<女子アナの“素”っぴん/椿原慶子アナ>同期・加藤綾子アナが注目されて「焦りを感じたときもあった」ターニングポイント、夢を叶える秘訣…「フジテレビ×モデルプレス」女性アナウンサー連載
2018.03.16 17:00
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「フジテレビ×モデルプレス」女性アナウンサー連載『女子アナの“素”っぴん』―――― Vol.9~10は2008年入社の椿原慶子(つばきはら けいこ・32)アナウンサー。
「才色兼備」と呼ばれる彼女たちも1人の女性。テレビ画面から離れたところでは、失敗して泣いていたり、悔しくて眠れなかったり、自分の居場所に悩んでいたり…。それでも気持ちを落ち着かせて、どうしたら視聴者に楽しんでもらえるのか、不快感を与えないのか、きちんと物事を伝えられるのか、そんなことを考えながら必死に努力をしている。本連載ではテレビには映らない女性アナの“素”(=等身大の姿)を2本のインタビューで見せていく。前編はこれまでのアナウンサー人生を振り返りながらターニングポイントに迫るもの、後編は彼女たちが大切にする「5つの法則」をメイク・ファッション・体調管理といったキーワードから問う。
――――山中章子アナの後を引き継ぎ、5人目に登場するのは椿原アナ。※後編(Vol.10)は4月1日に配信予定。
椿原:入社3年目に夕方のニュースでスタジオでの進行を担当させていただいたのですが、1年で終わってしまったことがありました。
そもそも私は入社前から報道志望で、入社後は希望通り報道番組を担当させていただき、最初は現場で取材をするお仕事が多かったです。事件があると携帯電話が鳴って、すぐ現場に駆けつける、という本当に記者のようなお仕事を常にしていました。朝から晩まで、事件現場周辺のお宅を1軒ずつ訪ねて「この容疑者について知っていますか?」「被害者の方についてご存知ですか?」と質問して回ったりしていました。そうした地道な仕事が認められたのか、3年目に夕方のニュース番組でスタジオにつかせていただいたんです。そのときは「これまでの努力を番組のスタッフが認めてくれたのかな」と思い、嬉しかったですね。
しかし結局、スタジオを離れて、もう1度現場に戻ることになり、本当にショックで悔しくてつらくて…。「3年間ずっと下積みを続けてきた」という自負を強く持っていたのに、いざスタジオに入ると自分の力を発揮できなかったんです。周りのスタッフに聞いても「別に椿原が悪かったわけじゃない。かと言って椿原でこれからも続けたい、というのもない。“らしさ”が無かった」と言われて。今思えば、本当にその通りなのですが(苦笑い)。報道番組は原稿を読むことがメインなので、そこに個性を出すことは難しいと思うんです。その中で出すべき“自分らしさ”ってどういうことだろう、とすごく考えさせられた時期でした。
椿原:ありました。3人ですごく仲が良いんです。入社最終面接のときに加藤と榎並と初めて会ったのですが、その後内定のお電話をいただいた際に「他の同期は誰か分かる?」と聞かれ「男性は榎並くんで、女性は加藤さんですか?」と答えたら、本当に当たっていて!しかも榎並と加藤に人事の人が同じことを聞いたら、2人も同じように答えたそうで、お互いに縁を感じていたのかな、と。そこから一気に仲良くなりましたね。なので、つらいときには、ご飯に行ったり、泣きながら電話で話したり…。本当に支え合っていました。
― 同期の絆を感じます。加藤アナというと入社当時から注目を集めることも多かったと思うのですが、そこに悔しさや焦りはありましたか?
椿原:そうですね。同期として加藤の活躍は嬉しく誇らしかった一方で、焦りを感じたときもありました。加藤の目標は情報やバラエティ、私は報道、と目指すゴールが違うことは分かっていましたが、やはり「加藤は頑張っているね」と言われると、加藤が持っている力のすごさも分かっていた分、「私はこのまま地道に下積みを続けていて大丈夫なのかな」「スタジオで仕事ができる日はくるのかな」とキャリアに迷った時期もあって…。ただ、報道をやる上で下積みは大切、と信じていましたし「近道は絶対にない。きっとこの積み重ねた経験や苦しい思い、悩みも全部自分の力になるんだ」と自分に言い聞かせて、コツコツと自分のすべきことを重ねてきました。なので、羨ましさや悔しさというよりは、私も頑張らなきゃ、と刺激を受けていた感じです。
― 椿原さんはつらいことがあると、乗り越えるためにどんなことをしますか?
