堂本光一(どうもとこういち)

誕生日:
1979年1月1日
星座:
やぎ座
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堂本光一のプロフィール

堂本 光一(どうもと こういち)
1979年1月1日
歌手 DOMOTOのメンバー
兵庫県出身
血液型はB型
堂本剛と同姓だが、血縁関係はない。

生い立ち
1979年、堂本家の長男として誕生。体重2900gで、逆子であった。名前の由来は、「"なんでもいちばんになれるように"という願いを込めた。」「父親の一字をもらった」「1月1日の朝6時頃産まれたから、光る一番で」などいろいろあるらしく、本人もはっきりとわかっていない。3つ上に姉がいる。
出生当時の自宅は長野県松本市だったが、間もなく父親に転勤の辞令が出て千葉県に引っ越す。1982年、千葉県船橋市にある西船幼稚園に入園するが、すぐに再び転勤で兵庫の社宅に引っ越したため、芦屋市立朝日ヶ丘幼稚園に転入。1985年、芦屋市立朝日ヶ丘小学校に入学し、1991年、芦屋市立山手中学校に進んだ。芸能生活も多忙になってきた1994年、高校に入学。単位制&通信制の学校で5年かかったが無事に卒業。卒業式の日は仕事だったため別の日に校長室で1人で卒業式が行われた。

ジャニーズ事務所入所
小学校6年生の時、少年隊ファンの姉が勝手に郵送した履歴書がジャニーズ事務所の社長ジャニー喜多川の目にとまり、直接電話で当時神戸で行われていた光GENJIのコンサートに招待される。それまでも姉の影響で『PLAYZONE'89 Again』や『PLAYZONE'90 MASK』などのミュージカルは観ていたものの、本人は特に興味が無かった。しかしこのコンサートを観ているうちに「かっこええな、やってみようかな」と思い始め、12歳の時に再び光GENJIのコンサートを横浜アリーナで鑑賞したその場で事務所入りを決める。母親がこの時、社長にたった一言「よろしくお願いします」と言って頭を下げた姿を忘れられないと本人はインタビューで話している。
その1991年5月5日に横浜アリーナで初めて出会い、同じように事務所入りを決めた堂本剛とともに、平日は中学校に通いながら週末は新幹線で東京にある事務所のレッスンに通う日々をしばらく続ける。中学3年生の時に転校し、上京。今度は合宿所と仕事場の往復となる。ちなみにこの頃合宿所に住んでいたのは剛と長瀬智也、井ノ原快彦とあと1人くらいだったが、同じ仕事と境遇で価値観が合う本当の仲間ができたことが何より嬉しかったという。当時ジャニーズJr.と呼ばれる人間は10人程しかおらず、踊りのレッスンには常に全員が出ているような状況。レッスンはハードであったが、勉強より踊ることがとにかく楽しく、合宿所に帰ってからも鏡の前で何度も復習をした。
光GENJIのコンサートで初舞台を踏み、その後も主に光GENJIやSMAPのバックダンサーとして踊り続けた。当初から同じ苗字であった剛と2人揃って活動することが多く、「W堂本」「KANZAI BOYA(カンサイボーヤ)」などの呼び名を経て1993年4月4日、『キスした?SMAP』にて初めて「Kinki Kids」というグループ名が発表された。
その後のKinKi Kidsとしての活動についてはKinKi Kids#経歴参照

ドラマ・映画
1992年に公開された映画『200X年・翔』で俳優デビュー。テレビドラマ初出演は『ドラマシティー'93「愛よ、眠らないで」』で中居正広が出演する作品であったが、共演のシーンは無かった。
1994年、百数十人が受けたというオーディションで事務所の意向ではなく実力で「影山留加」役を射止め、『人間・失格~たとえばぼくが死んだら』に出演が決定(剛は「大場誠」役)。愛するがゆえに誠をいじめてしまう役を熱演した。ドラマはその内容から衝撃の問題作と言われるも高視聴率を記録し、2人は一気に全国区となる。その後、同じく当時社会現象となっていた『家なき子』の劇場版とテレビドラマの続編『家なき子2』で両方において主役であった安達祐実の相手役を務め、1996年、『銀狼怪奇ファイル~二つの頭脳を持つ少年~』でテレビドラマ初主演。その後も数々の映像作品に出演し、二枚目から三枚目まで様々な役を演じたが、本人は、『人間・失格~たとえばぼくが死んだら』の頃に世間での認知度が高まったものの、一般の人に「あ、頭の中にハエがいるへんな子」と言われるようになったことが印象深く、ドラマの影響力は大きいと感じたと話している。
2002年、『リモート』の氷室光三郎役で第35回ザテレビジョンドラマアカデミー賞助演男優賞&第6回日刊スポーツ・ドラマグランプリ助演男優賞を受賞。2008年、『銀幕版 スシ王子! ~ニューヨークへ行く~』で映画単独初主演を果たし、この時は役名の米寿司名義で主題歌も担当した。

