“元NO.1キャバ嬢”椎名美月、いじめ乗り越えた過去「人生には必ず波がある」辛い時期支えた考え方とは<モデルプレスインタビュー>
2022.01.31 20:00
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元すすきのNO.1キャバクラ嬢で、現在は会社を経営しながら雑誌「姉ageha」「PECHE」でも活躍する、椎名美月(しいな・みづき)。モデルプレスでは、彼女に大きな影響を与えたという学生時代の経験や、思春期の頃の悩みについて聞いた。
北海道札幌市の繁華街”すすきの”元NO.1キャバクラ嬢の椎名。18歳でキャバクラ嬢になり、3ヶ月でNO.1に上り詰めるも、半年後、結婚により退店。
出産・離婚を経験し、シングルマザーとして20歳でキャバクラに復帰後、すすきのNO.1キャバクラ嬢を決める「ミスナイツグランプリ」を受賞。北海道最大手グループ「BARCELONA GROUP」でも最高売上を記録したり、最年少で4年連続ナンバーワンになったりと、多くの功績を残した。
その後、雑誌「姉ageha」の専属モデルや、関西コレクションにも出演。 2019年、人気絶頂の中キャバクラ嬢を引退し、2020年には初著書「自分を信じる力」を出版。現在は「ビューティースリム専門店MEILLI(メイリー)」を札幌と表参道の2店舗で経営する社長として活躍している。
経営者からモデルまで幅広く活躍する椎名の学生時代とは?
椎名:学生の頃はあまり目立つタイプではなくて、クラスの明るいグループにはいるけど自らは発言しないような、大人しい子でした。でも、小学3年生から6年生まで続けていたミニバスケットボールではキャプテンをやっていたので、積極的に行動したり、周りを引っ張ろうという意思はすごくあったと思います。
― 学生時代はスポーツに熱中されていたんですね。
椎名:はい。小学生の頃は個人でフィギュアスケートも習っていたので、毎日スポーツ三昧でした。習い事がない放課後や休日は友達と公園で秘密基地を作ったりして遊んでいたので、子どもらいしい生活もそれなりにできていたのかなと思います(笑)。
― 現在の椎名さんはすごくストイックというイメージがありますが、当時から何事にも厳しく取り組んでいたのでしょうか?
椎名:そうですね。特にミニバスではキャプテンだったこともあり、ミスをしたときには「時間内に取り返せる可能性があるんだから、落ち込んでいるだけじゃなくて今努力しなさい」「自分の失敗は自分で取り返せ」といった言葉を先生から言われることも多かったんです。
当時は少し厳しいと感じることもありましたが、先生にかけてもらった言葉は今でも辛いときに思い出すし、頑張った記憶がモチベーションになることもあって…。とても大切な経験をさせていただいたなと思います。
― 小学生時代の経験が、椎名さんの基盤を作ったのですね。以前のインタビューで「昔は芸能界に興味がなかった」といったお話をされていましたが、小学生時代に抱いていた夢は何かありましたか?
椎名;私は中学生くらいまで具体的な夢がなくて、ぼんやりと「人を支える仕事がしたいから、看護師さんとかが向いているのかな」と考えるくらいでした。高校も「制服が可愛いから」という理由で進学したくらいで(笑)。
― そうだったんですね。高校生になってやりたいことは出てきましたか?
椎名:高校生になってから美容に興味が出てきて「美容で人を喜ばせることができたら嬉しいな」と思い、エステの専門学校に進学しようと考えていました。振り返ってみるとやりたいことはないと言いつつ、常に自分の中に「人を笑顔にさせる仕事がしたい」という気持ちがあったんだと思います。
椎名:たくさんあります。私は小・中・高とちょっとずついじめられていた期間があったので、人間関係の悩みは特に尽きなくて…。
いじめも何かきっかけがあったわけではなく、クラスの中で次々と変わっていくターゲットの中の1人だったので短期間で終わるのですが、それでも当時は辛かったと思います。私のターンが終わると友達が仲良くしてくれたりするのも、不思議な感覚でしたね。
― 辛い時期の支えになっていたことはありますか?
椎名:私は昔からクラスの明るい子から大人しい子まで幅広い人と仲が良かったので、いじめられたからといって1人になることは少なかったんです。友達が0になることはなかったので、抱え込みすぎずにいられたことも大きいのかなと思います。
― 誰かに相談できる環境はとても大切ですね。
椎名:そうですね。あとは、「何事も時間が解決してくれる」という考えがあったことも良かったのかもしれません。当時から自分を客観的に見たり、視野を広くしたりする意識があったので、比較的前向きでいられたんです。
だから、もし今が辛いと感じている方がいるとしたら、“人生には必ず波がある”ことを頭に置いて「今は苦しくても必ず楽しい時期が来る。今は耐えしのぐ時期というだけだ」と前向きに考えながら、乗り越えて欲しいなと思います!