椿原:私は取材ノートをずっと書いているのですが、つらいときはそのノートを読み返すようにしています。ノートには頭の中や心の中を整理するために、毎日の反省だけでなく、迷った気持ちや悲しかったこと、モヤッとしたことなど全て記しているんです。それをたまに読み返すと「2年前はこんなにくだらないことで悩んでいたんだ」なんて思うこともあって(笑)。今はつらく感じていることも、きっと数年後に見たら些細なことに感じるんだろうな、とポジティブになれるんです。
椿原:現場の大切さを感じたのは、一緒に番組をやっていた安藤優子さんの言葉があったからだと思います。安藤さんが以前、私の中継や取材を見て「椿原は本当に現場が向いてる。現場の雰囲気や状況を把握して伝える力があるから、これから絶対に伸びるから、あなたは現場を大切になさい」と言ってくださったんです。それを聞いて、憧れの安藤さんがそう言ってくださるなら、それを信じて頑張ろう、と励まされました。
― 椿原さんが現場で心がけていることはなんですか?
椿原:どんなに小さな声でも拾うこと、そして取材させていただいた方への感謝の気持ちを忘れないことです。お時間を割いていただくことはもちろん、被害者の方は苦しい思いをしながら、それでもマイクに声を向けてくださっているので、感謝の気持ちや謙虚な姿勢を忘れてはいけないと思っています。
― 特に印象的だった現場取材を教えてください。
椿原:熊本地震の取材は、とても印象に残っていますし、このお仕事を続けていて良かったと思った出来事です。私は兵庫県出身で小学3年生の頃、阪神淡路大震災で被災しました。当時テレビを見ていて、小さいながらに、被災者の人に役立つ、そして寄り添う報道とはなんだろう、と考えることがあって。その後、アナウンサーの内定をいただいたときも、そのことを思い出し、報道を志望しました。
アナウンサーとして1番最初に行った被災地は東日本大震災。そのときは現場の悲惨さに大きな衝撃を受けましたし、地震が起きた直後に現地に入ったので、まさに救出活動が行われている中でマイクを向けなくてはいけなくて…。正直、自分がマイクを向けるよりも今ここで人を助けた方が良いのではないか、その方が人の為になるのではないか、と本気で考えました。避難所でも、心身ともに疲弊していらっしゃる方にマイクを向けるのはどうなんだろうか、自分がやっていることは本当に正しいのか、と大きな葛藤がありました。被災地で命と向き合うことの重み…「被災者に寄り添う取材がしたい」と思っていましたが、実際にはお話を聞くことしかできなかった自分の不甲斐なさも感じました。
― その経験を経て熊本地震の取材があったわけですね。
椿原:はい。そのような葛藤を抱えながらも、お仕事を続けている中で、2016年に熊本地震を取材することになりました。最初の揺れが起きた直後に現地に入ったので、夜中に起きた本震のときは、私も現地で寝ていたんです。阪神淡路大震災を思い出しましたし、私も被災者のような感覚になり、そのとき初めて被災者の心に寄り添えたような気がしました。なので何か不安な気持ちがあれば、それを解消したい、と心から思い、それはどうしたらできるのだろう、と考えながらの取材をするようになり、何かつらい中に光が差し込むようなことがあれば良いなと常に思っていました。
そんなとき、ある避難所で首から“子どもボランティア”と書いたメダルを下げた子どもたちが、ご高齢の方々に「何か困ってることはないですか?」「身体は疲れていないですか?肩をもみますよ」と声をかけたり、足腰が悪く炊き出しのご飯を取りに行けない方の代わりに運んだりしていたんです。その光景を見たとき、私は「温かくて素敵だな。ぜひ取材したい」と感じて、すぐにディレクターに伝えました。「椿原がそこまで言うなら」と本社の取材OKを取っていただき、後日、学校に名刺を持って向かいました。「子どもたちの姿を見て元気になる方もいらっしゃると思うから、ぜひ取材をさせてください」と校長先生に直談判をして。そうしたら先生方も快く取材を受けてくださいました。
