山本KID徳郁さん、死去
2018.09.18 13:02
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がん闘病中であることを発表していた格闘家の山本KID徳郁(41)さんが18日に亡くなった。同日、所属するジムの公式Twitterにて発表された。
所属するジムの公式Twitterでは、「山本KID徳郁(享年41歳6ヶ月)が、本日9月18日に逝去致しました。生前に応援、ご支援をして頂きました関係各位、ファンの皆様に本人に変わり御礼申しげます」と報告。
「尚、山本家、家族、友人への取材等はご遠慮頂き、ご配慮頂けますようお願い申し上げます」と呼びかけている。
KIDさんは先月26日、自身のインスタグラムを通じて、「私事で急なご報告となりますが、私山本KID徳郁はガン治療のために頑張っています」と公表していた。
・レスリングから総合格闘技へ
高校時代に単身で米国へレスリング修行し、三度アリゾナ州の王者に。 大学では日本に帰国し、全日本学生レスリング選手権大会優勝(フリースタイル58kg級)など数々の実績を残した。
シドニーオリンピック出場を目指していたが、1999年の全日本レスリング選手権大会(同級)で敗戦し準優勝。オリンピックの夢が絶たれた。
同時期にレスリング選手の姉・山本美憂の当時の夫であった格闘家エンセン井上に師事して総合格闘技に転向。姉から総合格闘技のビデオを見せられたのがきっかけになったという。
2000年に第7回全日本アマチュア修斗選手権大会ライト級(65kg級)で優勝。翌2001年にプロデビューし修斗で世界ライト級ランク2位の座を獲得した。
・山本KID徳郁さん、K-1参戦・視聴率新記録… 国民的なスター格闘家へ
2004年2月24日、K-1初参戦となった「K-1 WORLD MAX 2004 〜日本代表決定トーナメント〜」では、そのやんちゃなキャラクターとカリスマ的存在感、ファッショナブルで甘いマスクというビジュアルだけでなく、スピード、パワー、テクニック共に圧倒的な強さを見せ、一気に国民的スターに。
2004年12月31日大晦日の「K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!」では、レスリング出身で体重の軽いKIDが、人気絶頂のキックボクサー魔裟斗とK-1ルールで対戦。惜しくも判定負けするが、日本の格闘技ブームを牽引する二人の歴史的な試合として今も語り継がれている。
テレビ放送は、NHK紅白歌合戦の放送と同時間帯であったにも関わらず視聴率20.1%を記録。TBSの紅白歌合戦裏番組としては新記録達成となった。
2005年もKO勝ちを連発。当時、人気、実力ともにレベルが高かった宇野薫、須藤元気らに勝利し、スター格闘家としての地位を不動のものとした。
2006年、スポーツブランド「リーボック」とのパートナー契約を締結。また同年、総合格闘技を一時休止。北京オリンピック・レスリング予選へ挑戦するも2007年に右肘を脱臼。故障が完治せず北京オリンピックを断念。
・山本KID徳郁さん、DREAM参戦
2008年には、総合格闘技DREAMに参戦するが、練習中に右膝前十字靭帯を断裂、左手首骨折による手術・療養で戦績は振るわなかった。
・山本KID徳郁さん、UFC参戦
2011年、「またベルトをもらって、日本のファンに恩返ししたい」という気持ちから、世界最大の格闘技団体・米国UFCに参戦。しかし、度重なる怪我と頚椎ヘルニアを患い、予定試合の欠場が相次いだ。2016年までの戦績は4戦3敗(1試合は無効試合)。
・山本KID徳郁さん、魔裟斗と11年ぶりに再戦
2015年、東日本大震災チャリティーイベント「NIPPON FIGHT」において同年に現役復帰を果たした魔裟斗と11年ぶりに再戦。2ラウンドに左フックでダウンを奪われ、0-3の判定で敗戦となった。
・山本KID徳郁さん、総合格闘技ジムKRAZY BEE設立
また2008年より、大田区馬込にスポーツジムYSA(ヤマモトスポーツアカデミー)、総合格闘技ジムKRAZY BEEを設立。2017年からはKRAZY BEE糸満、KRAZY BEE越谷もスタートしている。
2012年、五反田駅の線路上に意識不明で倒れていた老人を救出したことがニュースとなり、その勇気が話題となった。
・山本KID徳郁さん、格闘一家・家族との絆
KIDさんは、レスリング日本代表だった山本郁榮の息子で、姉・山本美憂、妹・山本聖子はレスリング選手権を制覇している。美優は現在、総合格闘技RIZINに出場中。
KIDさんは大学生の頃、母親が亡くなり告別式の3日後の大学選手権に出場して優勝を果たしている。妹の聖子はKIDについて「どん底にいた家族を救っていつも盛り上げてくれる凄い存在です」と語ったという。
