸にあるからこそ、辛く苦しい経験も“中島健人”を形成した1つと捉え、強みに変えていく。
中島健人の夢を叶える秘訣
そんな中島が思う、夢を叶える秘訣は「10年先まで自分の理想を明確化すること」。「今までだったら『念じること』と言うと思うのですが、自分の中の手札の1枚を明かすとすれば、10年先まで自分の理想を明確化して、10年プランで考えることが大事だと思います。逆算で生きていけば、そこにたどり着くまでにいろんなことがあったとしても、ブレずにゴールを目指すことができる。目標のない人生より、目標がある人生の方が良いと思うので、理想を明確化することで、夢が叶うスピードが早くなっていくんじゃないかなと思います」。
俳優業でも、グループ活動でも、今まさに中島が明確化していた理想が着実に叶っていることが目に見えるようにわかる。──“何者にもなれる俳優・中島健人”が、本格的に世界へと羽ばたく準備が整った。
インタビューこぼれ話
実は今回のインタビューで、モデルプレスとして初めて中島さんのインタビューカットを撮り下ろし。日頃からラジオなどを通して度々モデルプレスの名前を出してくださっていたことへの感謝を伝えると、しっかりと目を合わせながら優しくお話を聞いてくださったのがとても印象的でした。ほかの作品での撮影でイタリアから帰国したばかりだったということもあり、どことなく漂う色気…。以前よりも増したオーラを纏っていましたが、イタリアで主に嗜んでいたというワインやパスタの話をする時は、変わらぬチャーミングさものぞかせていて、インタビューでも話していたパブリックイメージとのギャップが、ふとした瞬間にも感じられる時間でした。(modelpress編集部)
中島健人(なかじま・けんと)プロフィール
1994年3月13日生まれ、東京都出身。2011年にSexy Zoneとして1stシングル「Sexy Zone」でCDデビュー。代表作にドラマ「生まれる。」(TBS系/2011)「BAD BOYS J」(日本テレビ系/2013)「黒服物語」(テレビ朝日系/2014)「未満警察 ミッドナイトランナー」(日本テレビ系/2020)「彼女はキレイだった」(2021/カンテレ・フジテレビ系)、映画「銀の匙 Silver Spoon」(2014)「黒崎くんの言いなりになんてならない」(2016)「心が叫びたがってるんだ。」(2017)「桜のような僕の恋人」(2022)など。
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