そして無事に放送でき、そのオンエアを見た避難所の方々から「本当に力をもらいました」「つらい生活が続いていたけど、人の温かみや力強さを感じることができて本当に良かったです」という声をたくさんいただき、さらにそれを見て、他の避難所でも子どもたちがボランティアを始めたという話もありました。そういう輪が広がっていく様子を目の当たりにして、自分の視点で見つけたことが被災地にいらっしゃる方々の少しでも光となったことがとても嬉しかったですし、取材を通して自分でも役に立てることがある、と身を持って感じ、この仕事を続けていて良かったと思いました。また、現場で続けてきたからこそ、本社のスタッフも「椿原がそれだけ思うなら、やっていいよ」と任せてくださったのだと思うと、それも嬉しかったですね。
椿原:これまで取材に行くのは事件や事故、政治関係が多かったのですが、『THE NEWS α』では経済を扱うことが多くて…。経済は正直、まだまだ勉強不足なので課題だと思っています。新聞の経済面をじっくりと読んだり、本を読んだり、分からないことは正直に聞いたり、日々勉強です。
― やりがいはどういった部分に感じますか?
椿原:そのニュースを自分がどう感じたか、そして視聴者のみなさんに何を伝えるかを自分で考えて発信できることは、とても大きなやりがいです。ただ、それには自分の言葉に責任を持たなければいけませんし、プレッシャーに感じることも多いのですが(苦笑い)。ただ私、基本的に楽観主義なんです。なんでもポジティブに考えますし、つらいことも引きずらない。ニュースのスタジオを任されるようになってからまだ半年なので、足りないことだらけですが、自分らしいスタジオ回しを目指し、コメンテーターの強みや良さを引き出していきたいです。
椿原:まだ夢を叶えていないので、参考になるか分からないですが…。夢に届くまでには様々な苦労がありますが、それから逃げないこと。自分で正面からしっかり向き合い、ぶつかっていくことだと思います。あと、私はプランBを持たないことにしています。別の逃げ道を作らないようにしているんです。本当に諦めなくてはいけないギリギリのところまでプランBを想像しないし、作らない。自分の夢だけを考えて、遠回りでもいいから、地道に努力をするようにしています。
― ちなみに今の夢はなんですか?
椿原:できるだけ『FNNプライムニュース α』を長く続けること。ただ価値観や生活スタイルの変化と一緒で、そのときによって夢は変わるので、これからはまた別の夢も見つかるかもしれません。
― なるほど。ありがとうございます。
※後編は4月1日(日)配信予定。椿原アナが大切にする「5つの法則」を語る。
19時から報道センターで会議
23時40分からオンエア
25時頃、フジテレビを退社
(modelpress編集部)
<担当番組>
THE NEWS α(月~木)※4月から『FNNプライムニュース α』に番組名を変更
THE NEWS α Pick(月~木)※4月から『FNNプライムニュース α』に番組名を変更
Mr.サンデー(日)
出演アナウンサー:内田嶺衣奈、海老原優香、小澤陽子、久慈暁子、久代萌美、鈴木唯、竹内友佳、堤礼実、椿原慶子、永尾亜子、永島優美、新美有加、松村未央、三上真奈、三田友梨佳、宮澤智、宮司愛海、山崎夕貴、山中章子(五十音順)
仕様:A3変型判(縦425mm×横30mm)
発売日:2017年9月29日
――――山中章子アナの後を引き継ぎ、5人目に登場するのは椿原アナ。※後編(Vol.10)は4月1日に配信予定。
夜の報道番組の顔として活躍