2005年には、モデル・MALIA.と結婚し、男児と女児をもうけるも2009年に離婚。2014年に一般女性と再婚し、子供をもうけている。(modelpress編集部)
「尚、山本家、家族、友人への取材等はご遠慮頂き、ご配慮頂けますようお願い申し上げます」と呼びかけている。
KIDさんは先月26日、自身のインスタグラムを通じて、「私事で急なご報告となりますが、私山本KID徳郁はガン治療のために頑張っています」と公表していた。
山本KID徳郁(やまもと“キッド”のりふみ)さん、これまでの歩み
総合格闘家。1977年3月15日生まれ、神奈川県川崎市出身。ニックネームは「神の子」。・レスリングから総合格闘技へ
高校時代に単身で米国へレスリング修行し、三度アリゾナ州の王者に。 大学では日本に帰国し、全日本学生レスリング選手権大会優勝(フリースタイル58kg級)など数々の実績を残した。
シドニーオリンピック出場を目指していたが、1999年の全日本レスリング選手権大会(同級)で敗戦し準優勝。オリンピックの夢が絶たれた。
同時期にレスリング選手の姉・山本美憂の当時の夫であった格闘家エンセン井上に師事して総合格闘技に転向。姉から総合格闘技のビデオを見せられたのがきっかけになったという。
2000年に第7回全日本アマチュア修斗選手権大会ライト級(65kg級)で優勝。翌2001年にプロデビューし修斗で世界ライト級ランク2位の座を獲得した。
・山本KID徳郁さん、K-1参戦・視聴率新記録… 国民的なスター格闘家へ
2004年2月24日、K-1初参戦となった「K-1 WORLD MAX 2004 〜日本代表決定トーナメント〜」では、そのやんちゃなキャラクターとカリスマ的存在感、ファッショナブルで甘いマスクというビジュアルだけでなく、スピード、パワー、テクニック共に圧倒的な強さを見せ、一気に国民的スターに。
2004年12月31日大晦日の「K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!」では、レスリング出身で体重の軽いKIDが、人気絶頂のキックボクサー魔裟斗とK-1ルールで対戦。惜しくも判定負けするが、日本の格闘技ブームを牽引する二人の歴史的な試合として今も語り継がれている。
テレビ放送は、NHK紅白歌合戦の放送と同時間帯であったにも関わらず視聴率20.1%を記録。TBSの紅白歌合戦裏番組としては新記録達成となった。
2005年もKO勝ちを連発。当時、人気、実力ともにレベルが高かった宇野薫、須藤元気らに勝利し、スター格闘家としての地位を不動のものとした。
2006年、スポーツブランド「リーボック」とのパートナー契約を締結。また同年、総合格闘技を一時休止。北京オリンピック・レスリング予選へ挑戦するも2007年に右肘を脱臼。故障が完治せず北京オリンピックを断念。
・山本KID徳郁さん、DREAM参戦
2008年には、総合格闘技DREAMに参戦するが、練習中に右膝前十字靭帯を断裂、左手首骨折による手術・療養で戦績は振るわなかった。
・山本KID徳郁さん、UFC参戦
2011年、「またベルトをもらって、日本のファンに恩返ししたい」という気持ちから、世界最大の格闘技団体・米国UFCに参戦。しかし、度重なる怪我と頚椎ヘルニアを患い、予定試合の欠場が相次いだ。2016年までの戦績は4戦3敗(1試合は無効試合)。
・山本KID徳郁さん、魔裟斗と11年ぶりに再戦
2015年、東日本大震災チャリティーイベント「NIPPON FIGHT」において同年に現役復帰を果たした魔裟斗と11年ぶりに再戦。2ラウンドに左フックでダウンを奪われ、0-3の判定で敗戦となった。
・山本KID徳郁さん、総合格闘技ジムKRAZY BEE設立
また2008年より、大田区馬込にスポーツジムYSA(ヤマモトスポーツアカデミー)、総合格闘技ジムKRAZY BEEを設立。2017年からはKRAZY BEE糸満、KRAZY BEE越谷もスタートしている。
2012年、五反田駅の線路上に意識不明で倒れていた老人を救出したことがニュースとなり、その勇気が話題となった。
・山本KID徳郁さん、格闘一家・家族との絆
KIDさんは、レスリング日本代表だった山本郁榮の息子で、姉・山本美憂、妹・山本聖子はレスリング選手権を制覇している。美優は現在、総合格闘技RIZINに出場中。
KIDさんは大学生の頃、母親が亡くなり告別式の3日後の大学選手権に出場して優勝を果たしている。妹の聖子はKIDについて「どん底にいた家族を救っていつも盛り上げてくれる凄い存在です」と語ったという。
2005年には、モデル・MALIA.と結婚し、男児と女児をもうけるも2009年に離婚。2014年に一般女性と再婚し、子供をもうけている。(modelpress編集部)
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