バラエティ番組・司会
先輩の番組のアシスタントとしてのバラエティ出演を経てKinKi Kidsとしてメインで出演&司会を務めるが、1999年あたりから番組やイベントなどで次第に単独で司会を務めることが多くなる。音楽、討論、教育、F-1などジャンルは様々。タッキー&翼のCDデビュー特番『徹子&光一の生部屋』(2002年9月11日放送)の司会も黒柳徹子と務めた。また、『堂本兄弟』やジャニーズカウントダウンライブなど、KinKi Kidsとして司会を務めている時でも、実質進行役となりトークを回す役目は光一が担うことが多い。「普段はベラベラとしゃべるタイプではなく人の目を見て話すのも苦手だが、"司会"という役割を与えられるとそれが普通にできる」「剛は話を広げるのは上手だがまとめるのは苦手」などそれぞれの特性を生かした結果、自然にこの形に落ち着いた。『LOVE LOVEあいしてる』から『堂本兄弟』に変わった時も、今までと逆に剛を進行役にしようと試みたが、お互い居心地が悪くて戻したという経緯がある。
あまり話すのが得意でないゲストなら自分が率先してくだけて空気を緩め、芸人がゲストなら独自の笑いの世界を壊さないためにあまり立ち入らないようにするなど、臨機応変に自分の立ち位置を変えるという司会スタイルをとる。また、『LOVE LOVEあいしてる』や『堂本兄弟』などで長く付き合いのあるきくち伸プロデューサーは、「光一はプロデューサーとして特化してきた」「収録後に"この座り位置だとゲストが話しにくい"など意見してくれたり、彼は出演者というよりは完全にスタッフ」「ゲストを招いての番組のトークでも本番に強いタイプ。しかも努力している姿を見せない…機を織っているところを人には見せないけれど、いつの間にか織り上げている鶴みたいな人」と、番組作りから積極的に関わっていると話している。他にも、『ポップジャム』で仕事をしたNHK芸能番組部チーフディレクターの筒井健は「台本を渡すとこちらが説明する前にサッと目を通し、"ここは、こうやんないとダメなんちゃう?"、"(台本で抜けているたった30秒に対して)ここで僕はなにをやるの?"って、聞いてくる」「ステージングの解釈は、プロ中のプロ」、『ジェネジャン』など討論番組で関わった山口香代プロデューサーも「打ち合わせの段階から自分の意見をしっかり言っている」「うまく発言者を立てながらほかの人に話を振る技量がある」と話すなど、スタッフの間でも高く評価されている。
日本テレビ系バラエティー『Gyu!と抱きしめたい!』『KinKi KidsのGyu!』『ピカイチ』の3番組内で続けて放送されていた「資格ゲッター☆ピカイチ」というコーナーでは毎回様々な資格の取得に挑戦し、最終的には20種類もの資格を取得した。取得後全ては管理しきれず期限切れや失効したものも多数あるが、1級小型船舶操縦士とこのコーナーを始めるきっかけで目標でもあった国内A級ライセンスに関しては意識して更新を続けている。