椿原アナは2008年に入社、約半年後には人気番組『アナ★バン!』の初代おねえさんに起用された。その後は『みんなのニュース』や『FNNスーパーニュース』、『Mr.サンデー』などでキャスターを担当し、同局を代表する報道アナウンサーの1人に。昨年秋にスタートした『THE NEWS α』は、4月から『FNNプライムニュース α』に番組名を変更するが、変わらず月曜~木曜のメーンキャスターを務める。椿原アナのターニングポイント
― アナウンサーになって一番つらかったことから教えてください。椿原:入社3年目に夕方のニュースでスタジオでの進行を担当させていただいたのですが、1年で終わってしまったことがありました。
そもそも私は入社前から報道志望で、入社後は希望通り報道番組を担当させていただき、最初は現場で取材をするお仕事が多かったです。事件があると携帯電話が鳴って、すぐ現場に駆けつける、という本当に記者のようなお仕事を常にしていました。朝から晩まで、事件現場周辺のお宅を1軒ずつ訪ねて「この容疑者について知っていますか?」「被害者の方についてご存知ですか?」と質問して回ったりしていました。そうした地道な仕事が認められたのか、3年目に夕方のニュース番組でスタジオにつかせていただいたんです。そのときは「これまでの努力を番組のスタッフが認めてくれたのかな」と思い、嬉しかったですね。
しかし結局、スタジオを離れて、もう1度現場に戻ることになり、本当にショックで悔しくてつらくて…。「3年間ずっと下積みを続けてきた」という自負を強く持っていたのに、いざスタジオに入ると自分の力を発揮できなかったんです。周りのスタッフに聞いても「別に椿原が悪かったわけじゃない。かと言って椿原でこれからも続けたい、というのもない。“らしさ”が無かった」と言われて。今思えば、本当にその通りなのですが(苦笑い)。報道番組は原稿を読むことがメインなので、そこに個性を出すことは難しいと思うんです。その中で出すべき“自分らしさ”ってどういうことだろう、とすごく考えさせられた時期でした。
椿原アナ、同期・加藤綾子アナへの思い
― 椿原さんの同期には榎並大二郎アナと加藤綾子アナがいらっしゃいましたが、励まし合うようなことはありましたか?椿原:ありました。3人ですごく仲が良いんです。入社最終面接のときに加藤と榎並と初めて会ったのですが、その後内定のお電話をいただいた際に「他の同期は誰か分かる?」と聞かれ「男性は榎並くんで、女性は加藤さんですか?」と答えたら、本当に当たっていて!しかも榎並と加藤に人事の人が同じことを聞いたら、2人も同じように答えたそうで、お互いに縁を感じていたのかな、と。そこから一気に仲良くなりましたね。なので、つらいときには、ご飯に行ったり、泣きながら電話で話したり…。本当に支え合っていました。
― 同期の絆を感じます。加藤アナというと入社当時から注目を集めることも多かったと思うのですが、そこに悔しさや焦りはありましたか?
椿原:そうですね。同期として加藤の活躍は嬉しく誇らしかった一方で、焦りを感じたときもありました。加藤の目標は情報やバラエティ、私は報道、と目指すゴールが違うことは分かっていましたが、やはり「加藤は頑張っているね」と言われると、加藤が持っている力のすごさも分かっていた分、「私はこのまま地道に下積みを続けていて大丈夫なのかな」「スタジオで仕事ができる日はくるのかな」とキャリアに迷った時期もあって…。ただ、報道をやる上で下積みは大切、と信じていましたし「近道は絶対にない。きっとこの積み重ねた経験や苦しい思い、悩みも全部自分の力になるんだ」と自分に言い聞かせて、コツコツと自分のすべきことを重ねてきました。なので、羨ましさや悔しさというよりは、私も頑張らなきゃ、と刺激を受けていた感じです。
― 椿原さんはつらいことがあると、乗り越えるためにどんなことをしますか?
