【#キャバクラで働く理由】「このままだったら死ぬか殺すかどっちかだった」家庭を逃れ16歳で家出→事故で医師の夢断念 中洲・百瀬椎奈の壮絶人生
2025.07.26 19:00
福岡・中洲「BARCELONA桃李」に勤務する百瀬椎奈(ももせ・しいな)。偏差値70の成績で医学部を目指していたが、事故により脳に障害が残り医師への道を断たれた彼女。16歳で家出し、バイトを3つ掛け持ちしながら進学校に通った壮絶な過去を持つ。「天職だった」と語るキャバ嬢として働く理由と、環境に左右されない強い意志に迫った。
百瀬椎奈、事故に巻き込まれ「絶望」キャバ嬢としての扉開く
椎奈がキャバクラで働き始めたのは約1年前。「もともとお医者さんを目指していたんですが、事故に巻き込まれて、1週間意識不明になってから脳に障害が残ってしまって。すごく絶望したんですが、どうせならこれをきっかけに今までやらなかったことに挑戦したいと思って」と経緯を明かす。百瀬椎奈、16歳で家出「このままだったら死ぬか殺すかどっちかだった」
椎奈の人生は決して平坦ではなかった。「16歳から親と一緒に暮らしていないので、いろいろやりながら生きてきました」と振り返る。家庭環境から「このままだったら死ぬか殺すかどっちかだった」と感じ、高校1年生のときに30万円を貯めて家を出た後、通信制の高校に編入。「高校に行きながら1年間で30万円を貯めて、その30万円と少しの荷物だけを持って家を夜中に出ていったんです。バレないように」と当時を語る。下の兄弟たちのためにも「逃げる場所を用意してあげないと」という思いもあった。その後は時給800円のアルバイトを3つ掛け持ちし「平日5日間は仕事をして、土日は高校に行く生活」を送った。進学校に通いながらも「電車やバスにすら乗れないくらいお金がなくて、全部自転車で移動していました」という厳しい状況だった。
百瀬椎奈、音楽との出会いが転機に カメラマンとしても活躍
学生時代は「教室の隅っこでイヤホンをつけているような、めちゃくちゃオタクな学生」。音楽への興味は小学1年生のときにPerfumeを見たことから始まり、小学6年生でビル・エヴァンスに出会ったことでジャズドラムの道へ。「12歳のときにドラムを始めました。親からは『スポーツをやりなさい』と勧められたのですが、バレー部と書いた入部届を勝手に軽音楽部に書き直して」と笑顔で振り返る。ライブハウスでアルバイトをしながら全国ツアーにも同行し、そこでカメラと出会った。現在もカメラマンとして宣材写真やライブ写真、カップルフォトなどの撮影依頼を受けており「趣味なのであまりがっつりはやっていませんが、ありがたいことに依頼をいただいています」と語る。
百瀬椎奈、キャバクラとの出会いで人生が変化「天職だった」
ふさぎ込みがちな性格を変えたのもキャバ嬢という職業との出会い。「元々25キロ太っていて、自分に自信がないタイプでした。表に出るのも好きじゃなくて、『キャバクラで働いてみたいけど自分なんかがやれるわけない』という劣等感で避けていた」と当時の心境を明かす。しかし事故をきっかけに「チャレンジせずに終わるのも嫌だから1回はやってみよう」と決意。すると「めちゃくちゃ天職だった」という。「キャバクラに出会って人生が変わりました。もともと暗い性格で楽しく明るく生きるタイプではなかったんですが、めちゃくちゃ明るくなって、人生の中でやりたいことが見つかり始めました」と変化を実感している。
以前は2ヶ月ほどで店舗を転々としていたが、現在の店舗には1年近く在籍している。「向上心が強くて、とてつもない負けず嫌いなんです。『頑張りたい』という意思があるけど、環境が伴っていませんでした」と打ち明ける。バルセロナ中洲桃李との出会いは意外な出来事。「スカウトのDMがうるさかったので、文句を言いに行こうと思ったら、面接を担当していた店長の船津さんがすごく頭が良くて、『こんな人と働いたら絶対楽しいだろうな』と思って」。2時間の面接で将来のビジョンや人生について語り合い「その日に前の店を辞めてきました」という即断即決だった。
百瀬椎奈の夢を叶える秘訣
椎奈は、取材の中でASD(自閉スペクトラム症)であることを初めて公表した。ASDは発達障害の一つで、社会的コミュニケーションの困難さや限定的な興味・反復的な行動などの特性がある。「私自身ASDであるということに負い目や引け目を感じて生きてきて、コミュニケーションの困難さや、こだわりの強さにコンプレックスがあったのですが、この職業で活躍していくなかで、『この特性と共に生きていこう』とキャバ嬢という仕事を通して前向きに生きていけるようになったんです」。同じASDを抱えて生きる人々への想いを胸に、自分の経験が誰かの勇気となることを願って、その思いを言葉にした。最後に読者に向けた夢を叶える秘訣を問うと「環境のせいにしないことですね。いろんなことを嘆いている間は難しいと思います。環境を変えることも大事ですが、その環境を言い訳にしている間は無理だと思います。全ては自分の努力次第です」と力強くメッセージを送ってくれた。
医師を目指していた椎奈が選んだキャバ嬢という道。16歳からの壮絶な独立生活、音楽やカメラへの情熱も見せる真面目で多才な一面。そして今回初めて公表したASDという特性と向き合いながらも、この職業を通して前向きに生きることを見つけた彼女。「環境のせいにしない」という言葉には、どんな困難な状況でも自分の力で道を切り開き、輝く場所を見つけてきた経験の重みが込められている。同じ境遇にある人々にとって、彼女の存在そのものが希望の光となるだろう。(modelpress編集部)
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