舞台
事務所に入所しようと思ったきっかけの大きなものとして実はミュージカルへの憧れがあり、15歳の時、『人間・失格~たとえばぼくが死んだら~』のビデオ特典インタビューで将来の夢を聞かれた時には、「歌も踊りも芝居も全て入っているミュージカルをやりたい」と答えていた。1993年、SMAPの舞台『ANOTHER』で舞台デビュー。1997年『kyotokyo』を経て、1999年『MASK』で初主演。
2000年、『MILLENNIUM SHOCK』で帝国劇場最年少座長(当時21歳)に抜擢され、東山紀之、赤坂晃(元光GENJI)、今井翼(当時ジャニーズJr.)ら歌と踊りに秀でたカルテット("ジャニーズ四天王"や"アンダルシアユニット"とも呼ばれた)とカンパニーで1か月38公演に挑み、無事に成功させる。チケット約7万枚に対し、抽選方式では80万通の応募が殺到、対面方式で販売されたものは15分で即時完売、競争率は11.4倍を記録した。また、海外メディアを含め取材陣は70社200人を超えるなど注目度も高く、帝国劇場89年の歴史上初めてづくしの結果となった。帝国劇場は2011年には1年のうち7か月をジャニーズ事務所所属タレントの舞台が占めることもあるくらい関わりが深い劇場となったが、2000年の当初は由緒正しい劇場ということでジャニーズ事務所の進出には実は厳しい意見もとても多かったと光一は当時を振り返っている。しかしこの反響の大きさに是非シリーズ化してほしいという東宝側からの申し入れがあり、これ以降『SHOCK』シリーズは光一主演で毎年続いていくことになる。
2004年の『Shocking SHOCK』を終えた後、「もっとストーリーを重視した作品に進化させたい」と光一が提案し、ジャニー喜多川からも「光一の思うSHOCKというものを作ってみてもいいんじゃない?」とGOサインが出たため、一から台本が作り直され大幅にストーリーや構成が変更される。名前も『Endless SHOCK』へと変わり、光一が脚本・演出・音楽全てにおいて全面参加、2005年より新生SHOCKがスタートした。2008年4月、その『Endless SHOCK』が第33回「菊田一夫演劇大賞」を受賞。高い舞台成果に対しスタッフ・出演者一同に贈られたものだったが、会見で光一は「全員の力でいただくことが出来た。とにかくひとつになることを大切にしてきた。スタッフ、キャストが一つになって作り上げてきたこの舞台で、このような賞がいただけて本当に嬉しい。」と語った。2011年3月1日、帝国劇場が100周年を迎えた日も『Endless SHOCK』が公演中であった。記念すべき日にステージに立っていることについて「本当に『SHOCK』で良かったんですかね?」と恐縮しながらも「人生の3分の1を帝劇に関わらせていただいて、人格を形成してくれた場所といっても過言ではない。本当におめでとうございます」と祝福の言葉を述べた。2013年3月21日、『SHOCK』シリーズは公演回数1000回を達成。初演から12年5か月での達成で、同一演目に単独主演の舞台としては国内演劇史上最速となる。
長いSHOCKの歴史の中では、様々な怪我やトラブルも経験している。シリーズの初演となる2000年の『MILLENNIUM SHOCK』の公演中に太股の筋肉断裂、2002年6月『ショー劇・SHOCK』の初日には右足首の靭帯損傷という怪我を負った。両公演ともサポーターや添え木をして1か月の公演を演じ終えたが、「足を運んで下さったお客様とスタッフ、キャストへの申し訳ない思いと、動けない自分への悔しさと、全力で届けなければならないという思いで一杯だった」という気持ちから、「自分の不注意から怪我をして、全力のショーをお見せできず、申し訳ありません」と初日のカーテンコールで涙を流した。後のインタビューで「怪我をしてしまった日に東宝さんから“足を怪我していても他に魅せ方はいくらでもあると思いますよ。”と言われたことが救われたし、力になった」と語っている。当時は明かしていなかったが、2004年2月、リハーサル中フライングの着地に失敗し頭から落ちて1週間程入院し、その間病院から帝劇に通ったり、2006年には急性胃腸炎を患いながらステージに立ったこともある。これらのこともあり、今では公演中、験担ぎではないがもし舞台で何か起こった時に自分に逃げ場を作らないため、公演開始前の起床→劇場入り→食事→ストレッチ&ウォーミングアップ→お風呂→メイクアップ→ステージに立つというルーティーン作業を決して崩さないようにしている。ちなみに2008年に舞台機構の故障による中止→振替、2011年の東日本大震災による中止、2015年の可動式LEDパネル負傷事故による中止は経験したものの、自らの体調不良や怪我を理由に公演を中止にしたことは一度も無い。
シリーズを貫く不変のテーマとして"Show Must Go On"(何があってもショーは続けなければならない)の精神があり、これはジャニーズ事務所の携帯サイト「Johnny's web」での光一の連載のタイトルにもなっている。
『SHOCK』シリーズは2000年の初演から2016年まで17年連続で毎年上演され、いまや光一のライフワークとなっている。初演から10年を超えてもチケットが即日完売する盛況ぶりは「日本一チケットが取りにくい舞台」としても名高い。天井の高さやセリ、ステージ幅の問題などから長く帝国劇場でしか上演されてこなかったが、劇場を改修したうえで2012年に福岡の博多座で初の地方公演を実現させ、2013年には地元関西の梅田芸術劇場にも進出した。2016年3月14日の帝国劇場での公演で1400公演を迎え、通算動員数は250万人を超える。

