今回、紹介するのは僕が30年以上使っているGoro’sのバッグです。
Goro’sというと、多くの人はインディアンジュエリーのショップというふうに思っているわけだけれど、僕はそれとは全く違うものだと考えているんです。Goro’sはGoro’sであって、インディアンジュエリーのショップではない、と。
吾郎さん(=創始者、髙橋吾郎)がネイティブアメリカンの文化に憧れて、一時期、彼らと生活を共にしたなかから、皆がイメージするインディアンジュエリー的なアイテムが生まれてきたとしても、それでも、Goro’sはあくまで「髙橋吾郎」という人物が生み出したものだと僕は思っているんです。
実際、吾郎さんは純粋に自分が好きなものを作り続けていただけで、何かの影響というよりも、むしろ、自分が生み出した幻想の世界を追いかけていたのだと思う。そして、その「幻想の世界」が周りにいた人たちや集まってきたお客さんたちを巻き込みながら、大きくなっていった、というように。
僕が初めて吾郎さんに会ったのは1983年頃。ファッションショーの打ち上げ会場に早く着いたら彼がいて、少し話をしたのが最初。その後、しばらくしてから、(元プラスチックスの)佐藤チカちゃんと一緒に革のブレスを買いに原宿のお店に行きました。80年代前半のGoro’sはシルバージュエリーがメインというわけでもなく、お店ではレザーのバッグやアクセサリーが目に付きましたね。その後、渋カジブームの時にインディアンジュエリーのイメージが広がり、コワモテのバイカーっぽい人が集まるようになって。僕はスケートボードで行っていたけれど(笑)。
Goro’sって、いわゆる「ブランド」ではないと思うんです。昔から全くコマーシャルではないし、(2013年に)吾郎さんが亡くなってからは新しいアイテムというのもない。老舗であるカルティエやバカラだって毎年、新作が出るのに。それでも、原宿のお店には今も行列ができていて、ファンは世代を超えて存在する。そうした「現象」も含めて本当に唯一無二の存在なんですよ。
そう。Goro’sは、いくつかアイテムを手に入れるうちに、オリジナルのインディアンジュエリーに興味を持って、最終的にヴィンテージのインディアンジュエリーのコレクターになるというような、「次のステップ」だったり、「その先」があるような入門的なものではないと思うんです。でも、だからと言って、限られた人にしかその良さを理解できないというものでもない。それより「前」も「後」もない他とは比べられない独自の世界観や価値観のなかに存在するもの。そして、そこが面白いところでもあるんです。
文・鈴木哲也 写真・小嶋晋介 編集・岩田桂視(GQ)