川島なお美さん、生前の日記を初公開 本音・闘病生活の全貌が明らかに
2015.11.26 11:36
今年9月24日、胆管がんのため、54歳で死去した女優の川島なお美さんの生前の日記が初公開される。
川島さんの素顔に迫る特別番組「独占!初公開!直筆日記と死の直前秘蔵映像!女優・川島なお美物語~余命宣告 闘病全記録~」(仮)が、フジテレビ系にて12月24日よる7時より放送。今回、夫・鎧塚俊彦氏の協力のもと、亡くなる直前まで出演する予定だったミュージカル「パルレ~洗濯~」の通し稽古の様子など、秘蔵映像を初公開する。
さらに、夫も知らなかった写真を丁寧に仕分けしたアルバム、夫のためにわかりやすくスケジュールを書き込んだカレンダー、夫が忘れ物をしないように書き残した直筆メモも。川島さんの思いがあふれる空間で、2年に及ぶ壮絶な闘病生活の全貌を支え続けた鎧塚氏が初めて語る。
また、闘病については二人で常に相談して判断していたとのこと。「なぜ抗がん剤治療を受けなかったのか?」という問いに「妻は、“川島なお美らしく生きたい”と考えており、そのためにどうするかを夫婦で話し合って決めました。女房の一貫した物の考え方というのはブレずに最後亡くなるまでそれを貫き通したなと思っています。結果的に見て手術は(がんが)見つかってから半年ぐらい手術しなかったわけです。そこに関して妻は一切その判断が間違っていたという考え方を持っていなかったです」と話した。そして、2014年1月の最初の手術の時に腹腔鏡手術を選択したことについては「人間の体というのは、楽器のようなものなので、ベンツ切開することによって変化してしまうと考えておりました」などと語っている。
その他、女子大生アイドルとして歌手デビューしてから、女優としての活躍を続ける中、運命の人・鎧塚氏との出会い、夫に対して見せた献身的な姿、闘病生活など、人生の全記録を追う。また、両親、ゆかりのある人たちのインタビューを敢行。最期まで思い切り“自分らしいシナリオの人生”を生き抜いた姿を探っていく。
さらに、番組では川島さんが生前大好きだったという軽井沢の別荘を鎧塚氏とともに訪問。亡くなった9月24日の翌25日に友人たちを招待する予定だったようで、鎧塚氏も驚くほど、家はきれいに掃除されており、すでにクリスマスの準備も進められていた。この夫婦の思い出の地で、鎧塚氏が川島と最後に交わしたLINEのやりとりを初公開する。そこには、川島が初めて見せた病への不安や恐怖の言葉がつづられていた。突然の舞台降板から、入院、そして死の間際、鎧塚氏にだけ見せた衝撃的な最後の様子が初めて明らかとなる。
編成企画の情野誠人氏は川島さんについて「夫の鎧塚俊彦氏をはじめ関係各所の方々に取材させていただくと、病を抱えながら決して弱音を吐かず、ブレることなく人生を全うした川島なお美さんの生き方は、皆さん口をそろえて“カッコイイ生き方だった”と言います。また亡くなる直前まで鎧塚氏とやりとりしていたLINEのメッセージやお手紙を見せていただくと、夫婦の強い絆と愛を感じました」と印象を語り、「この番組を通して、今まで我々が知らなかった真実の川島さんの素顔をお見せできればと思います。また、彼女は亡くなる1週間前まで舞台に立っていました。“生涯女優”を全うした川島さんは、病で選択を迫られた時も判断の基準は“女優として生きるためにはどちらが良いのか?”ということだったようです。なぜそこまで“女優でいる”ことにこだわったのか、またそれをブレずに全うできる彼女の強さの源にも迫ります」と見どころを語った。(modelpress編集部)
生前の日記を初公開 そこにつづられていた言葉とは