ソロコンサート・演出・映像編集
デビュー前から歌番組やKinKi Kidsのコンサートでソロを披露する時はダンスナンバーがほとんどであった。近藤真彦、東山紀之らが踊ってきたソロナンバー「アンダルシアに憧れて」を引き継ぎ、KinKi Kids合作曲「愛のかたまり」にもソロで披露する時には踊りをつけた。『ポップジャム』では司会でありながら、2001年9月1日の放送からは「堂本光一SUPER STAGE」というコーナーが設けられ、マイケル・ジャクソンの「LITTLE SUSIE」「2 BAD」やStray Catsの「ROCK THIS TOWN」など毎週のようにダンスで披露した。
初ソロコンサートはソロCDデビューよりも早く、2004年の春。2年越しの構想の末、構成や演出全てを光一自身が手掛けて実現した[10]。それまでの集大成的な内容で、エンターテイナーの光一らしい“魅せるステージ”となったが、「1/2」というタイトルに込めた"KinKi Kidsは2人"という意味の通り、KinKi Kidsや相方の剛の楽曲を披露したり、自らが頼んで剛に書いてもらった『大丈夫』というタイトルの数行にわたるメッセージをモニターに流したりと、まだグループのうちの1人であることを意識した内容であった。しかし2006年に行われた2回目のソロツアーではKinKi Kidsの曲は封印され、1stソロアルバム『mirror』の楽曲を中心に、披露された19曲のうち18曲が自身が作曲した楽曲で構成されるという完全な堂本光一ソロワールドで展開された。以降のツアーも全て光一自身が構成・演出・総合プロデュースを担当し、ダンスや照明を含めたすべての細かい打ち合わせから携わっている。ジャニーズ事務所にはコンサートの構成を考える専門のスタッフが存在しないため、「15歳の頃から自分で考えるのが普通だったし、みんなそうしてきた」「逆に、自分の音楽性を自分より理解している人間はいないのに、他人が構成を考えるという感覚が理解できない」と本人は話している。コンサートでは主に、普段は聴こえることのない音や間を目でも楽しんでもらえるように音楽を視覚化することや、9割は自分がやりたいことをやるが残りはファンが喜ぶ演出を入れることなどを心掛け、ダンスが好きな光一らしく、グループの時よりも踊りを重視した構成となっている。ステージの演出では照明が最も重要であるというこだわりをもっており、PIGIやドットイメージなど当時の最新鋭の照明・投影機材を海外から輸入していち早く取り入れている。光による演出が難しく、天候や時間で左右されてしまう屋外の公演はあまり好きではなく、ソロコンサートは一度も野外では行われていない。
MCに関しては当初、剛がいないことで戸惑いを見せたり、苦手だからいっそのこと無くそうかといった趣旨の発言をしていたが、近年はドSな王子キャラ、持ち上げては落とし突き放した挙句に抱き寄せるようなツンデレトーク、憎まれ口や毒舌(ただしフォローは欠かさない)などが定番となり、本編のパフォーマンスとはまた違ったギャップの激しい一面がみられる。
各コンサートの詳細は「コンサート・イベント」を参照
これらをソフト化したコンサートDVDやプロモーションビデオなど、すべての映像作品においても細かく制作や編集に携わっている。ただし、「裏側を見せてもお客さんの反応が変わる必要はないし、(作り手の苦労は)関係ない」「それより出したものを素直に受け取ってほしい」というように元々制作過程や舞台裏を見せるのが好きではなく、「次のステップに進んでいるにも関わらずまた過去を振り返るのが嫌」という理由で『Document of Endless SHOCK 2012 -明日の舞台へ-』には関わっていない。元々モノ作りに関してはかなりマニアックで、すべてに関して人任せにはせずに、細部までこだわって作らないと気がすまず、そんな姿を自ら「オタクの世界ですね(笑)」と認めている。