椿原:私は取材ノートをずっと書いているのですが、つらいときはそのノートを読み返すようにしています。ノートには頭の中や心の中を整理するために、毎日の反省だけでなく、迷った気持ちや悲しかったこと、モヤッとしたことなど全て記しているんです。それをたまに読み返すと「2年前はこんなにくだらないことで悩んでいたんだ」なんて思うこともあって(笑)。今はつらく感じていることも、きっと数年後に見たら些細なことに感じるんだろうな、とポジティブになれるんです。
椿原アナ、現場を大切にする理由
― では、今の椿原さんを作り上げる上で大きかった言葉や出来事はありますか?椿原:現場の大切さを感じたのは、一緒に番組をやっていた安藤優子さんの言葉があったからだと思います。安藤さんが以前、私の中継や取材を見て「椿原は本当に現場が向いてる。現場の雰囲気や状況を把握して伝える力があるから、これから絶対に伸びるから、あなたは現場を大切になさい」と言ってくださったんです。それを聞いて、憧れの安藤さんがそう言ってくださるなら、それを信じて頑張ろう、と励まされました。
― 椿原さんが現場で心がけていることはなんですか?
椿原:どんなに小さな声でも拾うこと、そして取材させていただいた方への感謝の気持ちを忘れないことです。お時間を割いていただくことはもちろん、被害者の方は苦しい思いをしながら、それでもマイクに声を向けてくださっているので、感謝の気持ちや謙虚な姿勢を忘れてはいけないと思っています。
― 特に印象的だった現場取材を教えてください。
椿原:熊本地震の取材は、とても印象に残っていますし、このお仕事を続けていて良かったと思った出来事です。私は兵庫県出身で小学3年生の頃、阪神淡路大震災で被災しました。当時テレビを見ていて、小さいながらに、被災者の人に役立つ、そして寄り添う報道とはなんだろう、と考えることがあって。その後、アナウンサーの内定をいただいたときも、そのことを思い出し、報道を志望しました。
アナウンサーとして1番最初に行った被災地は東日本大震災。そのときは現場の悲惨さに大きな衝撃を受けましたし、地震が起きた直後に現地に入ったので、まさに救出活動が行われている中でマイクを向けなくてはいけなくて…。正直、自分がマイクを向けるよりも今ここで人を助けた方が良いのではないか、その方が人の為になるのではないか、と本気で考えました。避難所でも、心身ともに疲弊していらっしゃる方にマイクを向けるのはどうなんだろうか、自分がやっていることは本当に正しいのか、と大きな葛藤がありました。被災地で命と向き合うことの重み…「被災者に寄り添う取材がしたい」と思っていましたが、実際にはお話を聞くことしかできなかった自分の不甲斐なさも感じました。
― その経験を経て熊本地震の取材があったわけですね。
椿原:はい。そのような葛藤を抱えながらも、お仕事を続けている中で、2016年に熊本地震を取材することになりました。最初の揺れが起きた直後に現地に入ったので、夜中に起きた本震のときは、私も現地で寝ていたんです。阪神淡路大震災を思い出しましたし、私も被災者のような感覚になり、そのとき初めて被災者の心に寄り添えたような気がしました。なので何か不安な気持ちがあれば、それを解消したい、と心から思い、それはどうしたらできるのだろう、と考えながらの取材をするようになり、何かつらい中に光が差し込むようなことがあれば良いなと常に思っていました。
そんなとき、ある避難所で首から“子どもボランティア”と書いたメダルを下げた子どもたちが、ご高齢の方々に「何か困ってることはないですか?」「身体は疲れていないですか?肩をもみますよ」と声をかけたり、足腰が悪く炊き出しのご飯を取りに行けない方の代わりに運んだりしていたんです。その光景を見たとき、私は「温かくて素敵だな。ぜひ取材したい」と感じて、すぐにディレクターに伝えました。「椿原がそこまで言うなら」と本社の取材OKを取っていただき、後日、学校に名刺を持って向かいました。「子どもたちの姿を見て元気になる方もいらっしゃると思うから、ぜひ取材をさせてください」と校長先生に直談判をして。そうしたら先生方も快く取材を受けてくださいました。
そして無事に放送でき、そのオンエアを見た避難所の方々から「本当に力をもらいました」「つらい生活が続いていたけど、人の温かみや力強さを感じることができて本当に良かったです」という声をたくさんいただき、さらにそれを見て、他の避難所でも子どもたちがボランティアを始めたという話もありました。そういう輪が広がっていく様子を目の当たりにして、自分の視点で見つけたことが被災地にいらっしゃる方々の少しでも光となったことがとても嬉しかったですし、取材を通して自分でも役に立てることがある、と身を持って感じ、この仕事を続けていて良かったと思いました。また、現場で続けてきたからこそ、本社のスタッフも「椿原がそれだけ思うなら、やっていいよ」と任せてくださったのだと思うと、それも嬉しかったですね。
椿原アナ『THE NEWS α』でメインキャスターに
― 素敵なお話ですね。ではここからは今後について、伺っていきます。情報番組『THE NEWS α』(月~木:23時40分~24時25分/金:24時10分~24時55分※4月から『FNNプライムニュース α』に番組名を変更)が始まって半年。順風満帆のように見えますが、今、何か悩みはありますか?椿原:これまで取材に行くのは事件や事故、政治関係が多かったのですが、『THE NEWS α』では経済を扱うことが多くて…。経済は正直、まだまだ勉強不足なので課題だと思っています。新聞の経済面をじっくりと読んだり、本を読んだり、分からないことは正直に聞いたり、日々勉強です。
― やりがいはどういった部分に感じますか?