― 貴重なお話ありがとうございました。
(modelpress編集部)
PHOTO:TOYO
出身地:北海道
2021年4月より、インフルエンサー専門のサブスク型プレミアムファンクラブコミュニティプラットフォーム「COVERJU(カバージュ) by Mi-glamu(カバージュ)」でファンクラブ「しいなごと」を開設。限定写真や動画、様々な特典を展開している。
出産・離婚を経験し、シングルマザーとして20歳でキャバクラに復帰後、すすきのNO.1キャバクラ嬢を決める「ミスナイツグランプリ」を受賞。北海道最大手グループ「BARCELONA GROUP」でも最高売上を記録したり、最年少で4年連続ナンバーワンになったりと、多くの功績を残した。
その後、雑誌「姉ageha」の専属モデルや、関西コレクションにも出演。 2019年、人気絶頂の中キャバクラ嬢を引退し、2020年には初著書「自分を信じる力」を出版。現在は「ビューティースリム専門店MEILLI(メイリー)」を札幌と表参道の2店舗で経営する社長として活躍している。
経営者からモデルまで幅広く活躍する椎名の学生時代とは?
椎名美月、学生時代は「ミニバスケットとフィギュアスケート」に熱中
― 椎名さんの学生時代について教えてください。椎名:学生の頃はあまり目立つタイプではなくて、クラスの明るいグループにはいるけど自らは発言しないような、大人しい子でした。でも、小学3年生から6年生まで続けていたミニバスケットボールではキャプテンをやっていたので、積極的に行動したり、周りを引っ張ろうという意思はすごくあったと思います。
― 学生時代はスポーツに熱中されていたんですね。
椎名:はい。小学生の頃は個人でフィギュアスケートも習っていたので、毎日スポーツ三昧でした。習い事がない放課後や休日は友達と公園で秘密基地を作ったりして遊んでいたので、子どもらいしい生活もそれなりにできていたのかなと思います(笑)。
― 現在の椎名さんはすごくストイックというイメージがありますが、当時から何事にも厳しく取り組んでいたのでしょうか?
椎名:そうですね。特にミニバスではキャプテンだったこともあり、ミスをしたときには「時間内に取り返せる可能性があるんだから、落ち込んでいるだけじゃなくて今努力しなさい」「自分の失敗は自分で取り返せ」といった言葉を先生から言われることも多かったんです。
当時は少し厳しいと感じることもありましたが、先生にかけてもらった言葉は今でも辛いときに思い出すし、頑張った記憶がモチベーションになることもあって…。とても大切な経験をさせていただいたなと思います。
― 小学生時代の経験が、椎名さんの基盤を作ったのですね。以前のインタビューで「昔は芸能界に興味がなかった」といったお話をされていましたが、小学生時代に抱いていた夢は何かありましたか?
椎名;私は中学生くらいまで具体的な夢がなくて、ぼんやりと「人を支える仕事がしたいから、看護師さんとかが向いているのかな」と考えるくらいでした。高校も「制服が可愛いから」という理由で進学したくらいで(笑)。
― そうだったんですね。高校生になってやりたいことは出てきましたか?
椎名:高校生になってから美容に興味が出てきて「美容で人を喜ばせることができたら嬉しいな」と思い、エステの専門学校に進学しようと考えていました。振り返ってみるとやりたいことはないと言いつつ、常に自分の中に「人を笑顔にさせる仕事がしたい」という気持ちがあったんだと思います。
椎名美月、いじめ乗り越えた過去明かす
― 思春期は些細なことで悩んだり、落ち込んだりすることが多い時期でもあります。椎名さんは、当時人間関係などで悩んだことはありましたか?
椎名:たくさんあります。私は小・中・高とちょっとずついじめられていた期間があったので、人間関係の悩みは特に尽きなくて…。
いじめも何かきっかけがあったわけではなく、クラスの中で次々と変わっていくターゲットの中の1人だったので短期間で終わるのですが、それでも当時は辛かったと思います。私のターンが終わると友達が仲良くしてくれたりするのも、不思議な感覚でしたね。
― 辛い時期の支えになっていたことはありますか?
椎名:私は昔からクラスの明るい子から大人しい子まで幅広い人と仲が良かったので、いじめられたからといって1人になることは少なかったんです。友達が0になることはなかったので、抱え込みすぎずにいられたことも大きいのかなと思います。
― 誰かに相談できる環境はとても大切ですね。
椎名:そうですね。あとは、「何事も時間が解決してくれる」という考えがあったことも良かったのかもしれません。当時から自分を客観的に見たり、視野を広くしたりする意識があったので、比較的前向きでいられたんです。
だから、もし今が辛いと感じている方がいるとしたら、“人生には必ず波がある”ことを頭に置いて「今は苦しくても必ず楽しい時期が来る。今は耐えしのぐ時期というだけだ」と前向きに考えながら、乗り越えて欲しいなと思います!
― 貴重なお話ありがとうございました。
(modelpress編集部)
PHOTO:TOYO
椎名美月(しいな・みづき)プロフィール
生年月日:9 月 30 日出身地:北海道
2021年4月より、インフルエンサー専門のサブスク型プレミアムファンクラブコミュニティプラットフォーム「COVERJU(カバージュ) by Mi-glamu(カバージュ)」でファンクラブ「しいなごと」を開設。限定写真や動画、様々な特典を展開している。
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