シングル
堂本光一名義
2006年7月12日 Deep in your heart/+MILLION but -LOVE
2009年7月29日 妖 ~あやかし~

米寿司名義
2008年4月30日 No more

DVDシングル
2015年6月10日 INTERACTIONAL/SHOW ME UR MONSTER

アルバム
2006年9月13日 mirror
2010年9月1日 BPM
2012年10月3日 Gravity
2015年7月8日 Spiral

サウンドトラック
2006年1月11日 KOICHI DOMOTO Endless SHOCK Original Sound Track

映像作品
2002年6月19日 KOICHI DOHMOTO SHOCK DIGEST
2003年1月16日 Koichi Domoto SHOCK
2004年10月14日 KOICHI DOMOTO LIVE TOUR 2004 1/2
2006年2月15日 Endless SHOCK
2007年5月16日 KOICHI DOMOTO CONCERT TOUR 2006 mirror~The Music Mirrors My Feeling~
2008年10月29日 Endless SHOCK 2008
2011年3月9日 KOICHI DOMOTO CONCERT TOUR 2010 BPM
2012年10月3日 BD BD総合:8位[143]
2013年2月6日 Document of Endless SHOCK 2012 -明日の舞台へ- 制作の裏側を見せるドキュメンタリーであるため、映像作品の中で唯一光一が編集に携わっていない。
2013年7月3日 BD
2013年7月3日 KOICHI DOMOTO Concert Tour 2012“Gravity”
2014年2月5日 BD BD総合:9位
2013年9月18日 Endless SHOCK 2012
2014年9月17日 Endless SHOCK 1000th Performance Anniversary
2016年5月11日 KOICHI DOMOTO LIVE TOUR 2015 Spiral

コンサート・イベント
2004年
3月29日 - 5月5日 ツアー KOICHI DOMOTO LIVE TOUR 2004 1/2
2004年
11月1日 イベント KOICHI DOMOTO Presents IT LOOKS BACK UPON 1/2
2006年
9月13日 - 10月30日 ツアー KOICHI DOMOTO CONCERT TOUR 2006 "mirror" ~The Music Mirrors My Feeling~
2009年
8月15日 - 10月12日 ツアー 堂本光一 CONCERT TOUR 2009 Best Performance And Music
2010年
9月11日 - 11月14日 ツアー KOICHI DOMOTO CONCERT TOUR 2010 BPM
2011年
9月9日 - 10月2日 ツアー KOICHI DOMOTO 2011 BPM
9月23日 - 12月16日 ツアー KOICHI DOMOTO 2012“Gravity”

舞台
1993年 8月6日 - 8月24日 ANOTHER アートスフィア
1997年 8月9日 - 8月15日 こけら落し特別公演ジャニーズファンタジー
1999年 1月6日 - 1月31日 SHOW劇'99 MASK
2000年 11月2日 - 11月26日 MILLENNIUM SHOCK
2001-02年 12月1日 - 12月25日 ショー劇・SHOCK
        1月3日 - 1月27日
2002年 6月4日 - 6月28日 ショー劇・SHOCK
2003年 1月8日 - 2月25日 SHOCK is Real SHOCK
2004年 2月6日 - 2月29日 Shocking SHOCK
2005年 1月8日 - 2月28日 Endless SHOCK
2007年 1月6日 - 2月28日 Endless SHOCK
2008年 1月6日 - 2月26日 Endless SHOCK
2009年 2月5日 - 3月30日 Endless SHOCK
2010年 2月14日 - 3月30日 Endless SHOCK
    7月4日 - 7月31日
2010年 11月20日 - 21日 KANSAI SUPER SHOW 七人の侍
2011年 2月5日 - 3月31日 Endless SHOCK
2012年 1月7日 - 1月31日 Endless SHOCK
    2月8日 - 4月30日
2013年 2月4日 - 3月31日 Endless SHOCK
    4月8日 - 4月30日
    9月2日 - 9月29日
2014年 2月4日 - 3月31日 Endless SHOCK
    9月8日 - 9月30日
    10月8日 - 10月31日
2015年 2月3日 - 3月31日 Endless SHOCK 15th Anniversary
    9月8日 - 9月30日
    10月7日 - 10月31日
2016年 2月4日 - 3月31日 Endless SHOCK