椿原:そのニュースを自分がどう感じたか、そして視聴者のみなさんに何を伝えるかを自分で考えて発信できることは、とても大きなやりがいです。ただ、それには自分の言葉に責任を持たなければいけませんし、プレッシャーに感じることも多いのですが(苦笑い)。ただ私、基本的に楽観主義なんです。なんでもポジティブに考えますし、つらいことも引きずらない。ニュースのスタジオを任されるようになってからまだ半年なので、足りないことだらけですが、自分らしいスタジオ回しを目指し、コメンテーターの強みや良さを引き出していきたいです。
椿原アナの“夢を叶える秘訣”
― モデルプレス読者には夢を叶えたいと頑張っている女性がたくさんいます。椿原さん自身もまだ何かに向かって全力で走り続けているところだとは思いますが、これまで様々な経験をしてきた椿原さんが思う“夢を叶える秘訣”は何でしょうか?椿原:まだ夢を叶えていないので、参考になるか分からないですが…。夢に届くまでには様々な苦労がありますが、それから逃げないこと。自分で正面からしっかり向き合い、ぶつかっていくことだと思います。あと、私はプランBを持たないことにしています。別の逃げ道を作らないようにしているんです。本当に諦めなくてはいけないギリギリのところまでプランBを想像しないし、作らない。自分の夢だけを考えて、遠回りでもいいから、地道に努力をするようにしています。
― ちなみに今の夢はなんですか?
椿原:できるだけ『FNNプライムニュース α』を長く続けること。ただ価値観や生活スタイルの変化と一緒で、そのときによって夢は変わるので、これからはまた別の夢も見つかるかもしれません。
― なるほど。ありがとうございます。
※後編は4月1日(日)配信予定。椿原アナが大切にする「5つの法則」を語る。
椿原アナのとある一日
17時頃、フジテレビに出社19時から報道センターで会議
23時40分からオンエア
25時頃、フジテレビを退社
(modelpress編集部)
椿原慶子(つばきはら・けいこ)プロフィール
生年月日:1985年10月28日/出身地:兵庫県/出身大学:聖心女子大学/血液型:A型/入社年:2008年/趣味:旅行、ゴルフ、インテリアショップめぐり<担当番組>
THE NEWS α(月~木)※4月から『FNNプライムニュース α』に番組名を変更
THE NEWS α Pick(月~木)※4月から『FNNプライムニュース α』に番組名を変更
Mr.サンデー(日)
「フジテレビ女性アナウンサーカレンダー2018 Colorfuldays」概要
月ごとに「色」を設定した彩り豊かな作品。新美有加アナや若手男性アナたちが完全プロデュースし、普段見ることができない表情や衣装に身を包んだ19人の女性アナウンサーたちが登場する。出演アナウンサー:内田嶺衣奈、海老原優香、小澤陽子、久慈暁子、久代萌美、鈴木唯、竹内友佳、堤礼実、椿原慶子、永尾亜子、永島優美、新美有加、松村未央、三上真奈、三田友梨佳、宮澤智、宮司愛海、山崎夕貴、山中章子(五十音順)
仕様:A3変型判(縦425mm×横30mm)
発売日:2017年9月29日
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