宇多田ヒカル、母・藤圭子さんの訃報にコメント 心境と真実を明かす
2013.08.26 13:06
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歌手の藤圭子さん(享年62)が22日に亡くなったことを受け、娘で歌手の宇多田ヒカル(30)が初めてコメントを発表した。
宇多田は26日、自身のオフィシャルサイトにて「8月22日の朝、私の母は自ら命を絶ちました」と死の真相を告白。「様々な憶測が飛び交っているようなので、少しここでお話をさせてください」と前置きし、「彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました」「症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました」と藤圭子さんが抱えていた苦悩を明かした。
また自ら命を絶ったことについては、「母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです」と悲痛な思いを吐露。
「誤解されることの多い彼女でしたが…とても怖がりのくせに鼻っ柱が強く、正義感にあふれ、笑うことが大好きで、頭の回転が早くて、子供のように衝動的で危うく、おっちょこちょいで放っておけない、誰よりもかわいらしい人でした。悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です」と振り返り、「母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです」と母への想いを綴った。
最後には、「沢山の暖かいお言葉を頂き、多くの人に支えられていることを実感しています。ありがとうございました」とメッセージを送っている。
藤圭子さんは1969年9月に「新宿の女」でデビュー。 1970年4月にリリースした「圭子の夢は夜ひらく」などのヒット曲で知られている。22日午前に新宿の自宅マンションから飛び降り自殺した。(モデルプレス)
■宇多田ヒカル コメント全文
8月22日の朝、私の母は自ら命を絶ちました。
様々な憶測が飛び交っているようなので、少しここでお話をさせてください。
彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました。その性質上、本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました。
幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました。私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした。
母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです。
誤解されることの多い彼女でしたが… とても怖がりのくせに鼻っ柱が強く、正義感にあふれ、笑うことが大好きで、頭の回転が早くて、子供のように衝動的で危うく、おっちょこちょいで放っておけない、誰よりもかわいらしい人でした。悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です。
母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
沢山の暖かいお言葉を頂き、多くの人に支えられていることを実感しています。ありがとうございました。
25年8月26日
宇多田ヒカル
また自ら命を絶ったことについては、「母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです」と悲痛な思いを吐露。
「誤解されることの多い彼女でしたが…とても怖がりのくせに鼻っ柱が強く、正義感にあふれ、笑うことが大好きで、頭の回転が早くて、子供のように衝動的で危うく、おっちょこちょいで放っておけない、誰よりもかわいらしい人でした。悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です」と振り返り、「母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです」と母への想いを綴った。
最後には、「沢山の暖かいお言葉を頂き、多くの人に支えられていることを実感しています。ありがとうございました」とメッセージを送っている。
藤圭子さんは1969年9月に「新宿の女」でデビュー。 1970年4月にリリースした「圭子の夢は夜ひらく」などのヒット曲で知られている。22日午前に新宿の自宅マンションから飛び降り自殺した。(モデルプレス)
■宇多田ヒカル コメント全文
8月22日の朝、私の母は自ら命を絶ちました。
様々な憶測が飛び交っているようなので、少しここでお話をさせてください。
彼女はとても長い間、精神の病に苦しめられていました。その性質上、本人の意志で治療を受けることは非常に難しく、家族としてどうしたらいいのか、何が彼女のために一番良いのか、ずっと悩んでいました。
幼い頃から、母の病気が進行していくのを見ていました。症状の悪化とともに、家族も含め人間に対する不信感は増す一方で、現実と妄想の区別が曖昧になり、彼女は自身の感情や行動のコントロールを失っていきました。私はただ翻弄されるばかりで、何も出来ませんでした。
母が長年の苦しみから解放されたことを願う反面、彼女の最後の行為は、あまりに悲しく、後悔の念が募るばかりです。
誤解されることの多い彼女でしたが… とても怖がりのくせに鼻っ柱が強く、正義感にあふれ、笑うことが大好きで、頭の回転が早くて、子供のように衝動的で危うく、おっちょこちょいで放っておけない、誰よりもかわいらしい人でした。悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です。
母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
沢山の暖かいお言葉を頂き、多くの人に支えられていることを実感しています。ありがとうございました。
25年8月26日
宇多田ヒカル
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