テレビドラマ
ドラマシティー'93「愛よ、眠らないで」(1993年1月28日、日本テレビ) - 池田浩一 役
人間・失格~たとえばぼくが死んだら~(1994年7月8日 - 9月28日、TBS) - 影山留加 役
家なき子2(1995年4月15日 - 7月8日、日本テレビ) - 牧村晴海 役
木曜の怪談「マリオ」(1995年11月2日、フジテレビ) - 主演・毬夫 役
金曜エンタテイメント「炎の料理人」(1995年12月1日、フジテレビ) - 主演・周富徳 役
山田太一新春ドラマ「パパ帰る'96」(1996年1月4日、テレビ朝日) - 福原光太郎 役
銀狼怪奇ファイル ~2つの頭脳を持つ少年~(1996年1月13日 - 3月16日、日本テレビ) - 主演・不破耕助/銀狼(二役)
若葉のころ(1996年4月12日 - 6月28日、TBS) - 主演・藤木甲斐 役
新 木曜の怪談「cyborg」(1996年10月17日 - 11月21日、フジテレビ) - 主演・戒堂晃 役
24時間テレビドラマ「勇気ということ」(1997年8月23日、日本テレビ) - 主演・田村和夫 役
艶姿!ナニワの光三郎七変化(1997年10月2日、関西テレビ) - 主演・浪速屋光三郎 役
ぼくらの勇気 未満都市(1997年10月18日 - 12月20日、日本テレビ) - 主演・ヤマト 役
ハルモニア この愛の涯て(1998年7月11日 - 9月12日、日本テレビ) - 主演・東野秀行 役
P.S. 元気です、俊平(1999年6月24日 - 9月16日、TBS) - 主演・加地俊平 役
平成夫婦茶碗~ドケチの花道~(2000年2月16日、日本テレビ)
天使が消えた街(2000年4月12日 - 6月29日、日本テレビ) - 主演・高野達郎 役
ルーキー!(2001年4月10日 - 6月26日、関西テレビ) - 主演・愛田誠 役
リモート(2002年10月12日 - 12月14日、日本テレビ) - 氷室光三郎 役
世にも奇妙な物語 秋の特別編「昨日公園」(2006年10月2日、フジテレビ) - 主演・遠藤陽介 役
スシ王子!(2007年7月27日 - 9月14日、テレビ朝日) - 主演・米寿司 役
天才探偵ミタライ~難解事件ファイル「傘を折る女」~(2015年3月7日、フジテレビ) - 石岡和己 役
陰陽師(2015年9月13日、テレビ朝日) - 源博雅 役

テレビバラエティ
チチパパ親父!娘をたのむで!(1997年4月25日 - 9月26日、フジテレビ)
ピカイチ(1999年10月3日 - 2001年9月30日、日本テレビ)
ポップジャム(2000年4月1日 - 2002年2月18日、NHK総合)
ジャパン☆ウォーカー(2001年10月7日 - 2002年3月31日、日本テレビ)
世代密林~ジェネレーションジャングル(2002年4月7日 - 2002年9月29日、日本テレビ)
ジェネジャン!(2002年10月6日 - 2003年3月30日、日本テレビ)
遊ワク☆遊ビバ!(2003年4月6日 - 2004年3月28日、日本テレビ)
ジェネジャン!!(2004年4月24日 - 2005年3月26日、日本テレビ) - その後2005年4月から2007年4月まで不定期に放送された

単発、不定期
視聴者限定TV堂本光一のみちゃだめ!!(2005年5月28日、テレビ朝日)
視聴者限定TV堂本光一のみちゃだめ!!II(2005年10月1日)
堂本光一のアンラッキー研究所(2008年10月25日 - 2012年1月2日〔全6回〕、日本テレビ)
堂本光一PRESENTS 死ぬまでに知りたい10の事~知神(しりがみ)さまのギモン評議会(2008年11月1日、日本テレビ)
堂本光一 すべてはステージのために~究極のエンターテインメント『SHOCK』~(2010年8月18日、NHK総合)
堂本光一のNEWS LABO(2012年8月17日、NHK総合)
火星 大冒険!~地球外生命を発見せよ~(2012年9月1日、NHK BSプレミアム)
火星大冒険 生命はいるのか?(2012年10月20日、NHK総合)
ちょこっとサイエンス(2012年12月27日 - 、NHK総合)

