ディーン・フジオカ、香港での危なっかしい俳優デビュー回顧「サバイバルライフだったので」
2023.08.28 15:21
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ミュージシャンで俳優のディーン・フジオカが28日、都内で行われた新CM発表会に出席。香港での俳優デビュー時を回顧した。
ディーン・フジオカ、香港での俳優デビュー回顧
ディーンは、俳優とミュージシャンとして活躍する秘訣についてトークを展開。まず、デビュー時の写真がスクリーンに写し出され、2005年の香港での俳優デビュー、2013年の日本でのミュージシャンデビューを振り返ってのコメントを求められると「この頃に保険があったらって感じですよ。保険なんてないサバイバルライフだったので、いま思うと本当に危なっかしかったですね」と回顧。俳優デビュー時の危なっかしい思い出を聞かれると「ありすぎて…(笑)」と苦笑しつつ、「餅屋は餅屋ですよね。保険商品を探しているなら保険屋さんに行きますよね。芸能のお仕事を探しているんだったら、芸能事務所であったり、今はSNSを通して直にお話が来るのかもしれないですけど、自分の場合は道が整えられていた状態ではなかったので、結果いろいろやった中で俳優の仕事がぎりぎりスレスレで社会との接点を持つきっかけとして成立したというのが香港との出会いだったので。フィルムメイキングというものに触れて、自分はこれが好きなんだと。演技をするという部署においていろんな国、いろんな言語で仕事をする機会をいただいて、それを通じて自分個人とそれぞれの国の社会との接点を持たせてもらえて日本にたどり着いたみたいなところがあるので、安心安全ではなかったですよね(笑)。あとはご想像にお任せします」と語った。
ディーン・フジオカ、日本デビュー時語る
加えて、日本でミュージシャンデビューした際の思い出については「楽曲自体はだいぶ先に出来ていたんですけど、当時、台北とジャカルタを行き来する生活をしていて、日本で仕事をしてみないかとお声がけいただいて、日本での最初の仕事が何故か映画監督をやったんですよ」と告白。「出演もして、お金もないプロジェクトだったので最終的に自分が作ったデモがそのまま主題歌になるというなし崩し的にミュージシャンとしてデビューみたいな形になったんですけど、音楽がずっと好きで志して、看板を掲げてプロのミュージシャンとして音楽を創り、人の前でそれを発表するって決めてはいたので、ありがたいことに映像の仕事をやることによって、シングルデビューみたいな形で自己紹介の曲をリリースできたという経緯ですね」と説明した。
ディーン・フジオカ、チャレンジしたいこと
また、次にチャレンジしたいことについては「たくさん曲を作りたいですね。自分が今まで仕事をしたことがない国のアーティストの方とフューチャリングしたり、今はデータでやり取りできるので、物理的に地球の裏側だったとしても繋がっていける時代なので、フットワーク軽くいろんな楽曲を作っていきたいなと思いますね」とコメント。忙しい日々を送る中で健康でいられる秘訣を聞かれたディーンは「朝にまず白湯を飲む」とコメントして笑わせ、「よくスキンケアってするじゃないですか。でも人間の体ってチューブみたいになっているから内側のスキンケアも必要かなと思ってやっていたりして、自分が小麦に入っているグルテンアレルギーなので、自分の体にとって毒性のものは入れないようにして、安全で美味しい食生活を続けるということが誰しも大事なのかなと思いますね」と答えた。
ディーン・フジオカ、今後の目標
これからの目標については「自分が成長し続けられたら良いなと思っていて、もちろんいろんな成長の方向性があると思うんですけど、やったことのないことをやるとか、できないことをやるとか、それが1番自分の成長につながるかなと思うので、具体的に言うと、この前、野外フェスで熱中症でたくさん倒れられた方がいるというニュースがありましたけど、野外フェスって出たことないなと思って、ミュージシャンとして野外フェスに出てみたいなと思いますね。塩飴を舐めて熱中症対策をして」と目を輝かせた。ディーン・フジオカの夏の思い出
イベント後の代表質問にも応じたディーンは、この夏の思い出を聞かれると「初めて屋形船に乗って花火を見ました」と打ち明け、「日本の下町文化というか、花火はすごく美しいなと思いましたし、夜の屋形船で揺られながら見る花火というのはすごく特別なものだなと思いました」と声を弾ませた。(modelpress編集部)
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