LIFE

「東京のブルックリン」取材後記──飴李花(あめりか)の、「ぼくが見た蔵前」

既存の枠組みにとらわれず「自分たちが面白いと思うこと」を追求するインディペンデントな人々を大特集。自由な発想から生まれるアート、食事、音楽、ファッション、話題のコミュニティからビジネスモデルまで、“インディー”の最前線にせまった。今回は、「知らぬは東京っ子ばかりなり(?)」、蔵前が東京インディーズの最前線である理由。

COMMUNITY SPIRIT

NIWA SHINJYO

「蔵前って“東京のブルックリン”みたいでオモシロイらしーねー」

そもそものきっかけは、『GQ』誌のインターナショナル・ファッション・ディレクターであるジーン(・クレール)さんのそんな一言だった。東京東部、いわゆる“東東京”エリアが盛り上がっているというウワサは、かれこれ10年くらい前から耳にしていた(2012年の東京スカイツリー開業とは別文脈と思う)。実際、15年に「ブルーボトルコーヒー」が清澄白河(個人的にはゲンビ「東京都現代美術館」くらいしか行く用事がなかった)に、16年には「ダンデライオン・チョコレート」が蔵前に出店し、日本初上陸。海外の著名ブランドが青山でも銀座でもなく“東東京”を選んだことは、ウワサを裏付け世に確信をもたらす出来事であったと思う。

ぼくは東京の新宿区に生まれ、以来45年以上ずっと“東東京”に住んできたつもりだったのだけど、この“東東京”というのは高校野球大会のブロック分けにおける定義でしかなかった。ここで話題にしている“東東京”はあくまで皇居の東に位置する城東7区のことであり、個人的には東京駅よりももっと東の、昭和通り以東の下町エリアを指すと考えている(「カキモリ」店主の広瀬さんによれば、“本物の下町”は、浅草橋以北の浅草以南。隅田川を渡れば“川向こう”なのだとか)。隅田川という東京におけるイーストリバー(?)に面し、ぼくがこれまで踏み入ったことのない本当の“東東京”の中心地、それが蔵前なのだ。

江戸幕府の御米蔵があったことから「蔵前」と呼ばれるようになり、いまでも多くの老舗問屋や古い倉庫が残るこの街からは、確かに歴史や風情だけでなく、新たなジェネレーションによると思われるエネルギーを感じた。新しいショップや施設が誕生するスピード感、店舗の絶対数は西側の人気エリアに比べるべくもないけれど、その代わりに確固たる信念とスタイルをもち、唯一無二の“なにか”をウリにする野心たっぷりな店主たちが集まっているような印象を受ける(家賃もそこそこで、チャレンジしやすいというのも大きいだろう)。これぞまさしく、インディーズ! なにかのついでや通りすがりではなく、わざわざ足を延ばして訪れてみたくなるような、ユニークで"濃ゆい"スポットが適度な距離をおいて点在している。

江戸っ子(父祖の代から東京暮らしという意味で)の端くれにもかかわらず、ほぼ初めて降り立った蔵前という街。なんだか不思議と心地がいい。その原因を分析してみてすぐ思い当たったのは、この街にはノイズやバリアが少ないということだ。もちろん駅前の江戸通り沿いにはファストフードもコンビニもあってそれなりに賑やかなのだけれど、少し離れれば余計な店や看板もなく、行く手を遮る通行人や立て看板の類もほとんどない。なにより、中途半端な“どうでもいい”店が本当に少ない(ペリカンや榮久堂など老舗の名店は数多い)のだ。「なんだ、全然盛り上がってないじゃないか」と思ってはいけない。ぼくらが見慣れた新宿や渋谷の風景が特別に異常なのであって、実際ブルックリンのウィリアムズバーグにも、パリのマレにも人はそんなに歩いていないのだから。

適度な距離を保つように居を構える、個性もこだわりも強いそれぞれの店。「カキモリ」が店頭で配布しているエリアマップを片手に気になる店をホッピングしていると、なんだか観光客のような気分がしてくる。だがいわゆる観光地と決定的に違うのは、蔵前がそもそも見物には適さない職人とものづくりの街であり、今もそこにある店の多くが、日々の暮らしを楽しく美しくする、“日用品”を扱っているということ。そして職住近接のベッドタウンでもあるため、子どもたちの姿もよく見かける。歩行者目線でローカルな精華公園を臨む「ダンデライオン・チョコレート」の1階窓側カウンター席は、のどかで心休まるお気に入りスポットとなった(できればNAKAMURA TEA LIFE STOREのほうじ茶を使った、「クラマエホットチョコレート」をお供にしたい)。

蔵前の人々に話を訊いてみてなによりびっくりしたのは、“下町”に抱いていたステレオタイプなイメージを華麗に裏切る、新旧コミュニティの仲の良さ。歴史のある街というのは得てして排他的になりがちだと思っていたけど、蔵前ローカルたちは、地域に貢献したいという意欲をもって溶け込む姿勢を見せる新参者なら、基本的にウェルカムなのだとか。「自分たちが変わることにポジティブで、工芸品なんかじゃなくいつまでも日用品を作っていたいと考えるのが、蔵前のつくり手」なのだと広瀬さんが教えてくれた。そして会う人誰もが、「街全体を盛り上げていきたい」と口を揃える。

地元の人しか行かない隠れ家的バー「夜更けの人々」には、マスターのお母さんという新旧コミュニティをつなぐ重要人物がいるというし、「結わえる」では定期的に地元のメンバーを集めて季節の旨いものを分かち合う会が催されるそう。そして約束もなく“2軒目”として訪れた「Nui.」のバーで、知った顔に出合える夜も少なくないのだとか。そんなつながりが世代も業種も超えて、新たなものづくりやビジネスでの連携へと発展することは、日常茶飯の“蔵前あるある”だ。

蔵前の勢いを下支えするのは、健康的で人と人とがお互いを尊重し合うホリスティックなコミュニティ。やっぱり“下町”は、イメージ通りの人情の街だった。都心、川沿い、インダストリアルで、伝統と革新が融け合うなど共通点は多々あるけれど、やっぱりブルックリンとは一味違うと、妙に蔵前に肩入れしてしまうのだ。

(追い書き:人類史上稀にみる地球規模の危機によって、この原稿を書いているいまは外出すらままならない。蔵前の人々も大きな打撃を受けているに違いないが、きっと雌伏のときすら、さらなる雄飛の準備期間としていることだろう。こんな苦難のときだからこそ、コミュニティの連帯がより一層の輝きを放っていると信じている。2020年4月8日)


PROFILE
飴李花(あめりか)
1975年東京都生まれのファッションエディター、ライター、インタビュアー。出版社での勤務を経て2007年よりフリーランスとして活動している。本人近影は蔵前小学校を背景に、桜舞い散る精華公園にて撮影。

Words 飴李花 america
Photo 干田哲平 Teppei Hoshida