映画
200X年・翔(1992年11月14日公開、ヒューマックス) - 主演・聖翔 役
シュート!(1994年3月12日公開、松竹)
家なき子(1994年12月17日公開、東宝) - 堀口稔 役
銀幕版 スシ王子! ~ニューヨークへ行く~(2008年4月19日公開、ワーナー・ブラザース映画) - 主演・米寿司 役

声優
テレビアニメ
獣王星 第6話[61] - 第11話(2006年4月13日 - 6月22日、フジテレビ系「ノイタミナ」枠) - 主役・トール(青年期) 役
クレヨンしんちゃん『スシ王子!だゾ』(2008年4月25日、テレビ朝日) - 堂本光一(本人) 役

映画
ラッシュ プライドと友情(2014年2月7日、ギャガ) - 主役・ジェームス・ハント〈クリス・ヘムズワース〉 役

CM
武田薬品工業(2000年5月 - 2001年4月)
「ハイシービフィーズ」
「ハイシーCEtime」
日本コカ・コーラボトラーズ「コカ・コーラ」(2003年3月 - 7月)
ハウス食品「カップシチュー」(2007年9月15日 - )
森永製菓「ポテロングZ〈わさび味〉」(2007年12月 - ) - テレビCMはなく、監修&雑誌等の広告のみ

著書
米寿司 寫眞集in「銀幕版 スシ王子! ~ニューヨークへ行く~」(2008年4月9日発売、角川ザテレビジョン)
米寿司名義の映画公式写真集。ニューヨークへ修行の旅に出た米寿司を映画のストーリーと写真で追う。
僕が1人のファンになる時(2011年1月20日発売、ソニー・マガジンズ)
僕が1人のファンになる時2(2013年3月14日発売、エムオン・エンタテインメント)
上記2冊は『GRAND PRIX SPECIAL』での連載「F1賛歌」をベースに加筆された本。そのためF1関連の話題がメインである。
エンタテイナーの条件(2016年2月14日発売、日経BP社)
『日経エンタテインメント!』での連載を書籍化。

連載
ソニー・マガジンズ『GRAND PRIX SPECIAL』「F1賛歌」(2006年2月号 - 2016年1月号)
『東京中日スポーツ』「光速コーナー」(2007年 - 2012年12月1日)
ぴあ『ススめる!ぴあ』「Endless Days ~堂本光一のオワラナイ日々~」(2010年2月 - 2010年12月)
日経BP社『日経エンタテインメント!』「エンタテイナーの条件」(2013年9月号 - )

取得資格
1998年3月8日、締固め用機械(ローラー)運転業務特別教育修了(無制限)
1998年6月21日、ソフトボール第3種公認審判員
1998年7月13日、四級小型船舶操縦士
1998年9月17日、チェーンソー伐木業務特別教育修了
1998年11月13日、食品衛生責任者
1999年2月8日、COMPETITION LICENSE JAPAN AUTOMOBILE FEDERATION(国内B)
1999年3月15日、COMPETITION LICENSE JAPAN AUTOMOBILE FEDERATION(国内A)
1999年4月24日、小型車両系建設機械(整地・運搬・積込み用及び掘削用)運転業務特別教育修了(機体重量3t未満)
1999年7月2日、日本綱引連盟公認審判員(シングルA)
1999年11月10日、一級小型船舶操縦士
1999年11月24日、ボイラー取扱技能講習修了(小規模ボイラー)
1999年12月16日、フォークリフト運転業務特別教育修了(最大荷重1t未満)
2000年1月19日、ラッピングコーディネイター
2000年4月26日、アーク溶接等業務特別教育修了
2000年5月10日、日本ドッジボール協会公認C級審判員
2000年6月1日、大型特殊自動車免許
2000年7月5日、そば打ち名人資格
2000年8月23日、SWIFTWATER RESCUE First Respond
2000年10月17日、車両系建設機械(整地・運搬・積込み及び掘削用)運転技能講習修了(機体重量3t以上)
2001年1月20日、アームレスリング国内3級審判員
資格を活かし、コンサート会場でフォークリフト操作を披露したことがある。
チェーンソー伐木資格を活かし伐採したクリスマスツリーが、横浜みなとみらい21ランドマークタワーのドックヤードガーデンで公開された。
アーク溶接の資格を活かし、USJのアトラクション「JAWS」の前に設置されているサメのオブジェのヒレの部分を溶接した。

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