番組では、川島さんが安らげる場所、“素顔”の川島さんに一番戻れる場所である自宅を、鎧塚氏に案内してもらう。そこで、彼女の死後初めて発見された、直筆の闘病日記を独占初公開する。「生きることへの執着」、「がん」への思いなど、その日記には、夫・鎧塚氏にさえ決して語ることのなかった川島さんの本音や、遺言のような言葉がつづられていた。さらに、夫も知らなかった写真を丁寧に仕分けしたアルバム、夫のためにわかりやすくスケジュールを書き込んだカレンダー、夫が忘れ物をしないように書き残した直筆メモも。川島さんの思いがあふれる空間で、2年に及ぶ壮絶な闘病生活の全貌を支え続けた鎧塚氏が初めて語る。
けんかもよくした夫婦生活と闘病生活への思い
二人は、お互いを尊敬し合い、愛情あふれる夫婦だったとのことだが、けんかもよくしたという。それについて鎧塚氏は「けんかして僕が出ていくこともありました。妻は“年に1度のお祭り”みたいに言っていましたが。1度けんかして僕が妻の電話を取らなかったら、(女優の)倍賞(千恵子)さんから電話がかかってきて“俊さぁ、なお美ちゃん心配しているよ。電話に出てあげなきゃダメよ”と言われたことがありました」と明かした。また、闘病については二人で常に相談して判断していたとのこと。「なぜ抗がん剤治療を受けなかったのか?」という問いに「妻は、“川島なお美らしく生きたい”と考えており、そのためにどうするかを夫婦で話し合って決めました。女房の一貫した物の考え方というのはブレずに最後亡くなるまでそれを貫き通したなと思っています。結果的に見て手術は(がんが)見つかってから半年ぐらい手術しなかったわけです。そこに関して妻は一切その判断が間違っていたという考え方を持っていなかったです」と話した。そして、2014年1月の最初の手術の時に腹腔鏡手術を選択したことについては「人間の体というのは、楽器のようなものなので、ベンツ切開することによって変化してしまうと考えておりました」などと語っている。
その他、女子大生アイドルとして歌手デビューしてから、女優としての活躍を続ける中、運命の人・鎧塚氏との出会い、夫に対して見せた献身的な姿、闘病生活など、人生の全記録を追う。また、両親、ゆかりのある人たちのインタビューを敢行。最期まで思い切り“自分らしいシナリオの人生”を生き抜いた姿を探っていく。
最後のLINE
さらに、番組では川島さんが生前大好きだったという軽井沢の別荘を鎧塚氏とともに訪問。亡くなった9月24日の翌25日に友人たちを招待する予定だったようで、鎧塚氏も驚くほど、家はきれいに掃除されており、すでにクリスマスの準備も進められていた。この夫婦の思い出の地で、鎧塚氏が川島と最後に交わしたLINEのやりとりを初公開する。そこには、川島が初めて見せた病への不安や恐怖の言葉がつづられていた。突然の舞台降板から、入院、そして死の間際、鎧塚氏にだけ見せた衝撃的な最後の様子が初めて明らかとなる。
編成企画の情野誠人氏は川島さんについて「夫の鎧塚俊彦氏をはじめ関係各所の方々に取材させていただくと、病を抱えながら決して弱音を吐かず、ブレることなく人生を全うした川島なお美さんの生き方は、皆さん口をそろえて“カッコイイ生き方だった”と言います。また亡くなる直前まで鎧塚氏とやりとりしていたLINEのメッセージやお手紙を見せていただくと、夫婦の強い絆と愛を感じました」と印象を語り、「この番組を通して、今まで我々が知らなかった真実の川島さんの素顔をお見せできればと思います。また、彼女は亡くなる1週間前まで舞台に立っていました。“生涯女優”を全うした川島さんは、病で選択を迫られた時も判断の基準は“女優として生きるためにはどちらが良いのか?”ということだったようです。なぜそこまで“女優でいる”ことにこだわったのか、またそれをブレずに全うできる彼女の強さの源にも迫ります」と見どころを語った。(modelpress編集部)
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