ダレノガレ明美、毒舌キャラに隠された“禁断の過去”とは?6年間秘めた胸の内明かす
2015.04.09 13:37
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モデルでタレントのダレノガレ明美が、“禁断の過去”を明かした。
8日放送のバラエティ番組「おじゃMAP!!2時間SP 親の顔が見てみたい!話題のハーフ芸能人SP」(フジテレビ系/19:00~20:54)に出演。これまでメディアなどで話題となっていた両親の姿が、ついにテレビ初公開となった。
ダレノガレは、日本とブラジルのハーフの父と、イタリア出身の母のもとで誕生。しかし1歳の頃に来日してすぐ両親は離婚、3歳の頃から、母が再婚した日本人の父との間で育てられた。
姉に子供が産まれてから、関心の目を向けられなくなってしまったダレノガレは「今までずっと一緒だったのに、私、捨てられたんだなと思っちゃって」と当時の心境を語る。そして小学校4年生ながらに髪の毛が抜け落ち、円形脱毛症に。カツラを被って生活していたが「自分の甘え」が原因だと気づき、以降明るく振る舞うことを心掛け中学校3年生で完治したという。
その他、学費以外のものは全て自己負担するためアルバイトを掛け持ちしていたことや、21歳での失恋を機に「見返してやろう」と決意して芸能界入りしたエピソードなどを披露すると、同番組でMCを務めるSMAP・香取慎吾は「急に現れて『イェーイ!』って言ってるんじゃないんだね」と感心の様子だった。
その後、父とは口が利けなくなり置き手紙で謝罪したようだが「言ったあとすごく後悔した」と語るダレノガレ。「ここまで来れたのは、お父さんのおかげ。お父さんがいなかったら、きっとお母さんも私も、お姉ちゃんもお兄ちゃんも日本にいなかったと思うし、こうやって普通に生活もできてなかったと思う」と神妙な面持ちで話しながら、「こんな娘ですけど、あの時あんなこと言ってすみませんでした。本当はすごい大好きだし、もっともっと親孝行できるように頑張るので、温かく見守ってください」と6年間胸の内に秘めていた思いを伝えた。
“毒舌キャラ”で活躍しているダレノガレに対し、父からは「やりたいようにやったらいい。明美がどうなろうといつでも家はあるわけだから、帰ってくればいい。(自分たちは)後ろで構えて、最後の砦。明美だったら何をやっても大丈夫だと思ってます」と温かい言葉が寄せられた。(modelpress編集部)
ダレノガレは、日本とブラジルのハーフの父と、イタリア出身の母のもとで誕生。しかし1歳の頃に来日してすぐ両親は離婚、3歳の頃から、母が再婚した日本人の父との間で育てられた。
姉に子供が産まれてから、関心の目を向けられなくなってしまったダレノガレは「今までずっと一緒だったのに、私、捨てられたんだなと思っちゃって」と当時の心境を語る。そして小学校4年生ながらに髪の毛が抜け落ち、円形脱毛症に。カツラを被って生活していたが「自分の甘え」が原因だと気づき、以降明るく振る舞うことを心掛け中学校3年生で完治したという。
その他、学費以外のものは全て自己負担するためアルバイトを掛け持ちしていたことや、21歳での失恋を機に「見返してやろう」と決意して芸能界入りしたエピソードなどを披露すると、同番組でMCを務めるSMAP・香取慎吾は「急に現れて『イェーイ!』って言ってるんじゃないんだね」と感心の様子だった。
血の繋がらない父に暴言… 6年間秘めた胸の内を明かす
あまり反抗期がなかったというダレノガレだが、18歳の頃、帰宅時間が遅かったことがきっかけで母と口論になり「私のことなんて、産まなきゃ良かったじゃん!」と暴言。それを見兼ねた父からお叱りを受けると、さらにダレノガレは「本当のお父さんじゃないのに引っ込んでてよ!」と言葉を放ったという。その後、父とは口が利けなくなり置き手紙で謝罪したようだが「言ったあとすごく後悔した」と語るダレノガレ。「ここまで来れたのは、お父さんのおかげ。お父さんがいなかったら、きっとお母さんも私も、お姉ちゃんもお兄ちゃんも日本にいなかったと思うし、こうやって普通に生活もできてなかったと思う」と神妙な面持ちで話しながら、「こんな娘ですけど、あの時あんなこと言ってすみませんでした。本当はすごい大好きだし、もっともっと親孝行できるように頑張るので、温かく見守ってください」と6年間胸の内に秘めていた思いを伝えた。
“毒舌キャラ”で活躍しているダレノガレに対し、父からは「やりたいようにやったらいい。明美がどうなろうといつでも家はあるわけだから、帰ってくればいい。(自分たちは)後ろで構えて、最後の砦。明美だったら何をやっても大丈夫だと思ってます」と温かい言葉が寄せられた。(modelpress編集部)
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